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受託編集者の適性を決めるのは「どれだけ想像できるか」だと思う話+α

こんにちは、プレスラボのひーこ(@hi_ko1208)です。

弊社所属の編集者となり、丸2年が過ぎました。社会人としてはまだまだ若造の年齢だと思いますが、少し前にメンバーがガラっと入れ替わったこともあって、社内では古株側になってしまいました。

入社して1年は必死でした。毎日毎日知らないことが起こり、不安だらけ。というのも、当時のプレスラボは経験者のみの採用でしたが、私が前職までで身に着けていたのはライター経験と制作ディレクター経験のみ。いずれも編集のお隣さんのような職種ではあり、見て学べた部分や思考の仕方が重なる部分はあったのですが、厳密に言うと編集は未経験。

とにかく当時は「他のメンバーの足を引っ張らないように…!」と必死でした。できるかどうか判断できないことを「わかりましたやります!」と言って、ネットで調べたり、先輩に質問しまくってなんとか納品する、そんなギリギリな日々。大きな問題起こさなくてほんとによかった(後で知りましたがこの業界、経験を微妙にごまかして入社して、気合でなんとかしてる人結構いる)。

それから2年。クライアントに、そして何よりクリエイターのみなさんに恵まれてなんとか私はプレスラボの社員を続けられていますが、いま改めて思います。編集者の適性は、経験では測れないと。

プレスラボは社長交代から間もない今年の4月、それまでの採用方針を大きく変え、編集未経験のメンバーを2人採用しました。手前味噌ですが、これは本当に英断だったと思っています。なぜなら、世の中の編集者の需要は、形を変えながらも増えてはいるから。うちに入った未経験者が一人前の編集者になれたなら、こんなに三方良しなことはないと思います。

先日、新人の1人が担当する取材に同席しました(この時期なので、オンラインで)。新人さんは私より1年社会人歴が長いものの、コロナの影響もあって取材経験はまだまだ踏めていない。どんなふうにサポートしようか……と考えながら取材を見ていましたが、私が気を回す場面はまったくなく、むしろ関係者の多い取材を、各人の立場に配慮しながら、終始和やかな雰囲気で進行しきっていました。

「あれ、私いらなくない?」そう思えたことは、仕事を教える立場の人にとって最大の贅沢ではないでしょうか。

編集、特にプレスラボが担当するような、Webの受託編集の仕事には、形がありません。クライアントによって要望も納品仕様も違います。「A社ではこの漢字はひらいて表記するが、B社ではとじる」なんてザラ。そんな違いに対応しながら、カメレオンのごとく、毎日複数のクライアントのパートナーとして案件を進めていきます。「ケースバイケース」の究極形態のような仕事だからこそ、経験では測れないのかもしれません。

そもそもあの日の取材進行、私より断然上手だった。私の2年を、新人さんは2カ月で上回っていた。情けないことに……じゃなかった。幸せなことに、その時点で経験量による判断は意味をなさなくなりました。そもそも編集者の仕事は対人から対原稿まで幅が広すぎるので、得意不得意も分散します。

そんな編集という仕事への適性をあえて言語化するなら、私は「想像できるかどうか」だと思います。クライアントの困りごとを、どこまで同じ立場になりきって想像できるか。その解決方法を想像できるか。プロジェクトにマッチするクリエイターを想像できるか。そのクリエイターがこの案件を担当するメリットを想像できるか。記事を読んだ読者が感じることを想像できるか。クライアントも思いつかない不測の事態をどこまで想像できるか。

常に想像力を働かせる。これができるかどうかが、編集者としての質を左右すると私は思います。この媒体のこの企画では許されたことが、別の媒体ではダメだった、そんなこともあり得る仕事。ルールを守ることは大事だけれど、ルールに頼りすぎるのもまた危険なのです。


管理に注力するようになって、見える景色が変わった

もともとプレスラボは会社というよりプロダクションとしての色が強く、いわば「個人でも生きていける人たちが、それでも所属する会社」でした(インターネットバブルで、業界がイケイケな雰囲気だったのもある)。

たとえば上司が業務の細かいところまで管理することはなく、基本的に案件のスタートから納品まで、メンバーの裁量で進めます。そして目標を達成してさえいれば、いつどこで働いてもいい。一方で、一人ひとりが仕事を抱えこみがちになって、キャパオーバーしてしまうケースもありました。それを受け、未経験者を受け入れたのとほぼ同時期、弊社は複数担当者制を取り始めました。

どのような分担になるかは案件特性や担当者のリソースによりますが、私が担当していた案件では、主に私:管理、パートナー:納品という形にしました。「管理」と抽象的に書きましたが、私が見ているのは大きく2つ。1つめは、スケジュール通りにノルマ本数が納品されるようサポートする数字の管理。そしてもう1つは、企画書や原稿などクオリティの管理。

管理に注力することは、自分にとって大きな転換点となりました。というか、今まさになっています。管理も納品も自分一人でやっていたときの方が頭にある情報量は多いかもしれませんが、管理のみになってから、視野が広がった感覚があるんです。正直、こんなにはっきり感じると思っていなかった。今まで考えが及ばなかった所まで、頭が働くようになりました。

つい先日、クライアントからとある要望をいただきました。良かれと思っての要望だったのは間違いありませんが、一方で読者のミスリードにつながるリスクも孕んでいたんです。そこで私は、想像できるリスクを伝えた上で、別の方法を勧め、クライアントも喜んで受け入れてくれました。

おそらく以前の私だったら、「要望が来た、よし、どうやって実現しよう」と、それだけ考えていたでしょう。「そもそもその要望にお応えすべきか否か」まずここから考えるようになったのは、最近のこと。そして不思議と、担当案件に対する愛着や「掲載ギリギリまでクオリティを上げたい」という執着じみた気持ちも、今の方が強いのです。

一つひとつの企画ではなく、媒体そのものに向き合うようになった感覚です。今後は、そういった立場で価値を発揮していくのが自分のミッションになるんだろうな、と思っています。

この変化はある種成長なのかもしれませんが、私は役割が変わっただけだと捉えています。担当する役割が変われば、視点も自然と変わるものだから。現場の最前線の状況を肌でわかっているパートナーと、媒体の未来を広く見据える私。この2人で、ただ記事を生み出すだけじゃない、クライアントの伴走たる媒体運営ができたら。外部編集者の介在価値として、より理想的なものが発揮できるんじゃないかと考えています。


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