「きみがくれた」スピンオフ『マスターの思い出⑦』
「真意」
いいように言えば、ありのままの姿を写し取ったものだ。
けれど聖に関して言えば、ほとんど俺の隠し撮りのようなものだろう。
俺はいつもカメラを持ってウロウロしていたから、仕事中の聖の写真が欲しいって女の子たちによくねだられた。
そもそも俺が遊びに行くようになる前から、工場で聖の姿を目にする事自かなりレアな状況になっていた。
あいつがあいつが作業着姿で表に出ることはほとんどなかったからだ。
いつも入口から遠く離れたガレージの一番奥で仕事をしていたし、裏の浜に降りる時も後ろの扉から出て行っていた。そこから行くのが近いっていうのが一番の理由だったのだろうけど、聖は“意識的に”表に姿を見せることを控えていた。
車のオーナーであるお客さんはもちろん、そこで働いてる整備士たちでさえ滅多に聖の姿を見ることはなかった。
ただし、“いる”ということはみんな分かっている。整備が終わった車の最終チェックは必ずボスがしていたから、最後に鳴らす大きなエンジン音がその合図になった。
けれど聖はなにも自分から率先して奥へ引っ込んだわけではない。
その身を隠しながら仕事をしていたことには理由があった。
正確には隠されていたという表現が合っているかもしれない。
単純に、ボスが面倒なことを避けるためだった。
ボスは聖のお陰でひどい目に遭ったんだ。
聖の人気ぶりはあの工場で働き始めた初日からその本領を発揮した。
整備士としてのキャリアは数年あるとはいえ、最初はあいつも新米扱いだったから、先輩の整備士にくっついて作業をしていた。
けれどすぐにボスの激が飛ぶことになる。
“おいおまえら!!ヤツを奥へ引っ込めろ!!!”
どこから聞きつけたのか、ガレージを取り囲む女の子の数は日に日に増えていった。
あいつはあんな調子で拒否もしなければたしなめることもしないから、一端囲まれてしまうと収拾がつかなくなった。
数日も経たないうちに一日仕事にならなくなることもざらになってきて、その度にボスが交通整理みたいなことをやるハメになり、自分の仕事もままならなくなっていった。
そしてボスの苛立ちは他の整備士へ向けられるようになった。
“おいおまえら!!俺はヤツのマネージャーか?!!”
“あの野郎はこれが原因で前んとこおん出されたのか?!”
“クソめんそくせぇモン引き受けちまった!!”
聖の先輩たちにしてみれば工場の周りが華やかになってうれしかったらしい。
毎日油とすす汚れた臭いに囲まれた男くさい職場だから、“デパ地下みたいな化粧品の匂い”がするようになって仕事のモチベーションが上がったのだと言う。
そんなこんなで1~2年くらい経ったある日、ボスがとうとう我慢できなくなって、聖を観客からシャットアウトした。
つまり聖をガレージの奥へ追いやったんだ。
でも今度はそのことに対するクレーム処理に追われることになってしまった。
聖を間近に見れなくなった女の子たちの反感は尋常じゃなく、聖に会わせろ、せめて時間制にしろ、自分たちと会うことをシフトに入れろ、ってそれはもうボスにしてみれば理不尽な訴えだった。
全ての女性のお客さんの不平不満がボスに集中して、猛抗議を受けたらしい。
“おいおまえら!!なんでこうなった?!!”
先輩たちにボスは助けを求めたけれど、彼らは半ばコントでも見ているような感覚でおもしろがっていた。
聖を物理的に遠ざけたものの、根本的な解決にならないどころかクレームの嵐‥一時はその対応にてんてこ舞いで、あのボスがすっかり憔悴していたという。
結局ボスは聖自身に事態を収束させることにした。
ある日の夕方、ハイエースの下に潜っていた聖のところへボスがドスドス歩いて行って、エースの側面を拳でドカスカ殴りながら、出て来い!!って怒鳴り散らした。
“おい!!この騒動をどうにかしろ!!!”
“なんでお前の取り巻きを俺が面倒見なきゃならねぇんだ!!”
その声に下から出てきた聖は、ボッコボコに凹んだ個所をじっと見ながら、
“納期‥”
“そんなもんクソくらえだ!!”
“こっちに来い!!”
聖はボスに首根っこを掴まれてガレージの外まで連れて行かれた。
(実際はボスより聖の方がだいぶ背が高いから、ボスが腕を伸ばしてなんとか聖の襟首を掴んでいた画だったと推測される。)
「あいつが女子らの前に突き出された時、すげぇ歓声が上がったんだよ」
先輩の一人がそう話してくれた。
「あいつが現れてうれしい、ってのと、ボスに対する称賛てのもあった」
先輩たちはおもしろがってその状況を見物していた。
両手に贈り物を抱えて群がる女の子たちの前に突き出された聖は、
「あいつの第一声、何だったと思う?」
「え‥“何しに来たの”とか?」
「いや、まぁ言いそうではあるよな」
「ヒントは、その一言で事態は一瞬にして終息した」
「―――……」
俺はその時、聖のあの薄い笑みを思い浮かべた。
けれどプレゼントを抱えて遥々聖に会いに来た子たちにそんな笑みを浮かべて見せたら逆効果だろうと思った。
「“大丈夫?”」
「――?」
「あいつ、期待に満ち溢れた浮かれポンチの女子らに向かって、“大丈夫?”って声を掛けたんだ」
“大丈夫?”
俺が着いた時には既に聖は女の子たちの前に突き出されていた。
ボスの真っ赤な怒り顔と聖の様子から、なんかマズイことになってるなって、遠巻きに見守っていたんだ。
“大丈夫――?”
きっとあの愁いを帯びた眼差しで、少し首をかしげて、あの声でさ――…
本人にその自覚は全くないと思うけど、あれはやっぱりズルいっていうか、ある意味卑怯だと俺も思った。
“あのうるさい女どもがこぞって魂抜かれちまったみたいに黙りこくってやがった”
ボスは事態が終息したにも関わらず、いけすかねぇってぼやいてたっけ。
その一件があってから、誰が言い出したのか聖に寄せられた贈り物は帳簿に残されるようになった。持って来た人の名前と、聖に渡した人の名前を書いて、チェックするっていうシステムが出来上がった。そうすることで、女の子たちには“ちゃんと本人に渡してる”っていう証拠になるし、今までみたいにボスが手を焼くこともなくなった。
まぁでも彼女たちにしてみれば聖に直接会えないっていう不満はあるから、中には突然感情が爆発しちゃって無理難題を言い出す子もいたみたいだけど。
あの時の“大丈夫?”のイミを先輩たちはよく分からなかったみたいだけど、すっかり鎮静された女性たちにはもちろん伝わっていた。
高級な贈り物の数々、わざわざ遠くまで会いに来てくれたこと、費やしてくれるお金と時間。あの言葉の裏には、彼女たちの大切なものを、自分なんかに捧げてしまって大丈夫なのかって、きっとそういう意味も含まれていたんだ。
そのことを、そこにいた全員が一瞬で理解した。
俺はそのシーンを目撃して、改めてこれがやつのカリスマ性かと感心した。
もちろん本人にそんな自覚は欠片もない。
あいつの無自覚なところに出くわすといいこともあった。
いつだったか、黒のコルベットが入ってるってボスに教えてもらって、俺はガレージの外に探しに行った。
歩道に面した空地に留まっていたその車のボンネットに、聖が浅く腰掛けてタバコを吸っていた。
空は青くて、風も心地よくて、聖のリラックスしたその感じがすごくサマになってたから撮らせてって言ったら、あいつは珍しくクスリと笑った。
俺がなんだよ、って顔で見返したら、あいつはそのままタバコを口元に運んで、斜め上を向いて、すーっと白い煙を吐いて…――
その姿がさっきよりもっとイイカンジで、俺は思わずシャッターを切った。
遠くの真っ青な海を背景に、高級外車と整備士の青年、白く立ち昇る細い煙――まるでタバコのCMのような写真が取れた。
偶然にもその日は取り巻きの子が一人もいなくて、だから聖もそこにいたのかもしれないけれど‥
作業着姿にタバコにコルベットだなんて女の子が喜ぶ3点セット、しかもガレージの入口で‥なんて無自覚なって思う所だけど、でもあいつのそういうなんにも考えていなそうなところが、俺は好きなんだ。
そういえば、結局なにがおかしかったのか教えてくれなかった。
”この車聖がやるの?”
”どこが故障してるの?”
俺はさっき聖が笑ったことをそれ以上は聞けなくて、答えてもらっても分からないような質問ばかり繰り返した。
”めちゃくちゃ高そうだな”
”高級車って、でも緊張する?”
俺の質問を止めさせるためだったのか、時間切れというイミだったのか、
”知らない”
最後にそう言って聖はガレージへ戻って行った。
俺もコルベットもなんだか捨てられたみたいに思えて、仕方ないから青い空を撮った。
今度俺のバイクの整備もお願いしてみよう。
そんなことを考えていた。
俺が聖に再三言っていたのは、“もっと食え”ってことだった。
あいつはほんとにろくに食事をしないから、俺は差し入れにカロリーが高そうなものばかり持って行った。
ある時、俺がパン屋の紙袋を持ってたら、普段は大して興味も示さないくせに、
“あんぱん?”
“―え、…いや、カレーパンだけど”
“――…”
あの顔、ああいうところがほんとズルいと思う。
あんなカオされたら、誰だって次は絶対あんぱん持って来ようって思う。
あの時初めて俺は聖が甘党だってことを知ったんだ。
あんぱん?って聞いた時のほんのちょっぴりだけ期待したような表情が、違うと分かって今度はほんのちょっぴりだけ、ひゅっと残念な空気を帯びた‥
分かりやすいんだか分かりにくいんだか、分かりゃしない。
ほんと、あいつのギャップ萌えには参ってばかりだった。
まさかあいつが甘いもの好きだったとはね。
これは外部に漏らさない方がいい。
各地から甘いものが押し寄せてくるに違いないから。
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