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どうもアウトプットマンです。
あいも変わらず寒いこの頃。朝起きるのが非常に辛いですね。
今日も満員電車の中で投稿してますが、みなさんしんどそうですね…ご苦労様です。

さて私のブログは転職と教育とでお話しさせていただくことが多いですが、今回は教育で。

よく英才教育とかエリート教育というのを耳にする昨今ですが、今国で進めようとしているのは、知識の詰め込みでなく発想力、思考力の育成とあります。そこにさらには独創性を求めて身につけさせようとします。共通テストの内容の変更や、諸々がそうですね。

個人的に思うのは生徒に学校教育で独創性を持たせるようにするのは無理ではないかという事。

発想力、思考力ってなんですか?
考える力?思いつく力?
それは今の子どもたちはありますよ。
尤も、思考力や発想力という数値化出来ないものを求めてしまってもゴールが見えないので、一生求める事になります。そんな物を制度や方針にするなんてナンセンスです。

そもそもですが、世界的にもそうやけど、学校教育がきっかけで独創的なアイデアマンになった人って何人いますか?
成功したきっかけがその独創的なアイデアやってのはどれくらいいますか?ありますか?

ここまで来ると、そもそも学校教育の本質はなにか?という疑問も出てきます。

今の学校は国力を上げる意味が強いので、軍事的な慣習が残ってます。国の都合で言えば本当にいい人材を育成できてます。
外国はどちらかと言えば権力者の子どもを通わせて、子どもを通じて交流を図る政治的な意味が強いとか。

私個人で言えば、学校の意味合いは「学びと議論の場」にするべきではと考えてます。学歴を求めさせる、或いはスキルを求めさせる。
あと株式投資の勉強をさせる事もいいと思います。それこそ投資をするべきか否かを議論させてもいいんじゃないですか。

授業は大学の授業のように、個人毎のカリキュラムでさせて、学校行事は生徒会とかに主導的に動いて貰うのが良いと思います。

あと先生、生徒同士の話に入り過ぎのような意味合いがあります。
失敗させたくないって思い過ぎ。
ただこの失敗は先生は許容できるが、社会が許容しない。保護者が許容しない。
教育が窮屈にさせてるのは、保護者に心の余裕がないから、多様性を履き違えてなんでも受け入れさせる文化です。心の余裕を作ってないのは国です。

なので教育と国はやっぱり切ってもきれない。

現在の学校教育の本質は「思考力にグローバルで富んだ人間の育成」ではなく、「いう事を聞く素直な子の育成」です。思想力とかそんな言葉に惑わされないで。

ここに落ち着きます。

色々つらつら書いて、意見まとまってないですね笑
すんません💦

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