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自分だけではないということ

最近身の上話をすることが増えました。一人で抱えるのは辛いからです。誰かに話して楽になりたい。心配してほしい。助けてほしい。追い詰められるほどそういう気持ちが強くなります。
私は人に頼ることが得意ではありません。こうやって受け手が反応に困る相談をするなどもってのほか。そう考えていました。
徐々に考えが変わったのは、一通りの裁判を通じて一人ではうまくいかないことが増えたからです。一人では証拠を集めることも裁判手続きをすることもできない。働きながら常に子どもと一緒にいることができない。自分だって風邪を引くこともあれば一人になりたいこともある。こういう経験を通じて、頭を下げて人に助けてくださいと頼む。大人として大事なことだと思います。

しかし身の上話をすると、実は私も調停中だとか、兄弟が親権の争いをしているだとか、そういった話を聞くことも多くなります。
意外と皆さん事情を抱えている、そんな当たり前のことに今更気付きました。
これまでの私は、この世の不幸を一身に背負ったかのような顔をしていました。あなたほど辛い目にあった人はそうそういない、そう言われることで、そう思うことで心のバランスを取っていました。

しかし実際はそんなことないのです。私のような悩みを抱えている人は大勢いて、ありふれた悩みなのです。そう理解したことで、少しだけ心が救われました。

ただし、離婚問題、特に親権問題で長く争っている方は、多かれ少なかれ少しずつ狂っているように感じました。
親子断絶、慰謝料拒否、本当に子どものことを最善に考えるならそれが正解なのか?疑問に思うことが多々ありました。
こういった問題は個別に事情があるので軽々しく意見を言えるものではありません。ただ、皆さん感情的になり過ぎている場合が多く、合理的な考え方が出来なくなっている場合が多いように思いました。

特に子どもが絡むと冷静にいることは難しいのでしょう。ただ、どこかで冷静になることが、ご自身にもお子さんにも最善の道を切り開くのではないかと思いました。

私自身も大なり小なり既に狂っているのかもしれません。私もある手段に異様に固執していると指摘されたことがあります。気をつけなければなりません。幸いにして私には客観的な視点で意見をくれる相談相手がおり、それが良かった気がします。

つくづく離婚や親権の問題で裁判なんぞやるものではないと思います。原因を作った人は猛省すべきです。

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