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日常感覚を大事にする「五感経営」#自分ごと化対談(石坂産業株式会社 代表取締役 石坂典子氏)≪Chapter1≫

※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【「廃棄物は社会を映す鏡」~誰もが自分ごとにするには~】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。

五感経営とは

<加藤>
最初にちょっと伺いたいと思ったのは、「五感経営」という言葉が、時々出てくる…。

その「五感経営」というのはどういうことなのか、見るとか聞くとか、五感、そこは分かるんですけれども、なぜ五感経営なのか、そこから始めていただければと思います。

<石坂>
一言で言い表すのはすごく難しいと思うんですけど、私がこの会社に入り、父の事業を継いだ時に、創業者が経験してきたことを同じように経験する機会は、もう無いなと思ったんです。創業者(父)が持つ経験値や判断能力を、経験をしていない私がどうしたら得られるのかと考えた時に、父が持っていた「感覚的な判断」というのをよく見るようにしたんです。

例えば、音を聞いてモノの善し悪しを判断する。機械の様子だったりとか、あとは人やモノに対してもそうですけど、目を向けて、よく見て判断しているんですよね。父が五感で感じ取っている感覚的判断能力というのが、単にデータだけで判断するのとは違って、すごく重要なんだなって感じたときが、「五感経営」って私が言い始めたスタートなんです。

別にそれは、経営だけのことではなくて仕事をする上で機械装置の熱が、普段触ったときの感覚と、モーターが異常になってきた時の熱の感覚の違いとか、毎日やっている人こそが判断できるというのが凄くたくさんあって、日常的な感覚というのを無駄にしないでという意味合いを含めて、人の五感で仕事をしていこう、というところから発信したわけなんです。

<加藤>
それは最初からですか、それとも社長になって、会社の経営に携わることになって、これは五感だという風に思ったわけですか。

<石坂> 
二代目社長に就任した時に、まずは創業者ができていることと二代目社長ができていないことの比較から、入ってくるわけですよね。経験値の違う私が、どう信頼を得ていかなければならないのか考えさせられる機会がやってくるわけです。

その時に、同じような時を経た経験が出来ないからこそ、父の持っている感覚を盗むという意味合いも含めて始まったので、就任してそんなに長くはかかっていないと思います。たぶん一年ぐらいで、感覚的判断能力を盗んでいくしかないなっていう風に感じたんだと思います。

経営学というのを私自身が学んでこなかったので、たぶん最初の「守・破・離」の「守」の部分、父が何を大切に思い、どういう感覚で仕事をしているかというところを、一生懸命真似ていこうと感じたのが、最初の一年ぐらいだったと思うんです。

<加藤>
それは凄く本質的なところだと思います。経営学なんていうのは、学ばなくて良かったと、あれを学ぶと、数字で判断するようになるんです。数字とか表とか、パターン化するんです。パターン化したものというのは、パターンから必ずズレています。

今日、工場を拝見して、本当に面白かった。私も時々色んな工場見ますけど、今日が一番面白かった。
扱っているモノが、今まで見たものの中で一番、複雑なんです。人が生きてた何年分、ずーっと使ってたもの全部入ってて、それを一つ一つ分けていくわけです。

なんせ、構想日本の仕事の柱のひとつは仕分けですから。(笑)

<石坂>
(笑)なるほど。

<加藤>
頭で廃棄物の処理とかリサイクルという言葉を聞くと、ゴミを分別してなるべく使うようにするという感覚はあるわけです。けれども、それがいかに複雑で手間もかかるし感覚が必要な作業か、知的で高度な仕事だということが工場見学ですごくよく分かりました。

汚いものを分けて、適当に最後は棄てるというレベルではないですね。そこが非常に面白かったというか、…発見でした。

<石坂>
私自身ずっと父の背中を見て育ってきたものの、工場の現場に入るという経験がなかったんです。現場に入ってまず衝撃を受けたのは、あまりにも大量のゴミを人の手によって、ものすごく細分化して分けているということに対する驚きと、労働環境の過酷さ、というのが衝撃的だったんです。

父がずーっと言い続けてきたのは、出口を見れば今の技術が分かると言っていたわけです。だから出口の設定がどこなのかというと、そのプロセスを出口側から追っていく。

廃棄物が入ってきた段階からどうしていくかを考えるのではなくて、このミリ単位で細分化していく出口まで持っていくためには、どうしていくかという、逆側から技術を追っかけていくということがすごく衝撃的で、すごく勉強になったんです。

それこそ昔の農家さんがお米と籾殻を分けて、同じお米を軽いか重いかのバランスなどで品質を分けてきたということに本当によく似てると思って、食べ物の分級とゴミの分級は変わらないなっていう感じなんですよね。

<加藤>
あれ見てるとね、土とか砂とかは途中で熱を加えたりというプロセスがあるんでしょうけど、木なんかは分けて細かくチップにして、それをさらに細かくしてそれだけですよね。ですから、どんどん分けていけば、汚いものではなくなるということですよね。

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