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「きみがくれた」スピンオフ『マーヤの思い出⑭』

「秋桜祭」


 僕らの高校は毎年秋に文化祭がある。
 そのステージで、霧島が貴博のバンドでギターを弾いたことがあった。
 
 貴博は1年生の頃から和馬と尚くんとマサくんと4人でバンドを組んでいて、秋桜祭のステージに立つことを目標に頑張っていた。
 そして2年生でその夢が叶った。おまけにずっと勧誘していた霧島と、ヘルプとはいえ同じメンバーとして一緒に演奏できたんだ。

 秋桜祭ではクラスごとに準備する出し物の他に個人参加のステージがあって、昼の部と夜の部を合わせてたったの4組しか枠がなかった。
 その少ない枠をかけて、毎年春にお祭りみたいなくじ引き大会があって、2年生の時にメンバーの尚くんが当たりくじを引いた。しかも貴博念願の後夜祭、”悲願の大トリ”だったんだ。尚くんは一気に貴博の恩人になった。
 貴博にとってそのチャンスは最初で最後になるかもしれない一大イベントだった。

 けれど秋桜祭当日の朝、ベースの和馬が左手をケガしちゃったんだ。
 すぐに和馬の代役を探さなきゃってことになって、貴博は1秒も迷うことなく霧島に頼むことにした。

 その日貴博は霧島を探して朝から学校中を駆けずり回っていた。
 貴博にとっては今年のチャンスを逃すわけにはいかなかったんだ。
 
 僕は午前中は自分のクラスでお化け屋敷の受付当番の時間で、走って来た貴博がものすごい形相で「霧島はどこだ?!」って聞いてきて、

“知らないよ”
“知らねぇわけねぇだろ!”
“おまえが知らないなら他に誰に聞きゃいいんだっ!”
って。
 その日は僕もまだ一度も霧島を見かけてなくて、だからほんとに知らなかったんだ。
 そもそも霧島が秋桜祭の日に学校に来るはずないじゃない?だから僕、探しても無駄だと思うよ、って言ったんだ。

“和馬がケガしちまったんだ!”
“代役は霧島にしかできねぇんだよ!”
“あいつがいなきゃ困るんだよ!”って言い捨てて、貴博は廊下を走って行っちゃった。

 
 貴博がギターを始めたのは霧島の影響だった。
 中学の頃、霧島のピアノの腕がプロ級だって噂が学校中に広まっちゃった時、霧島はまるで自分のことじゃないみたいに我関せず、って感じだった。    
 でも僕はみんなにもっともっと自慢したいくらいうれしくて、つい貴博に、霧島はピアノだけじゃなくてギターも耳コピできるんだよって話しちゃったんだ。そしたら貴博、自分もギターやりたいって言いだして、霧島に教えて欲しいって何度も何度もお願いしてた。でも全然相手にされなくて、貴博は僕にも霧島に掛け合ってくれって頼みに来たんだけど、霧島はもともと誰かに習ったわけじゃないから、人に教えるのとかは苦手なんじゃないかって言ったんだ。けど貴博はどうしても霧島と一緒にやりたかったみたいでね。その後も何回もチャレンジしては突っ返されてたっけ。
 貴博はとにかく霧島のギターを聴きたがっていた。僕がバラしちゃったせいで霧島はかなり迷惑そうにしてたけど――でも仕方ないよ。だって、霧島って本当にスゴイんだ。僕は霧島がどれだけスゴイかって誰かに話さずにはいられなかった。

 霧島は中学の入学祝いにばばちゃんから古いアコースティックギターをもらったんだけど、学校朝礼で流れるBGMを聴いただけで、しかもアコギの経験もないのに、たった2か月でその曲を完コピしたんだ。
 貴博は僕のウソみたいな話を全部信じてくれた。

 貴博は昔から霧島のことが大好きで、きっとずっと憧れの存在だったんだよ。
 だからあいつは、霧島と同じ高校へ行くために“ナイキの数学”と“ザマスの英語”の“スパルタ特別講義”を受けながら、“血尿出すまで毎日必死に猛勉強して”、“7キロも痩せて”、“頭にいくつもストレスハゲつくって”、 “名門・超ジーニアス高校・藤桜”に“虫の息で”滑り込んだ。
 高校生になって霧島が自分のことを全く知らなかったと分かった時は沼の底に沈んだように落ち込んでいたけれど‥あれは本当に気の毒だったなぁ。

 そんな貴博は、だからあの時は文字通り必死だったんだ。

 そしてもちろん、貴博の夢の実現は容易じゃなかった。

 午後になっても貴博は霧島を探し回っていた。
 霧島がどこにもいない!って、汗びっしょりになって探してた。最後に僕のクラスに来た時なんかはもうほとんどパニック状態だった。

“霧島はどこだ?!”
“霧島を出せ!!”

って、どこを探してもどこにもいないし、誰に聞いても誰も目撃していないんだって。
 その後ろから走って来た和馬を見たら、あまりにも憔悴した顔をていてね。ケガで一緒に演奏することができなくなって、自分のせいでバンドのメンバー全員のせっかくのチャンスがダメになるかもしれないって、酷く悔やんでいた。和馬はほとんど泣きべそ状態で、何度も何度も自分のせいで、って言っていて、すごく責任感じちゃってて。貴博はあんなカンジだし、僕は和馬のために、ダメもとで一緒に探してあげたくなったんだ。

“和馬、手、大丈夫?”

“そんなこといいからとっとと霧島んとこ連れてけ!!”

 もう貴博はヒステリーを起こしててさ、僕は午後からクラスでオバケ役をやることになっていたんだけどね。

“バケ役なんかおまえじゃなくてもできんだろーが!!”
“そんなこと言ったって当番で決まってるんだよ”
“わぁったよ!おい!C組ども!!夏目の代わりに誰かバケやっとけ!!”
“これでいいだろ?!行くぞっっ!!”

 ほんと強引なんだからさ、貴博は。


                ◆


 いるとしたら屋上かな、って僕が言った途端に貴博がダッシュで廊下を突き抜けて行ってさ、僕も大勢の人混みをかき分けながらなんとか貴博について走った。

“霧島を説得してくれ!頼む!!”
“おまえが言えばやってくれるだろ?!”

 走りながら貴博は僕に向かって大声で叫んでた。

 屋上に続く階段の踊り場で貴博は足を止めた。
 追いついた僕に貴博は改めて「頼むぞ」と念を押した。
 なんだかすさまじい眼力だった。それに気迫満点の熱量。
 でも僕は、和馬次第じゃないかな、って言ったんだ。

 僕は貴博に両腕を掴まれた。すごい力で!

“なんだよ!今カズは関係ねーだろ?!”
“100パーおまえの説得次第だろうが!!”

“全ては夏目、おまえにかかってるんだ!!”

 貴博の言い分に、僕は内心、先が思いやられるなぁと思っていたんだ。

 
 思った通り、霧島は屋上の柵の下にもたれてぐっすり眠っていた。

 でもまさか文化祭の日に学校に来るとは!って、あの時僕は思ったんだけど、あいつなりにちゃんと理由があったんだ。
 笑っちゃうよ、霧島は秋桜祭の日を間違えてたらしいんだ。
 後から聞いたら、お昼前くらいに学校に着いて、校門の様子がいつもと違うなぁ‥と思いながらも、うっかり中に入っちゃったんだって。それでみんな何をしてるんだろうとぼんやり歩きながら眺めていたら――ほら、あいつ目が悪いから、みんなが何をしてるのかはっきりとは見えたなかったんだよね。
 それで、あれ、と思った時にはもう手遅れだったって。

 霧島が校門に引き返そうとしたその時、昇降口から“バカみたいな大声”が飛んできたんだって!
 霧島に向かって“怪物みたいな”柳先生が一直線に“激走”してきて、
“霧島ああああああぁぁぁぁぁ!!!!”って、その雄叫びに足がすくんだのが“命取り”だったって!

“マジ怖ぇ”
“一瞬だった”
“足速すぎ”
だってさ!!

 あいつソッコー捕まったんだって!
 柳先生ってね、学生時代は陸上の選手だったんだよ。砲丸投げのだけど!

“あいつの激走マジトラウマ”
“しかもオンボロのゲタであの速さ‥ヤベぇだろ”

 先生は名のある陸上の大会で短距離の選手を差し置いてリレーの選手に選ばれてたんだって!ラグビー部並みの体格であの俊足なんだからすごいよね!

“ゲタの底をスパイク扱いできる脚力”だって、霧島はぼやいてた。

“バケモノ”
しかも大声選手権優勝・殿堂入り!!

 柳先生に捕まった霧島は、“おまえはクラスの看板息子だろうが!”って首根っこ掴まれて、

“こういう日くらいクラスに貢献せんかぁばかたれがぁ!!”
って強制連行されたんだって。
 砲丸投げでメダル保持者な上に、重量挙げも階級保持者だなんて、柳先生からは絶対逃げられないよね!

 霧島と同じクラスだったマスオに聞いたら、E組はクレープ屋さんをやっていて、しかも男子が女装してウェイトレスをやるっていうコンセプトだったんだ。そんなのあいつがやるわけないよ!
 霧島は文化祭で自分のクラスが何をやるのかさえ知らなかったんだけど、柳先生に無理やり教室の中へ押し込まれた後、もちろん隙を見て抜け出した。
 マスオが言うには、柳先生監視のもと無理やり押し付けられたコスプレ用の制服も、霧島は”直ちに”その辺に放ぽって、”クラスの女子全員の期待に満ち満ちた目を完全スルーして”出て行ったんだって。
 もともと霧島は当番にも入れてなかったって、マスオは笑ってた。

“けどまぁうちの女子‘sは実際、底知れない期待に踊りまくってただろうけどね”

 貴博が霧島を探していた時間に、実はマツミナもその日の朝からずっと霧島の行方を追っていたらしいんだ。こんな一大イベントの日にシャッターチャンスを逃す手はない!ってね。
 マツミナは霧島のクラスが何をするかしっかりリサーチ済みだったから、霧島の女装姿を“今までの教師生活すべてをかけて”、“この世の使命と受け止め必ず成し遂げて見せる”って豪語してたらしいよ。
 マスオが霧島は来てないって追い返しても、
“舘君、そのコスチュームをひとセット僕に預けてもらうわけにはいかないだろうか”
なんて言って、“あわよくば霧島発見と同時に公開早着替えさせる気だったんじゃないか”ってマスオは分析していた。
 ほんとマツミナって笑っちゃうよね!
 するわけないじゃない、霧島がそんな恰好!
 貴博が来る前にマツミナも僕のクラスに探しに来たけど、僕はもう笑うだけ笑わせてもらったよ。マツミナのヘンな使命感に燃えた顔がおっかしくておかしくて!
 マツミナが僕の写真も撮りたいって言うから、お化け屋敷の入口に立ったら、
“夏目、ドラキュラかキューピッドになってくれないか”
“魔女でもいいか‥うーん、あぁ!小さな子供でもいい!お菓子をたくさん持っているところを撮りたい”
だって!
「先生、ハロウィンじゃないよ」って僕が言ったら、
“それがどうした、誰か夏目にかわいい服を着せてくれ”
なんて言い出す始末で‥マツミナってほんとおもしろいんだ。


けれどこの時“女装の難”を逃れた霧島は、その後それ以上の災難に遭うことになる。


 柳先生の目をかいくぐって、やっと屋上まで逃げてきて、安心してでぐっすり眠っていたところにさ、今度は熱血貴博の登場だもの!
 あいつ、あからさまに不機嫌な顔してたなぁ!

 目の前に突然現れためちゃくちゃいきり立った貴博の顔に、霧島は僕に無言で
「ナニコイツ」と聞いてきた。

“貴博がね、お願いがあるんだって”
“ヤダ”

 間髪入れずの、ヤダ!そりゃそうだよね、あの時の貴博完全に“出来上がっちゃってた”もの!
 僕はやっぱりね、って感じで それ以降は少し下がって見守ることにしたんだ。

“てめっ…即答すんじゃねえ!”
“夏目!おまえが言ってくれんじゃねぇのかよ?!

 貴博は目を血走らせて僕に詰め寄ったけど、僕は「自分でお願いした方がいいと思うよ」って言ったんだ。

“頼むよ霧島!おまえしかいねぇんだ!!”
“最初で最後かもしれねぇってのにカズがケガなんかしやがってよ!!”
“このままじゃオレたち出れなくなっちまうんだよ!”
“今から代役できそうなヤツ他にいねぇんだ!!”

 貴博はもちろん一生懸命だったんだよ。
 高い倍率の中、やっとつかんだチャンスだったし、リーダーとして他のメンバーの気持ちも背負ってたと思うしね。あいつなりに、自分がなんとかしなくちゃっていう強い想いがあったんだと思う。

“おまえじゃなきゃダメなんだ!”
“他のヤツには任せらんねぇんだ!”

 貴博は寝起きの霧島にそれは必死で頼み込んでたよ。
 霧島は起き抜けに“めんどくせぇ案件”を“叩きつけられ”て、だけどただじっと貴博の訴えを聞いてあげてた。すごぉく眠そうにしながらね。

“霧島!おまえならできる!!”
“今からでも後夜祭に間に合うよ!!”

 貴博はそう言い続けながら、離れたところでベソかいていた和馬に怒鳴りつけた。

“おいカズ!!そんなとこ突っ立って泣いてねぇでおまえも何とか言えよ!”
“全部おまえのせいだろうが!!”

 和馬はね、自分はもうダメだって思い込んじゃってたから、口出ししない方がいいって思ってたんだよ。だけど貴博にはその態度が気に入らなかったみたいで、そのうち和馬を責め始めてさ。

“おまえがしっかりしてねぇからそんなケガしやがってオレらのバンドが出れなくなんだぞ!”
“当日にケガとかあり得ねぇだろ?!”
“今日のためにどんだけ練習してきたと思ってんだよ!!”
“おまえのせいで全部パアだ!!”
“おいカズ!黙ってねぇでおまえも頼めよ!!”

 そして貴博は泣きじゃくる和馬の腕を引っ張って霧島の前に突き出した。

“ほら!ちゃんと頼めよ!!”
“おまえが悪いんだぞ分かってんのか?!”
“自分のせいでこうなってんだろうが!”

 和馬は起き抜けの霧島に目を落とし、泣きながら左手首の包帯を隠すようにしていた。

“――ごめん‥、霧島…ごめん―――”

 和馬は霧島の前に立たされて、ずっと謝っていた。
“僕のせいでこんなことになっちゃって”、“僕のせいでこんなお願いをすることになっちゃって”って――。

“ギターならまだしも――ベースをやって欲しいだなんていくらなんでも無茶だよね―”

 この和馬の一言が、貴博の怒りを暴発させた。

“バカかてめぇはっっ?!何言ってんだよ?!”

 貴博は和馬の肩を突き、その拍子に和馬はよろけて腰をついた。

“てめぇ自分の立場分かってんのか?!”
“そんなこと言ってこいつがやんなかったらどうすんだ!!”
“余計なこと言ってんじゃねぇよクソが!!”
“おまえはてめぇの代わりのことだけ考えてりゃいいんだよ!!”

 僕は和馬の体を抱き起して、貴博に言ったんだ。

“落ち着けよ”
“和馬はケガしてるんだよ?”

 でも貴博は全然聞く耳を持たなかった。

 和馬はね、霧島に貴博の横暴さをまず謝りたかったんだと思う。
 自分の代わりを、今日の今日でお願いすることじゃなかったって。
 それに、なんてゆうか、唐突すぎたしね‥霧島はサボっていたとはいえ、気持ちよく寝てたんだから。そこへ突然乗り込んで行って、自分が言いたいことだけ言って‥っていうさ。
 ただ、貴博も後がないっていうか、とにかく必死だったからね。むしろ今日の今日でそれができるのは、霧島しかいないって。

“こいつならできるに決まってんだろ?!”
“つかやってもらわなきゃ困るんだよ!”
“他にいんのか?!おまえ知ってんのかよ?!あと何時間かで完璧に弾けるようになるやつ!”
“いるならここに連れて来いよ!!”

 それでしばらくは貴博が一方的に和馬を責めて、和馬がたまに言い返して、さらに貴博がヒートアップしていくっていう‥収拾がつかない感じになっちゃってね。
 僕はもう、側で見てるしかなくて。

 霧島はその間、座ったまま柵に寄りかかって‥あれ多分、半分眠ってたかもしれないな。

“僕だって霧島しかいないって思ってるよ、霧島ならきっとできるって思ってる”
“でもさ、霧島は確かに凄いけど、なんでもできるけど、――きっとベースだってすぐに弾けちゃうだろうけど…でも、それとこれとは別っていうか、なんていうか―――”

“はぁ?何がだよ?!どこが別なんだよ?!”
“だから、だろうが!だから霧島に頼んでんだろ?!”
“わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!!”

“霧島はさ、前に貴博が僕らのバンドに誘ったとき、嫌だって断ったじゃない”
“ベースを弾いて欲しいってお願いする以前に、ステージに立ってもらうっていうのがさ‥霧島には無理なお願いなんじゃないかって思ったんだ”

“だから!!おまえ全っっ然わかってねぇな!!”
“そんなもん全部ひっくるめて頼んでんだろうが!!”
“おまえは余計なこと考えてねぇで今夜オレらのバンドがステージに立って演奏が成功することだけ考えてりゃいいんだよ!!”
“そのために何をしなきゃなんねぇかってハナシだろうが!違うかよ?!”

“うん、うん、それはもちろんそうなんだけど、でも――”
そして貴博は和馬の背中を掴み、後ろへ突き放した。

“もういいよ、おまえもういらねぇ”

“貴博――”

“もう黙っとけよ”
“マジでなんもわかってねぇな!!”
“そんなんだから大事な当日に朝っぱらからケガなんかすんだよ!!”

“ううん、分かってるよ!分かってる、けど霧島に申し訳ないなって…”
“あぁ?!だったらオレらには悪くねぇのかよ?!てめぇのせいでステージ踏めなくなるオレらはどうでもいいってのかよ?!”

“悪いと思ってるよ、もちろん、本当に申し訳ないと思ってる、当たり前だろ、でも――”
“でもでもうるせえよおまえ!!いい加減にしろよ!!もう何も言うな!口を開くな!!そこで黙って立ってろ!!”


「おまえが黙れ」


 貴博のボディに霧島の一撃がキマった瞬間だった。

 あの一喝はスゴかったなぁ‥!
 霧島はあの一言で、見事に貴博の怒りを封じ込めたんだ。

 頭から湯気をシューシュー出して、真っ赤になって沸騰してたやつが、一瞬で顔色を変えた。
 あの時の貴博の顔‥!
 サァーーー………って音が聞こえるくらい一気に青ざめていったんだ。

 僕はそろそろ怒られるだろうなとは思ってたけどね!


“和馬”
 霧島は眠い目を開き、貴博の隣で泣きべそをかいている和馬を見上げた。

“和馬はどうしたいの”

 呆気に取られている貴博をよそに、霧島は和馬の言葉を待った。

“――僕は…――”

 和馬は涙ながらに霧島に言った。
 自分のせいでバンドが出れなくなるのは本当に申し訳ないと思ってること、せっかく当たりくじを引いてくれた尚くんにも申し訳ないということ、そのチャンスをムダにしてしまうことになったらどう償えばいいのかわからないということ。
 だから霧島が代わりに出てくれたらすごく有難い、バンドのメンバーにはこの機会を逃してほしくない、だけど僕のせいでそんなことになるのは本当に…、でも――。

 霧島は口をつぐんでしまった和馬に今度はこう尋ねた。

“おまえは出なくていいの”

 最初で最後のチャンスかもしれないっていうことは、ケガで演奏できない和馬にとっても、辛いことだったからね。

“僕――?”
“僕は、だって…このケガだし…それより僕のせいで他のメンバーにも迷惑かけて、本当に申し訳ない…――”

 貴博はその二人のやりとりに黙っていられなかった。

“こいつか出れねぇから頼んでんだろ?!”
“今そんなことカンケーねぇだろうが!!”

 でも貴博は、霧島に一瞥されてすぐに黙った。

“だって、無理だよ‥この指じゃ…”
 和馬はやっと自分の左手を霧島に見せた。

“俺も無理、ベースなんか触ったことないし”

“そんなこと、霧島ならできるよ!きっと僕なんかよりずっと上手に弾けるよ!”

 そこへまた貴博が凝りもせずに割り込んでさ!

“そうだぜ霧島!おまえならできる!!つかおまえにしかムリだ!”
“今からでもちょちょっと練習すりゃこいつなんかより俄然ウマくなるって!”
“ベースなんかギターに比べりゃチョロいモンだぜ!”

「ならおまえがやれよ」

 あの時の貴博の顔――…!!

“―――え?”
って、まさに“鳩が豆鉄砲を食ったよう”だった。

“おまえの代わりは俺がやる”

“はぁ?うちはオレがボーカル&ギターだぞ?!ベース弾きながらなんて歌えねぇよ!”

“唄は和馬が歌う”

“はっ…なんだよそれっ…?!”

“ちょ、まって霧島!僕、人前で唄なんか歌えな…――”
“ったりめぇだろそんなん!めちゃくちゃじゃねぇかよ!!”

 貴博めちゃめちゃテンパってたなあ!僕側で聞いてておもしろくなっちゃって、思わずぷぷーーって吹き出しちゃったよ!

“納得いかねぇ!”って言い張る貴博に、霧島は“不満なら出なきゃいい”って、でもそれは“和馬のせいじゃない”って。

「おまえが、おまえの意思で決めたことだ」

“――っそんなっ…なんだよそれっ…!!”
“理不尽だろう?!”

 貴博は“ひでぇよ”とか“あり得ねぇ”とか“鬼”とか“悪魔”とか散々言ってたけどね、霧島の提案のせいでこの事態をそれ以上和馬のせいにもできなくなっちゃって。
 一人で“わけわかんねぇ!”“なんでこーなるんだ!”ってもがいてたっけ。

 あの時、霧島は和馬を一方的に責めていた貴博を非難することは一度もなかった。
 それはきっと、分かってたからだと思うんだ。貴博がバンドにかける情熱も、秋桜祭の舞台に立ちたいっていう想いも。来年もチャンスはあるって分かっていても、やっぱし競争率が高すぎるし、もしかしたらこれが最後かもしれないって思えばやっぱり諦めきれないよね。
 僕はこう思うんだ。
 霧島はね、もしあのまま自分が和馬の代役を引き受けていたら、和馬はこの先ずっと、自分自身を責め続けることになるって分かってたんだ。
 それに、貴博だけじゃなく、和馬にだって舞台に立ちたいって強い気持ちはあったはずで、自分のケガを一番後悔してるのは多分和馬本人で、だからきっと、その気持ちも汲んであげたかったんだ。

 そうそう、それにね、和馬は唄が大好きで、実はすごく上手いんだ。
 でも、多分だけど、和馬のことだから自分からボーカルやりたいなんて言ったことなかったんだと思う。人前で歌うのも恥ずかしいって言ってたしね。
 けど、半ば無理やりみたいな形になっちゃったにしても、和馬がみんなの前で唄を歌うチャンスとか、バンドのメンバーと後夜祭に出たいっていう気持ち含めて、霧島はあの提案をしたんだろうなって思うんだ。
 霧島はあの少しの時間で、貴博がぎゃーぎゃーわめいてる中でも、冷静にそこまで考えていたんだなぁって、僕はとってもうれしくなったんだ。

 あの場で冷静だったのは霧島だけだった。

 霧島の提案に対して貴博に選択の余地は少しもなかった。
 和馬はほっとしたのか本格的に泣き出しちゃうし、貴博は叱られた子供みたいに下向いて黙っちゃって、さっきまでの威勢が吹き飛んじゃったみたいだった。貴博が霧島の“理不尽”な取り決めに納得いかずに嘆いてるのを僕は横でずっと笑っていた

“夏目!おまえ笑い過ぎだぞ!!”
“あはははは!だって、あはははは!!”

 そのうち霧島がこんなことを言い出した。

「俺、‘福福庵’の‘絹ごしカスタードプリン’と、‘綿帽子’の‘Wクリームシュークリーム’」
「和馬は?」

“え?”

「和馬は何にする?」
 霧島は戸惑う和馬に“おまえ甘いの好きだろ”と言った。

“――え、えっと…お菓子?”

「なんでもいいよ、なにがいい?」

“――うん…、僕は…ロールケーキ、好きかな…あの、真っ白い、ふわふわの…――”

「‘マリエ・パティスリー’の‘天使のホワイトクリスマス’?」

“そうそう!確かそんな名前だったかも…”

「あとは?」
“――え?”
「他には?」
“――あ…うん、あとは――チーズケーキ、かな…あの…3層構造になってるやつ…とか”
「‘パウダースノータイム’?」
“そう!それ!”
“一番上がスフレっぽい、しっとりした感じで、2段目はクリーミーなレアチーズで、一番下が濃厚なベイクドチーズで、土台がサクサクのタルト生地で…――全体的にしっかりチーズなんだけど、その3層のバランスが絶妙で、口に入れるとスっ‥て溶けちゃうくらい軽くて、何個でも食べれちゃうんだよね!”

 和馬は霧島の不意の質問に泣き顔のままそれでもうれしそうに答えていた。

「あとは?」
“えっ?まだ…?――あとは…、あとは――”
「ベリーのタルトは?」
“ああ!そうだね!今旬だもんね!”
「‘ジュエル・エンジェル・ダンス’」
“ああ、それ!キイチゴとイチゴのムースが2層になってて、その下がペカンナッツ入りのちょっと硬めのタルトなんだよね!キャラメル風味の!”

 霧島と和馬のやりとりに、貴博が不服そうに口を挟んだ。

“おまえらさっきから何の話してんだよ!さっさと練習行かねぇと間に合わなくなる‥”

「決まってるだろ、報酬だよ」
“は?”
「おまえが俺たちに払う、報酬」
“なっ…?!――はぁ?!なんだよそれ!!俺たち?!つかおまえこいつにも聞いてたろ?!”
「うん」
“うん、じゃねぇよ!!なんでだよ?!むしろカズがオレらに払うべきだろ?!つか報酬じゃなくて謝礼だろ?!”

“霧島、僕もさすがにそれは…――”

“フザけんなよ!悪いのは全部コイツなんだからコイツに全部おごらせろよ!詫び代だよ詫び代!落とし前だよ!!”
“オレと、霧島と、ナオとマサにも!!”
“カズ!!オレは菓子よりメシだ!今日から1週間昼メシ全部おごれよな!!”

「黙らないとグレード上げるぞ」って、霧島、真顔で言うんだもんなぁ!

“貴博、霧島ほんとにすっごい高級なお菓子にも詳しいから気を付けた方がいいよ”
 
 僕はお腹を抱えて笑いながら忠告した。

「和馬、あとは?」
“――いや、あの…”
「‘和紅堂’の和栗のモンブランと紅さつまいものタルトプティング食べたことある?」

“おいコラ霧島!なんなんだよいったい!ワケわかんねぇ!!”

 あいつとうとう僕に、“おい夏目!おまえあいつに通訳しろ!”って!
“あのヤローオレの言葉がわかんねぇらしい!”
“オレもあいつの言ってることがサッパリだ!”
って!おもしろすぎるよ!

 最終的に、霧島が指定したお菓子はなんと全部で10種類!そのうち6個が和馬ので、2つは僕のだったんだから笑っちゃうよ!

“だって貴博が和馬のことワルモノ扱いするからだよ!”
“…っオレはべつにっ…!”
“だからってなんでオレがそんなバカ高けぇ菓子なんかおごんなきゃなんねぇんだ!”

“夏目、ごめんね”
“E組大丈夫だった?”

“カズ!!おまえはそんなシンパイしなくていいんだよっ!!”

 貴博は“思いがけず”ベースを教えてもらわないといけなくなったから、
“おまえはオレの心配をしろっ!!”って、和馬に八つ当たりしていた。

 あの時、考えてみれば霧島自身の気持ちはひとつも尊重されていなかった。
そのことには誰も気づいていなかった。
 和馬も言ってたけど、霧島はステージに立つことなんか絶対に嫌だったと思うんだ。それまでギターだって僕以外の人の前で弾いたことなかったしね。

 あれは霧島にしてみればほとんど罰ゲームみたいなものだったんだ。

 そして実際、霧島はこの後、まさに“災難”、“リアル罰ゲーム”を“これでもかっていう程”受けることになってしまう。

                ◆

 それから全員で軽音部の部室に集まって、それぞれが練習を始めた時には午後3時を回っていた。

 後夜祭が始まるまでそんなに時間もなくて、貴博はカンタンだと言っていたベースを和馬に教わりながら、猛特訓するハメになったんだ。
貴博はまさしく、踏んだり蹴ったりだった。けど霧島に“自業自得”って一言で片付けられてたっけ!いつもの威勢はどこへやらで、ほんとにおもしろかったんだ、

 でもさ、そんな貴博も内心はうれしい気持ちの方が大きかったと思うよ。
計画通りにはいかなかったけど、むしろ自分が大変な目にあう結果になったけど、貴博は中学の頃から大好きだった霧島とずっとバンドをやりたがっていたし、思いがけずその念願が叶うことになってさ。
 練習中は霧島のギターも目の前で聴けて‥しかもエレキギターだよ!僕だってあの時初めて聴いたんだ。
 霧島、本当にかっこよかったなぁ!!アコギも大好きだけど、迫力が違うんだよね、エレキは!ギュイイイイイイイイーーーーーンってさ!こう、胸の奥までズンズン響く感じがたまらないんだ!!
 霧島って、本当になんでもできちゃうんだ。すごいよねぇ!

 僕は皆が練習している様子を正面から見ていたんだけど、まるで観覧席にいるみたいだった。
 和馬にベースを教わる間、貴博は霧島のことが気になって仕方ない様子だった。始終、和馬に“貴博、聞いてる?”とか“よそ見ばっかしてないでちゃんとやってよ”とか言われてた。
“ねぇ、間に合わないよ?”って、あの温厚な和馬がちょっと強めに貴博を叱ってるのもおもしろかったなぁ!
 終いには“霧島もうエレキは大丈夫じゃない?”って、霧島から楽器を取り上げる始末だったよ!霧島が音を出すと貴博が集中できないって言ってね!

 
 あの年の秋桜祭は僕にとってすごく楽しかった出来事の一つだった。
 けれど霧島にしてみれば貴博のバンドに参加したばっかりに、その後の高校生活自体が“リアル罰ゲームと化す程”“最悪の事態”を招いてしまい、霧島は“結果的に一番の被害者となってしまった”。

 最悪の事態…「あれは間違いなく失態だった」って、霧島は後悔してた。

 あの日、後夜祭でマツミナが撮った写真が、まるで本物のメジャーバンドのジャケット写真みたいだって、女子の間で大騒ぎになっちゃったんだ。
 あの時のマツミナも相当本気モードだったからね。昼間は霧島の女装写真も逃してたし!

 霧島が貴博たちのバンドに参加することは誰にも言ってなかったはずなんだけど、なぜか、事もあろうかマツミナの耳に入っちゃったらしくてね。
 後夜祭のステージに上がるグループ全員の控室になっていたレクリエーションルームにいきなりマツミナが入って来てたんだ。満面の笑みで、興奮気味に“写真撮らせて!”って。

 マツミナはすぐに霧島を見つけた。そして霧島目指して一直線!
 迫るマツミナ、逃げる霧島、追いつめるマツミナ…結局、霧島は無理やりセンターに立たされた。
 あいつ本当に嫌そうで、だから顔をこう背けるようにして立ってて、それがまた逆にイイカンジに斜に構えたように写っちゃったんだ。
 隣にいた貴博も、後ろに立ってた尚くんも和馬のしゃがみ方とかも、マサくんはちょっと髪をかき上げてなんて言われたりして、みんなマツミナにそれっぽくポーズとらされちゃって。
 和馬なんか包帯まで“いいねぇ!それ!”とか言われてたっけ。

 もちろんマツミナは後夜祭の後もカメラを手に霧島を待ち構えていた。

「あいつマジでヤベぇよ」
って霧島が言うのも無理もない。

 マツミナはカメラ越しに“その疲労感がたまんないね!”とか“超色っぽいよ!”とか声を掛けながら、みんなは言われ放題、され放題って感じだった。
なにせメンバー全員、ほんとに疲れてたから、もう抵抗する気もないって感じで全部マツミナの言いなりにさせられちゃってね。

 大喜びだったのはマツミナで、写真が職員室前の廊下に張り出された途端に“マツミナ・グッジョブ!!”コールが一斉に響いたんだ。職員室前なのに!
マツミナに言わせれば“前代未聞”の大騒ぎになっちゃったんだって!
「使命は果たされた!」「教師冥利に尽きる!」ってガッツポーズしていた。

 マツミナの写真は欲しい人全員に焼き増しされて、あのバンドメンバーの写真はダントツで一番人気だったんだって。
 その写真のせいで霧島の人気にますます火がついちゃって、1年生までキャーキャー言いやすくなっちゃったみたい。

 霧島はマツミナの“仕業”にお手上げ状態だった。
 文化祭が終わってもその騒動は止む気配もなく、霧島はますます居場所をなくした。
 それは僕にも責任があったんだ。そもそも貴博に霧島の「スゴイところ」をバラさなければこんなことにならなかったかもしれない。


“ごめんね、霧島”
“僕が貴博に言っちゃったから”

 でも霧島はふふん、と満足そうに頬杖をついた。
 
 そして、

「いい口実になる」

って、口の端で笑った。

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