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プレスラボを卒業しました。
こんにちは。編集プロダクション・プレスラボ所属の編集者として、そしてフリーのライターとして記事コンテンツの制作を生業にしていたひーこです。
昨日、9月30日をもってプレスラボを卒業いたしました。これからは完全フリーランスとして、個人で編集者・ライターの仕事をしていきます。
普段は取材記事ばかり書いていて、自分のことについての、いわゆるエッセイ的な文章を書くのはあまり得意ではありません。しかし人生にそう何度もない機会ですので、挨拶代わりにでも、今の気持ちを残しておこうかなと思いました。
卒業を決めた理由、2020年の社長交代時に考えていたこと、会社仕事と個人仕事のバランス感覚など、なるべくお気持ち表明に留まらずプレスラボのメンバーや同業の方に興味を持ってもらえるような切り口を意識して書いていきます。
ライターという仕事に出会わせてくれた
プレスラボに入社したのは約3年前、2018年5月のことです。
実はプレスラボとのご縁は学生時代までさかのぼり、大学3-4年のときにライターインターンをしていました。当時のプレスラボは今とは違う意味でキラキラしていて、その後、文筆にまつわる様々な世界で活躍する先輩たちが在籍していた時代です。
あわよくばこのまま社員に……なんて思ったこともありますが、プレスラボは今も昔も、中途しか受け入れていません。大学卒業後は別の会社に入ることになりますが、いつかご縁があればうれしいなと思っていました。
先代社長の梅田さんは、私が就職した後も、何かと気にかけてくれました。成り行き的に前職を辞め、フリーライターとなってフラフラしていた私を引き入れてくれたのも梅田さんです。
とにかくプレスラボで安定して売り上げを立てることが、梅田さんや、学生時代にこの仕事の楽しさを教えてくれた先輩方への恩返しにつながるはず。そう思って頑張っていました……というのは半分くらいで、自分を一番突き動かしていたのは、編集やライターという仕事そのものの楽しさかもしれません。
実は前にも一度、辞めようかなと思ったことがありました
プレスラボを卒業することを、実は今回よりもっと前に一度考えたことがありました。社長交代のタイミングです。
交代は2020年の1月でしたが、当然社内にはもっと前に共有があり、そのほかのいろいろな事情も重なって、先輩たちが同時期に複数卒業していくタイミングがありました。そのとき、一人の労働者として「この船にこのまま乗っていて大丈夫だろうか?」とかなり冷静に考えたのを覚えています。
ただ、そのときの自分の個人的な事情ややりたいこととの兼ね合いで、「安定した収入がある」という条件はどうしても失えないものでした。プレスラボならではの「自由度の高さ」も。お金が必要なだけなら別の会社に転職という選択肢もありましたが、この業界でプレスラボ並みに時間とリソースを自由に使える会社はそうそうありません。
あと、今だから言える本音をちょっとだけ……。同僚が次々と卒業したことで、育休中だった先輩を除けば、梅田さん時代のプレスラボを知るメンバーは私しか残らないという状況でした。私がいなくなり、社長も交代することで、以前のプレスラボと全く違う会社になってしまったら、少し寂しいという気持ちがあったんです。
今まさに生まれ変わろうとしている会社にとっては厄介な感情でしかないので、社内の人にも話したことはありませんでした。
もう、やりたい仕事を断りたくなかった
そんなこんなで、「今はまだそのときではない」と考え、卒業は見送ることとなりました。そして前置きが長くなりましたが、ここから、今回卒業を決めた理由についてです。
小さな理由がたくさんあるので文章にまとめるのが難しいのですが、大きいところでいうと「個人宛のお声がけが多くなってきたこと」です。
プレスラボに入る前のフリーライター時代から決めていたことに、「やりたくない仕事は引き受けない」というものがあります。生意気かもしれませんが、結構大事な生存戦略だと今でも思います。過去に手掛けた仕事がそのまま自身の印象になるフリーランスにとって、「これまでどんな仕事をしてきた人か」という見え方の調整は、本当に大切です。
特に会社員という武器があるうちは思いっきり仕事を選ばせてもらって、「こういう分野ならイキイキと書ける人なんだな」ということを、ある程度クライアントの皆様に把握していただきたいと思っていました。
だんだんそのチューニングができてきて、(本当にありがたいことなんですが)最近は「やりたい仕事だけどリソースが足りなくて引き受けられない」という事態が生まれるようになったのです。
とはいえやりたい仕事を断るのはかなりストレスなので、最初は会社の仕事も頑張り、ライターの仕事も頑張り、でやっていました。ただ次第にクオリティや〆切の面で「危ういかも」と思うようになってきて、何より前みたいに仕事を能動的にやり込むことができなくなっていることに気付きました。
「やりたい仕事たちに、フルリソースで臨みたい」。そう強く思ったことが、今回の卒業の決意へとつながります。
仕事は創り出すもの
とは言ったものの、ライター一本で生活水準を維持するのは簡単なことではありません。卒業後は、編集仕事もフリーとして請けていくことになると思います。
フリーランスの同業者から話を聞くに、継続して仕事をもらえるクライアントを見つけるとか、週の何日かを時間拘束の仕事に割くとか、そういう工夫をしている人もいるそうです。
自分はとりあえずプレスラボで担当していた編集仕事を、一部継続して担当させてもらうことになりました。つくづく恵まれていると思います。ただ編集仕事がリソースの多くを占めるとそもそも会社を離れる意味がないので、ライター仕事が中心になっていく予定です。
プレスラボで学ばせてもらった編集者の強みの一つに、「案件を生み出すこと」があります。企画を立て、クライアントから予算を預かることで、クリエイターに依頼ができ、コンテンツを納品できる。そうして読者が喜んでくれたら、次の仕事につながり、またクリエイターに仕事を依頼することができる。
私はライターにもこれができると思っています。書きたいことの企画を立て、それに需要を感じるメディアから予算をいただき、必要であれば協力者を集めて、自分の責任で記事を書く。
仮に依頼仕事だけで食べていけなくても、この動きをすることで大好きな書き仕事を続けていけたらと思っています。というか元来、そういう仕事の仕方は好きだったりします。
他にも「こういう仕事をしていこう/したい」という算段はいろいろありますが、長くなってしまうので、それはまた別の投稿で。
ともかく、プレスラボと全くご縁が切れるわけではないこと。社長の池田さんや今後もプレスラボに所属するみなさんのご厚意があって、良い協力関係を今後も続けていけることにこの場を借りて感謝したいと思います。
それでも今でも、プレスラボは私にとって憧れの会社です
前半で、「以前のプレスラボと全く違う会社になってしまったら、少し寂しい」という気持ちがあった話を書きました。結果として、今のプレスラボは以前のプレスラボとは全く違う会社になっちゃいました。笑
でも、これは心から言えることですが、前とはまた違う良い会社になったと思います。現社長の池田さんの特性が反映されるかのように、しなやかさが増してきました。
案件は基本的に複数人数で担当し、どうしても属人的になりやすい編集仕事における様々なリスクヘッジにつながっています。随時形は変わっていますが、週3報を取り入れたり定例会議の方法を変えたり、コロナによって顔を合わせることは減った分、オンラインでのコミュニケーションの密度は上がっていると思います。
これは体感ですが、案件の継続期間が長くなってきたような気がします。業界全体のトレンド変化もありそうですが、単発前提で引き受けた案件が継続につながったり、クライアント企業の他部署へご紹介いただいたりと、堅実な取引が増えてきているように思います。
社長交代後に入社したメンバーも、がしがし案件回しています。自分には難易度が高くて無理だなと思う案件をドンドコ納品している所を見ていると、尊敬の気持ちしかありません。育休に入られていた先輩も復帰し、今一番盤石な体制なんじゃないかとすら思います。
私は、ずっとプレスラボという会社のファンなのかもしれません。学生時代にあこがれていたスター編集者ばかりの七武海みたいなプレスラボも、何もない私を拾ってくれた懐の深いプレスラボも、一皮むけて安定感の増したプレスラボも、ずっと尊敬できる組織なんです。
ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。
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