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「きみがくれた」スピンオフ『マーヤの思い出⑪』

「電車通学」


 霧島は電車が苦手だった。
 僕らの高校は深森から2つ目の駅の藤の森にあって、僕と一緒に学校へ行かない日、あいつは休むか2駅分の道のりを一人で歩く。歩いたら片道1時間以上かかる距離を一人でだよ。大抵は大遅刻になって、でも授業中に教室に入るのがイヤだから、結局そのままサボり場に行くんだ。
 ほんと、あいつらしくて笑っちゃう。

 高校でも霧島は相変わらず授業もろくに出ずに、大抵は生物室とか、晴れの日は屋上にいた。生物室の準備室は僕も大好きだった。あきちゃんのコレクションがたくさんあったし、あきちゃんの植物や魚や小さなエビの話がおもしろかったから。

 亮介さんに言わせれば“超絶アタマイイ高校”に入学できた僕らはそれだけで“信じがたい事実”なんだって。でも、“万年サボり野郎”の霧島が“トップオブトップ”なことには“異次元過ぎてワケ分からん”って言っていた。
“トップオブトップ”っていうのは、藤桜が“アタマイイ高校”っていうことと、その学校の中で霧島の成績がトップっていうことなんだけど、もちろんそんな亮介さんの説明は霧島にとって“どうでもいい”ことだったし、僕は二人のやりとりに笑っちゃった。

 霧島の遅刻も早退もサボり癖も、中学の頃から大して変わってなかった。でも高校の頃は試験だけはきっちり受けていた。しかも、もちろん全教科ほぼ満点。だから当然、常に成績は上位だった。
 どうして霧島が試験だけはちゃんと受けていたのかっていうと、その理由は、“ごちゃごちゃ言われたくないから”、だった。
 あいつ、中学の時勝じいに散々“からまれた”ことがよっぽど嫌だったんだろうね。
 結果を出せば文句ないだろうってことでそうしていたんだけど、そのせいでまた別の注目を浴びることになっちゃったんだ。
 どちらにしても学校っていうところは、霧島にとって面倒なことになる場所だったんだろうね。

 そういえばいつだったか、亮介さんに聞かれたことがある。
「どうして霧島は一人で電車に乗れないんだ」って。

 霧島は、電車に乗れないんじゃなくて、乗りたくないんだ。
 僕がそう答えると、亮介さんは
“いやどっちでもいいけど”と言って、“朝ってそんな混んでるか?”と怪訝そうな顔をした。

 夕焼け色が差し込むマスターの店で、僕は亮介さんとカウンター席に並んで座っていた。
 亮介さんはいつものコーヒー、僕はソーダ水に氷をたくさん入れてもらった。

 深森駅はあの時間は始発だから、電車は混んでいなかった。僕らと一緒に乗るのはほとんどが同じ高校の生徒だった。

“ならなんで乗りたくねぇんだ?電車が嫌いな理由なんてラッシュくらいだろ”
 亮介さんはそう首を傾げた。
 霧島が確か淫人混みは苦手だった。でも、それよりも、なんていうか‥あの場の空気っていうのかな、そういうのが嫌だったみたい。

“はぁ?あいつ車内の空調に文句つけてんのか?どんだけデリケートなんだよ”
 僕は亮介さんに、空調のことじゃないよと説明した。

“じゃあなんだよ?”
“あのね、周りに乗ってる人たちの空気、雰囲気のことだよ”
“は?”
“あのね、ホームで電車待ってる時とか、電車の中とか、僕らの近くにいる人たちとか、それよりちょっとはなれたとこにいる人たちの、なんていうか、その人たちが醸し出す空気?とか、視線?みたいな…”
“なんだそれ”
“うんとね…ほら、例えば――全然知らない人たちに、遠くの方からじぃ‥‥っと見られてたり、向こうの方でこそこそ話されたりね、何か言いたそうにちらちらこっち見ながらソワソワしてたり…そういう感じだよ”
“――――”
 亮介さんは僕の説明にピンときていないようだった。

 霧島と駅のホームにいると、突然物陰から人が現れて何か物を押し付けてくることもあるし、急に話しかけてきたと思ったら一瞬で逃げて行っちゃう人もいた。
 それに勝手に写真撮られることもあって、それがすごく遠くからの時もあれば、至近距離の時もあったりして。

「僕たちあの時はほんとにびっくりしたんだよ」
「誰だって遠くからでもカシャって音がしたらびくってなるでしょ?で、パって見るとサッて隠れたりするから超怪しいでしょ?」

 そういうのが全部嫌なんだって、って僕は怪訝そうな亮介さんに話した。
 怪しいし、コワイでしょ、って。
 でも亮介さんは、どういうわけかふてくされた顔で、でも僕は分かって欲しくて一生懸命説明を続けた。
「だって、そういう時ってどう対処したらいいか分からないしね、特に物をもらったりするとさ、大抵は突然のことだから、しかもこう結構強めにはいって渡されて‥相手は全く知らない人だし、中身が何かも分からなくてちょっと怖いし、単純にびっくりするしね」
 女の子たちはどうして走って行ってしまうのか、僕らにはまったく分からなかった。少しだけでも話ができれば、僕も霧島もビクビクしなくて済んだかもしれない。

「それとね、手紙をもらうこともあって‥でもそれってかなり困っちゃうんだよね」
 だってほんの一瞬会っただけの人に、返事の書きようもないもの。仮に書いたとしても、その子がどこの誰かも分からないから、渡しようがないんだ。

「僕らはどうしたらいいんだろうって、そう考えることしかできないんだ」
 どうすることもできないなら、いっそ電車なんか乗りたくない。
 まして一人でその“空気”に太刀打ちしようなんて、霧島が思うはずなかった。

「亮介さんはそういう時どうしてる?」

「――――‥‥‥」

「ああそっか、亮介さんはいつも車だから電車には乗らないよね!」

 僕は納得してそう言ったんだけど、突然亮介さんの激が飛んだ。

「っ…それ電車あるあるじゃねぇから!!!」

 亮介さんのよく通る大きな声が僕の耳にどーーーんって響いた。

「いちお、確認だが、そりゃあれか?おまえらが電車にいると周りの女子高生のみなさんがコソコソヒソヒソキャーキャー言うって話か?」
「おまえらをカッコイ~とか言ってる女子に盗撮されるとか、ラブレターを渡されるとか、イベントデーにはこぞっておまえらにプレゼントを持って来るとか、そういうやつか?」
「それを、そんな超リアル青春マンガみてぇな現象を、あのヤローは嫌がってるってのか?」
 亮介さんは苛立たしそうに両足をゆすりながら僕を睨んだ。
「リアルセイシュンマンガ?ってどういう意味?」
 僕はやっと亮介さんが口をきいてくれたから、その質問に真剣に答えようと思った。

「ソワソワしてるのは、女の子たちが多いよ」
「あとね、うちの制服じゃないコとかも結構いてね、あれ?あの学校こっちの方向だったっけ?って思うこともあるよ」

 一番困るのは別の学校の子からもらう匿名の手紙や物なんだ。だってお礼とかお返しとかできないでしょ?匿名だし違う学校だしとなると、もうほとんどお手上げだった。

「亮介さん、どうしたらいいと思う?」
 僕が真剣に尋ねると、亮介さんは声を荒げた。

「イヤイヤイヤ、知らねぇし!」
「つかそういうこっちゃねぇダロ?んだよそれ!マジでムカつくな!!」

 亮介さんは僕に
“あのガキそんな光栄なシチュエーション自ら避けてんのかよ!!アホか?!逆に腹立つわ!!”と言い放った。

「えっと、どこがコーエーなの?逆って何の逆?」
「うるせぇよおまえもたいがいだなぁ!そんな無垢な瞳で俺を見んじゃねぇよ!」

 僕たちは真剣に困っていたんだ。僕は亮介さんが怒ってる意味が全然分からなかった。

「いいか、よく聞け?女子のみなさんがくれるモンに、わざわざ礼だのなんだの必要ねぇの、もらってうれしきゃうれしい、いらなきゃいらねぇ、そんだけだ」
「あんなモンただのきっかけづくりのナニもんでもねぇんだからよ」
 亮介さんは僕の視線を避けるようにそっぽを向いた。
「へえ!そうなんだ!亮介さんてやっぱり何でも知ってるんだね!」
 でも、せっかくくれたものを“あんなモン”ていうのは良くないと思う。
「わかったわかった、言葉のアヤだよ」
「俺が言いてぇのは、おまえらがもらったモンはそういう類のヤツじゃねぇってこと」
「…そういう類って?」
「イヤだから、ってマスター、こいつになんて言えばいいの俺」
 亮介さんと僕のやり取りに、マスターはカウンターの向こうで苦笑していた。
 だって僕は本当に亮介さんの言ってることが全然分からなかったんだ。

“だーかーら、女子たちがおまえらとどうにか話したい、お近づきになりたいって思ってて、そのきかけに手紙だの物だのをくれるってこと!”
“そこに対して礼儀とか何とかは別に考えなくていいし、そういうもんでもねぇんだって!”

 そして亮介さんは、僕らの悩みにこんな風に答えてくれた。

 いいか、女子が好意を伝えに来てるってのにびっくりするから嫌だとか陰で写真撮られるのも困るとか言ってること自体、俺には理解できねぇ。
 フツーに”よっしゃぁオレめっちゃモテてんじゃん!!”って喜んでりゃいいんだよ。そこに嫌悪感とかイミわかんねぇだろ。
 適当に毎朝電車でわーきゃー言われてろよ。おまえらにはその権利がある。なんつったって名門藤桜の貴族みてぇな制服にその容姿×2だろ、言われたって仕方ねぇよ、諦めろ。
 つか言われて当然、くらいに思っとけ、俺が許す。

 マスターは亮介さんの言葉に「僕もそう思うよ」と同意していた。

 でも僕からしたらそんな風に割り切ることはできなかった。
 だって突然だよ?目の前に立たれて、『ずっと前から見てました』とか、『毎朝同じ電車に乗ってます』とか言われてもさ、ただびっくりしかないよ。
 全然知らない人から『一緒に写真撮ってください』って頼まれても、なんで?って思うし。今初めて会ったばかりの人たちとどんな顔して写真に写ったらいいのか‥。

「亮介さんはそういうの平気な人?」

 知らない人と知り合うきっかけっていっても、僕も霧島もそういうパターンはちょっと‥。

「前に一度そういうことがあった時、霧島が何人かいたうちの一人の女の子のことをじぃ‥‥っと見ちゃってね、その子が顔真っ赤っかにして固まっちゃって大変だったんだ」

 あとで霧島に聞いたんだけど、もしかしたら知ってる人なのかと思って見てただけなんだって。

「ほら、あいつよく、相手は前に会ったことあるのに自分は知らないって言っちゃって、その人のこと傷つけちゃうことがあるでしょ、冴子さんの時みたいに…だから…」

 僕ははそこまで話して、目の前のマスターにも聞いてみた。

「ねえ、マスターならどうする?知らない人と一緒に写真撮れる?」
 
 そして僕は亮介さんにもこう尋ねた。

「あの子たちはどうしてあんなに高そうな箱のプレゼントをくれるのかなぁ」
「小さい頃、知らない人から物をもらっちゃダメって教わらなかった?」

 僕はちょうどその数日前、見るからに高級ブランドの何かっぽい箱をもらいそうになったけれど、お断りした。だってあれはさすがにもらえないよ。

「亮介さんならどうする?そういうのも遠慮なくもらえちゃう人?」

 僕の質問に、亮介さんは呆れた顔をしていた。

「おまえはさっきからすっとんきょーなことばっか言ってるが、いいか、そういうコトが誰にでも日常的に起こり得ると思うなよ?」
「えっ?」
「えっ?じゃねぇよ」
「要するにおまえらは二人ともスーパー変わりモノってことだ」
「えーー?なんで?どこが?どうしてそうなるの?」

 僕が動揺していると、マスターが吹き出した。
「ははははは!いやぁ、おもしろいね!夏目君!」
「えぇ?何?ちょっとマスターまで何がおかしいことがあるの?僕に分かるように説明して…」
「あぁもうウルサイよ、一つだけ明確な答えをやる、俺は、おまえらには全面的に共感できねぇ!」

 亮介さんに突き放されて、僕はますます困惑していた。

“どうしてどうして?亮介さん!”
“どうしてじゃねぇよ、おまえに説明したってわかんねぇダロ”
“えーー!僕亮介さんの考え知りたいよ!”
 
 亮介さんが教えてくれないから、マスターが助けてくれた。

「亮介君、話して聞かせてあげたら?‘一般的な青春を送る’男女の恋模様のなんたるかをさ」
 マスターの口添えで、亮介さんは渋々僕と向き合ってくれた。
 僕は亮介さんに体を向けて、その言葉を待った。

「―――いいか夏目、今から俺サマが言うことをよぉく聞け?」
 
 そう前置きをして、亮介さんは続けた。

「まず、おまえらが他人からどう見えてるか教えてやる」
「特に女子のみなさんから、と言ってもいいかもしれない」
「おまえらはな、そもそもそのへんにいる男子学生とはもってるモンが全然違う」
「違うっつぅか、別モン、次元規模で、だ」
「俺が言うのもナンだが、おまえらは‘本物のイケメン’だ」
「それに、そのどこぞの貴族だか皇族みてぇな制服を着てるだけでさらに‘3割増し’、そのお陰でアタマがイイことも証明されて‘さらに倍’、それが二人揃ってそこに居りゃあ女子からしたら‘テンション爆上がり’間違いなしってなもんだ」

「そんな神に二物も三物も四~五物以上も与えられたような仲良し二人組に、俺は何一つ共感できねぇしそんな異次元なヤツらの相談に乗ってやるほどでかい器もなければ広い心も持ち合わせちゃいねぇし、そこまでお人よしでもねぇ!だからこれ以上俺の言うことにどうしてどうして言うんじゃねぇ!俺が見たことも聞いたこともねぇ世界にいるようなヤツに説明なんかしてやる気にもならねぇってんだ!!」

 亮介さんはそう言って正面に向き直ると、マスターに“濃い目のコーヒーブラックで!”とぶっきら棒にオーダーした。

 その辺りで、僕はもう一つ思い出した。
「あ、そう言えばこの前ね」
 僕は亮介さんの腕を突き、カウンターの中のマスターにも聞いて欲しいと言った。

「…おまえもたいがい人の話聞かねぇよな」

 僕は少し前に朝駅のホームで同じクラスの中野さんに会った。その日は霧島が来なくて、僕は中野さんと一緒に電車で学校に行ったんだ。でも次の日から中野さんは教室で会っても話してくれなくなっちゃったんだ。電車で会っても、通学路でも。

「どうしてかなぁ、電車ではとっても楽しく話してたのに…なんでだと思う?マスター、亮介さん」
「僕、中野さんに何か気に障るようなこと言っちゃのかなぁ‥でも、普通に楽しくおしゃべりしてたし、あの時は中野さんも笑ってたんだけど‥」

 僕は中野さんが口をきいてくれなくなる心当たりがなかった。

「女子と仲良く登校か」
「うん、楽しかったよ」
 その日は中野さんが新しいイヤホン買ったからって、僕も片方貸してもらって、一緒に音楽を聴かせてもらった。それがすごく性能がいいやつみたいで、音の聴こえ方がこう…なんていうのかな、広がりが違うっていうか…。
 それに、その曲がすごくよくて、今度詳しく教えてねって話してたんだ。
 僕はそれから少し経ってから、あの時の話の続きがしたくて話しかけようとしたら、なぜか避けられてるぽい感じがしたんだった。

 そこまで話すと、亮介さんは顔をしかめたまま
「あー、もういいもういい、それ以上おまえらが見ている世界を俺に見せようとするんじゃねぇ」
と言って僕の体を遠ざけた。

「亮介さん、僕、中野さんに何か悪いことしたのかなぁ?」
「うるせぇ知るか」
「もしかしてイヤホン借りたのがいけなかったのかな、ほんとは貸すの嫌だったのかな?どうしよう、新しいの買って返した方がいいかな」
 僕がそう詰め寄ると、亮介さんは
「だぁから、うるせぇっつんだよっ!そんなにわからねぇなら教えてやる!大方おまえらが二人仲良く登校してるとこを目撃した女子全員に殺人予告でもされたんじゃねぇか?」
って…

“えぇっ?!”
“目撃者だけでなく、それを伝え聞いたやつらも混ぜたら何百って数の不幸の手紙やらイタ電やらがひっきりなしにかかってきて――”
“何それ?なんなのその怖い予想――…。”
“どうしよう、僕そんなに悪いこと…、え、あれでもなんで中野さんがそんな怖い目に遭うの?イヤホンを借りたのは僕で、中野さんは何も悪いことしてないのに?”
 僕には亮介さんの言っている意味が本当に全然分からなかった。

「そうだ、そう言えばこの前もね、――」
「ああーもういいって!もう勘弁してくれ!いいか、もうしまいだ、金輪際そういう類の話を俺にすんな」
「そしてその英国貴族みてぇなナリで、その純朴な目で、まっすぐにこっちを見つめんのはヤ・メ・ロ!」
「えーー亮介さぁん!」
「うるせぇうるせぇ!目ぇ潤ませてすがるんじゃねぇ!小公子かおまえは」
「ショウコウシ?それなんのこと?」
「いんだよもう離れろ!そしていつまでも悩んでいやがれ!その悩みが唯一のプラマイのマイの方だ」
「どうせおまえには一生かけても解けねぇよ、マイだからな!」
「プラマイのマイ…の?マイって?」
 亮介さんは僕の手を振り払いながら、
「いくらそんなに人も羨むオトコマエだろうと頭脳明晰だろうと成績優秀だろうと、“そういうトコ”が根こそぎ欠けてたんじゃぁおまえらはろくな大人になれねぇよっ」
 亮介さんはそう言って僕から顔をそむけた。
 僕はすっかり困惑してマスターに助けを求めた。
「マスター、どうして?なんで?どういう意味?僕亮介さんの言ってることがよく分からな…」
「だーかーら、おまえには一生分かんねぇって、言ってんだろっっ!」

「ねぇマスター、亮介さんはどうして怒ってるの?」
「亮介さん教えてよ、僕何が悪かったの?」
「イヤだねっ!絶対ぇ教えてやんねぇよ!」

「つかおまえその思考でよく男子に嫌われねぇな」
 亮介さんはそう言って僕の顔をまじまじと眺めた。

「つか‥そこもムカつくとこだわ――」
 亮介さんの大きな溜息に、僕はますます混乱した。

「ムカツクって…マスターぁ‥」

「うん、つまりね、亮介君は夏目君のことが大好きっていうことだよ」

「え!ほんと?!やったぁ!」
 僕はマスターの言葉がうれしくて勢いよく亮介さん腕に抱きついた。
「ぅうあなぁーんだよっ!しがみつくんじゃねぇよ暑苦しい!」
「亮介さん、僕も亮介さんのこと大好き!」
「分かった!分ぁかったからっ離れろ!」

 僕が亮介さんの首元に抱きついたとき、

カラララン・・・コロロロン・・・

 入ってきたのは霧島だった。
「霧島!お帰り!」
 僕は霧島に体を向けて、亮介さんは“待ってましたとばかりに”霧島を迎い入れた。

“なんでいんの”

 霧島は表情一つ変えずそう言った。
 亮介さんは「おまえはマジかわいくねぇな」と言って顔をしかめてから、いたずらっ子みたいな笑みを浮かべた。

「よぉ、おまえ、超貴重なドキワクラブラブ青春デイズをムダにスカしてんだってな」
「は?」
「はじゃねぇよ、電車に乗れねえんだか乗りたくねぇんだか知らねぇが、勿体つけてねぇで今ここにある入れ食いハッピーライフを満喫しとっけってんだよ」
「あとで後悔したって、今という時間は二度と戻って来ねえんだからな」

 霧島は亮介さんのことを完全に無視することを決めていた。

「おい聞いとけ、いいか、モテ期っつうのは男のその後の一生を左右する重大かつ重要な既成事実でだな、あるなしもしかり、あるだけでよし、だがそのあるが、それがどれだけのモンだったかっつうのはマジで社会に出てからの自分にとって多大なる自信と誇りに繋がるものになるんだぞ」
「その必要性と重要性をおまえらは今のところ1ミリも、1ミクロンもわかっちゃいねぇ」
「俺はおまえらがその恩恵を受ける受け皿も持ち合わせていないことにほぼほぼ失望している」
「せっかく神サマから与えられたもったいない贈りモノを、何一つとして活かしきれていないどころか気付いてもいねぇおまえらの――」

「マスター、今日カレー?」
 霧島はソファ席に座ってからマスターに声を掛けた。
「ああ、今用意する」

「おいコラてめぇ聞いてんのか」

「マーヤも?」
「うん、僕もカレー!」
 マスターはにっこり笑顔で
「了解」と言ってキッチンへ入って行った。

「ちょ、おまえら俺サマの超貴重な教えをちゃんと聞い・・」

「――いつ帰んの?」

「っ…!のクソガキ!!」

 あの日の夜は亮介さんも一緒にマスターのカレーを食べて、“超うぜぇ話”を延々していた。
 僕は霧島と亮介さんのやりとりに大笑いして、マスターのカレーもおいしくて、最高の夜だった。
 もちろんマスターは冴子さんの分も“少し多めに”お持ち帰り用に包んでくれた。

 帰りはいつものように亮介さんが僕たちを家まで送ってくれた。

 「今度俺もそのドキドキ青春列車に便乗しよっかなぁ」

 鼻歌混じりにそう言った亮介さんに、霧島は
「亮介のせいで欠席」と断言した。
 
 僕はあの夜もいっぱい笑った。


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