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地球環境全体のバランスを配慮する視点を持つ #自分ごと化対談(石坂産業株式会社 代表取締役 石坂典子氏)≪Chapter2≫

※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【「廃棄物は社会を映す鏡」~誰もが自分ごとにするには~】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。

リサイクル社会とは逆行する、世の中の複雑さ

<石坂>
昔の古い家こそ、本当に良い材が使われていて、そのままそれを分けることによって、紙などに生まれ変わることが可能になるんです。

今の商品の方が色んな化学物質が混ざり合って出来ている建材だったりするので、再生がしにくかったりするんです。結局は燃料にせざるを得ないものというのが、ここ30年、廃棄物の受け入れをずっと見続けてきて、感じています。

シンプルな方が、再生しやすいということは間違いないんですけど、世の中の方が複雑化していて、より混合された素材になっているなという、ある意味リサイクル社会の逆を行っているというのは、すごく思いますね。

<加藤>
多分、何でも一緒なんですよね。

お金もどんどんどんどん便利になりますよね。うちの事務所でも昼食代とかペイペイか何かでやりとりしてるんですよ。とても簡単なんですが、その簡単の後に、ものすごい複雑な仕組みがあるわけです。だからシステムダウンと言うと、みんなが何もできなくなるわけで、だからそこに犯罪もおこるし、トラブルもいっぱいある。

現金ならね、ある意味ではすごい面倒かもしれないけど、単純なんですよ。キャッシュでやってる限りは、盗まれない限り、そうしたトラブルはないんですよね。自分の周りは便利にして簡単にして何も持たなくてもいい、だけどその後ろにある面倒さを見えにくくして、逆に社会の仕組みが複雑になっていくというのは、全てについてありますね。

システム障害のときに、文句は言っても、それは自分が便利になりたいっていうこととのセットであり、自分のせいだとは誰も思わないんです。

<石坂>
そうですね。先ほどから古民家再生の話をされていて、よりシンプルな家は自分たちで直すことが出来たし、自分たちで建て替えることも出来た。

ところが今って、それが出来ない複雑さを持っている。本当にあらゆるものが、あえて複雑にしてしまって、より難しくしてるんだろうなっていう感じがしますね。

<加藤>
昔はね、一人の人が全部やっていたわけです。水を汲んできて、野菜を作って、お米も作って自分で食べて、全部自分でやってた。

それが10個のことだとすると、今はその1個のことしかやらない。1個のことをやってそれで、お金で他の9個のことは買う世の中ですよね。

そうやって自分は手軽になって、身軽になって快適になって、だけども、それでどうしたっていうところは、あるような気がしますね。

利便性や快適さが人間にとって大切なものを失わせる

<石坂>
怖いのは、身軽になると同時に、失われていく知恵とか、感覚的なものとか、人間にとってもっとも大切なものが失われていくような気がしてならない。

本を読ませていただいて、ツルツルとザラザラという表現が、すごくユニークだなと思ったんですけど、ザラザラであることの重要性というか、もっと深く、分かりやすく教えていただきたいんですけど、ツルツルとザラザラは具体的に言うと、どのくらい違う感覚のものなんですか。

<加藤>
私は元々生きるのは、すべてバリアーだと思うんです。水を汲んで来ようと思ったら、バケツみたいなものを使う、水は重い、途中で零れる、一遍じゃ足りない。

野菜作ろうと思ったら途中で虫が食ったり、枯れたりする、水もやらないといけない、何でもそうです。ですから、何をするにしても、生きていこうと思ったら、全部にバリアーがついてくるわけです。

バリアフリーではなくてバリア“フル”だと思うんです。元々世の中は凸凹ザラザラで、本当に朝から晩まで色んなバリアがあって、だから人間はもっとラクをしようと思って水道を作りました、蛇口ひねったら水が出てきます、電気が点きます、ガスが出ます。

そうやって、我々が生きるために必要なことで大変なことはちょっとずつ、本当にもう千年単位で、色んな知恵を積み上げて、それで今や、とってもツルツルピカピカの世界に住めている。そしてそれは快適なわけです。

エアコンつけたら暑くもないし、寒くもないし、蚊も来ない。ただ、そうやってツルツルになってくると、石坂さん仰ったように、便利で快適でツルツルになって、それはそれでとっても楽チンでありがたい、けれども、我々は本当にやるべきことやってるのかなという…、それが本当にやりたいことなんですかって思うんです。

あえて大袈裟な言い方をすると、「人は何のために生きてるのか?」毎日「生きる」とは何をすることですかという、そこがなくなってしまっている。ツルツルの生活を日々維持して、もっとピカピカにするために、毎日したいかしたくないかわからない仕事をして給料を得て、それでこの生活を維持している。

しかし、そのピカピカがそれほどいいことだったのか、ピカピカの生活をある程度楽しんだ人達が、逆に田舎に行って、自分で野菜作ったり、薪を割ったりするようなザラザラを求めてる。「それ、どうしたの?」ということですよね。

ツルツルピカピカが駄目ということではないのだけれども、元々を忘れると何のために生きているのかが分からない。いまは金銭的な儲けで動いてる社会ですから、その中ですごく儲ける才能がある人は良いんですがそういう才能はあまり持ってない、という人も世の中にいっぱいいます。

そういう人にとっては、今度はとても窮屈です。お金の尺度で測る、効率で測る、そんな社会は生きづらいですよね。今は格差とか分断とか言いますけども、そこで生きづらいとか、こんな状況はもう我慢できないと、部屋の中に閉じ込もりたいという人が増えている。

やっぱり生き方全体がね、ツルツルピカピカしすぎたんじゃないかというような、そんな感覚で書いたんです。

<石坂>
人の多様性ということは今すごく社会的にも言われますけど、人の多様性よりも、もっと地球生命体全体のバランスというところに配慮していく社会というのが、すごく重要だなって思うんです。

人にとって最も利便性が高くて最も使い勝手の良いものは、逆に言うと非常に地球環境に良くないものだったりすることが多くて…。その辺のバランスを知恵と技術で大きくシフトする時代に変わってきているなっていうのを感じています。

建物一つにしても、色んな化学結合によって作られたモノが生まれてきていて、物質的な再生が出来なかったりするんです。こういうモノを見ると、私たち人のために枯渇資源を使って、地球にも影響を大きく与えていて、それが他の生態系にも影響を与えている。

私がファームを始めたのが4.5年くらい前で、土づくりをしていくときにも、我々にとって都合の良い経済合理性を追求していくと、土壌への影響が高くて、一体何をやっているんだ人間はって思うことがあって…。

そういう中で「ザラザラな社会」って、すごくわかり易くて、本当に人間らしさ、周りとの調和バランスみたいなものも考える機会になる世界なのかなって、なんかそういう風に読み解いていくと面白いなって思ったんです。

<加藤>
もうなんか今ので今日の対談は〆みたいな…。(笑)

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