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誰が大事か、何が大事か?

こんにちは、Hi_Kickです。

いつも殴り書き文章なのですが、いつも以上に殴り書きご容赦ください。
というのも本日はあまりに内容がシンプルなので、、

良く生きる。健康であったり、仕事であったり、総合的に満足できる生き方をする上で心がけている事をシェアしたいと思います。

(あくまで個人の価値観であることをご容赦ください。)

心がけていることとは?

シンプルに言ってしまえば自分に近いところから優先順位付けすること。
ざっくり示すと以下の様なイメージ。

自分 > 家族 > 友達 > 同僚・上司 > 会社 > 世の中
みたいな。

これだけ見るとすごく自己中心的な人間ですね。。
しかしこれには理由があり、「自分が満足していないと他人を満足させられない」という心情があるところからです。

激しく睡眠不足の時に家族をドライブに連れていくのは自殺行為ですし、食卓に並べるご飯を買うお金もないのに寄付したら家族が飢えます。

満足の程度というのは当然あるのですが、強欲に何かを求めるというものではありません。「無理のない状態」を目指しています。

それ故、今は家族が病に直面し、治療を開始したり結果が芳しくなかったりと、当人の精神的にもヘルシーな状態ではないと判断し、時短勤務で働きつつ、看病というよりかは元気づける時間として仕事をセーブしております。
(恐らくフルタイムで働いても出来るでしょうが、自身の肉体的/精神的にも無理がくるだろうと仕事を犠牲にしました。)

侍魂は見ていて辛い

以前のプロジェクトでご一緒していた課長さんの話。
今の私に似た境遇でした。

お母様がいよいよという局面で運悪くもプロジェクトも佳境に。
全社きっての大プロジェクト、ご年齢的にもこれが成功すれば部長へ、お子様は海外の大学に入ったばかり。さてどうしようかと。

「プロジェクトは上手くやっておくのでご看病の時間に当ててください」
社交辞令でなく心の底から言ったつもりでしたが、課長さんは仕事を続けました。結果、最期にも立ち会えず、欠勤したのはお葬式・お通夜の2日のみ。

当時まだ若かった私は「これで良いのか?」と純粋に感じたところです。

100人を超えるプロジェクト、その長としてのお立場ではありましたが、100人超もいれば尚のこと1人いなくてもどうにかなる。
古き良き侍魂なのでしょうが、私には理解できませんでした。

人それぞれの価値観

この件について、課長さんと深く話すことはありませんでしたが、恐らく彼の中にも優先順位付けがあったのでしょう。

むしろそれが強くあったことを祈りますが、優先順位付けがなく流されていたのであればとても可哀そうだなと感じるところです。

課長という立場であればこそ、良くも悪くも立ち回りのオプションがあったのでしょうが、これが中堅社員だったらどうでしょうか?
恐れ多く上司に休みたいと言えない、かと言って気が散りながら働いて怒られ、昇進はいつになるか分からない。そうなってしまうと本当に地獄です。

冒頭で私の人生の優先順位を紹介しましたが、皆様が考えるきっかけになれればと思うところです。


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