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「きみがくれた」スピンオフ『マーヤの思い出⑤』

「どうでもいい話」


 亮介さんはとっても物知りで、月や星や宇宙の話が大好きだから、僕と霧島にいろんなことを教えてくれた。亮介さんはなんでも詳しくて、説明がすごくわかりやすいから、僕はずっと聞いていたくなる。
 亮介さんの話を聞いた日の夜はワクワクが止まらなくて眠れなくなるくらい、僕は亮介さんの話しが大好きだった。

「おまえらなんで夜なのに虹が見えるかわかるか?」
 僕たちがその話を聞いたのは中学2年生の時で、霧島が亮介さんと初めて知り合った年だった。
 あの頃亮介さんはまだ手嶌川の大きな園芸店で働いていて、僕らが通っていた楓中にも花苗を運んでくる業者さんだった。亮介さんも楓中に通っていたから、僕らの先輩でもあるんだ。
 その日の夕方、配達の帰りに立ち寄った亮介さんと3人で僕らはばばちゃんの家の縁側に並んで足を下ろしていた。
「不思議だろう?真っ暗闇の、真っ黒な空に、こうふわぁ‥っと――きれぇ‥な明るい虹がくっきりと現れて――」
 それは亮介さんがまだ10代の頃、一人で自転車に乗って旅をしたときの話だった。
「夜空にかかる虹――あれは本当に貴重な経験だったなぁ――」

“霧島、おまえなんでだと思う?”
 亮介さんの問い掛けに、けれど霧島は耳を傾けることもなく眠たそうに庭を眺めていた。
「あ、おまえさては理科苦手か?そうか、わかんねえかぁ!仕方ねぇなぁそんじゃぁ俺サマが教えてやろう」
「いいかよく聞け、答えは――」

「月」

 霧島は正面を向いたままそう答えた。
「おまえ、マジでかわいくねぇな」
「え?そうなの、月ってどういうこと?教えて亮介さん!」
 すぐに分かった霧島もすごいし、早く説明が聞きたいしで、僕はわくわくが止まらなかった。
 亮介さんは“月虹”のメカニズムを細かく解説してくれた。僕はその時の光景を想像して、いつか僕も見てみたいと思っていた。
 けれど隣で霧島は心底どうでもいいというような顔をしていた。
「おまえなぁ、いっとくけどあれはそうカンタンに見れるモンじゃねぇんだぞ?いくつもの自然の偶然が重なって、重なりまくって、その結果出現する超珍しい自然現象なんだからな。しかもその超激レアな瞬間にこれまた偶然居合わせるのなんかまさに奇跡なんだぞ。この俺サマの超ウルトラスーパースペシャルな幸運の超絶ゴッドパワーがあったからこそ、あの超ウルトラスーパー貴重な類稀なるワンダフォー体験ができたんだから――」
「別に、簡単とか言ってねぇし」
「――テメエ…」
 そっぽを向いた霧島に、亮介さんは「マジかわいくねぇ」とぼやいていた。

 でも霧島がオリオン座を見たことがないって知った時、亮介さんが豹変した。
“おまえ…っ――かわいいなっ…!”
 亮介さんて本当におもしろいんだ。
 なんだかすっごくテンション上がって、隣に座っていた僕を乗り越えて霧島の頭ぐしゃぐしゃぐしゃーってして、よーしよーしよーしよーしって!霧島は本気でうっとおしそにその手を払いながら「うぜぇうぜぇ」って言っていた。

 僕だって、星座があんなに大きいものだとは知らなかった。
 僕たちはそれまでずっと、天の川だって7月7かにしか見れないものだと思っていたんだ。

「えーー?!天の川って一年中そこにあるの?!」
 もちろん霧島もそのときばかりは亮介さんの方を見た。そして珍しくその後の亮介さんの言葉を待っていた。
「見えないだけで、一年中あるさ。決まってんだろ」
 亮介さんはそう得意げに霧島を覗き込んだ。

“星空ってのはな、夏は量、冬は質で勝負だ。”
 亮介さんはそんなことも言っていた。

 亮介さんは星座の探し方をいくつも教えてくれた。あれ以来、僕たちはしばらく毎晩のように月見山に向かった。そして小学校でもらった“星座早見表”と見比べながら、一晩中並んで夜空を見上げていた。

 亮介さんの知識はこれだけじゃなかった。
 僕たちが住む深森の街の名前と由来もしっかり教えてくれた。僕はその話を聞いた時思わず鳥肌立っちゃったくらい興味津々で聞いていた。
“深森の各地区の名前はその辺り一帯の植生が関わってるんだぜ”
 そう得意げに切り出した亮介さんに、霧島はやっぱり「どうでもい」と一言で断ち切った。
「おまえなぁ、そうやってスカしてんのも今のうちだぞ?この話聞いたら驚くぞ~?」
「薄紅通りの名前の由来教えちゃっか?これ知ったら感動するぞ?」
 霧島の興味を引きたくて仕方がない亮介さんの様子がおかしくて、僕は隣でずっと笑っていた。

“僕の家がある欅の森は?”
“ばばちゃん家がある‘椴の森’は?”
“もっと教えて”

  僕の家がある‘欅の森’は、近所のひよこ公園にあるすっごく大きなケヤキの木が由来になってるんだって。その木は僕の部屋からも見えるんだけど、すごく立派な木で、長い歴史があって、近くに石碑もあったりして、僕が持ってる“巨樹コレクション”の図鑑にも載ってるくらい有名なんだ。僕はその写真を見た時すごく驚いたし、ものすごくうれしかった。まさかおじいちゃんがそんなに有名だったとはね!僕は小さい頃からずっと知ってたから。
 亮介さんが言うには、あの木は‘欅の森’のちょうど中心に立ってるんだって。
「樹齢何百年の重厚な幹は大部分が朽ちて、できた空洞はちょっとした小部屋だ。それにもかかわらず毎年大量の葉を茂らせて、落葉すると周囲に分厚い枯葉の層をつくるあの迫力。老いて尚すさまじい生命力を維持しているパワーはある意味モンスター級だ」
 亮介さんはおじいちゃんのことをそんな風に話していた。
 僕は小さい頃、おじいちゃんの中にいるのが好きだった。涼しくて、いい匂いがして、あったかくて、とっても安心できたんだ。
 
 マスターのお店がある‘楡の森’は深森の中でも都会的な場所で、他の地域と比べるとずっと開拓されているし、メインのハルニレ通りは外国風の石畳でオシャレなお店が並んでいる。
 マスターのお店はハルニレ通りをまっすぐ行って、時計の街灯を曲がった坂を上ったところにある。あそこはもともと楡の木がたくさん植わっていた山だったんだって。だけどその山を切り開くときに木がたくさん切られちゃって、唯一切られなかったのがあの中庭の大きなハルニレなんだって。
 
 “桜の森”の話を聞いた時も、僕は思わずぞくぞくってしちゃった。
 縦にも横にも広大な桜の森公園と、深森の街で一番大きな桜の森病院に挟まれた大通りが薄紅通りで、50を超える桜並木になっている。
「薄紅通りの真の姿は、その連なる桜が散った後に現れるんだ」
 亮介さんの話を聞いてから僕は前よりずっと春になるのが待ち遠しくなった。
「桜の森公園には桜が何本あるか、おまえら知ってるか?」
「手前の白砂のエリアを通り沿いにぐるっと囲んでるだけでも80本以上だぜ」
「まさに桜の森、だな。」
  毎年お花見に来る人がたくさんいて、あの黒いアイアンのベンチ一つごとに席取りすることになってて、それが暗黙のルールなんだって。
 人混みが苦手な霧島はお花見なんて問題外だったから、亮介さんの話にはまるで興味なさそうだった。
 でも僕は亮介さんが聞かせてくれる“深森の謎”にすっかり引き込まれていた。
 
 “深森”って、ただの街の名前じゃなかったんだ。
 
「桜の森公園の白い砂が敷いてあるエリア、あの広ーーい場所からもっとずっと奥に入って行くとでぇっけぇ森が広がってるって、おまえら知らないだろ」
「その森の奥へ奥へ入っていくと、主に常緑樹が自生する憩いの場になっているんだぜ」
 
 そこには大きな池があって、石造りの橋が架かっていて、そのもっともっと奥へ入っていくと、“本物の森”に辿り着く。
 
「その先にある本物の森こそが、“深森”なんだ――まさに、深い森!そして、そこは位置的にもこの街の中心、ど真ん中!この街の発祥の地なんだ」
 
 ここはもともと、ひとつの大きな森だったんだ。
 森の中に住んでいるなんて夢みたいだ。
 
「今となっては見た目華やかな桜に覆われて、真の姿はすっかり隠れているけどな、この街の本当の姿は今も尚残っていて、しかも圧倒的な規模で神秘的な存在感を保ち続けているんだ」
「始まりの森――まぁ気軽に入れるような場所じゃあねぇから、おまえら迂闊に近付くんじゃねぇぞ」
 
 “すごいね!”
 “すごいだろ?”
 僕らがそう繰り返す横で、霧島はあからさまにつまらなそうな顔していた。
「自分の手柄か」
「エラそうに」
 合いの手みたいにぼそぼそ言い捨てる霧島にもわらっちゃったし、おかまいなしに続ける亮介さんにも僕はおもしろくなっていた。
 
「深森の裾が昔は樫小の裏山と繋がってたって知ってるか?」
“自分の手柄”のようにそう問いかける亮介さんに、僕は身を乗り出した。
「そうなの?!樫小と桜の森って方角も違うしだいぶ離れてるよね?」
 樫小というのは僕と霧島が通っていた樫の森小学校のことなんだけど、霧島は“どーでもいい”とだけこぼした。
「おまえなぁ、もっと自分が住んでる街に興味持てよ。つまんねぇやつだなぁ」
 亮介さんは僕の前に手を伸ばし、そっぽを向いている霧島の横頭を小突いた。
 霧島は亮介さんの話に「こじつけ」だとか「それが何」としか言わなかった。
 完全に無関心な霧島に対して、亮介さんはいよいよ“とっておき”を教えてやると意気込んだ。
「樫小の校章、あれどんぐりの形だって知ってたか?」
 今思い出しただけでも笑っちゃうんだけど‥
 亮介さんはすごく得意げに言ったのに、
 “当たり前だ”
って、ほんと霧島っておもしろいんだ!僕は亮介さんの横でお腹を抱えて笑った。
 
「ほんっとおまえはかわいくねぇなぁ」
「そっちがイチイチうぜぇんだよ」
「はぁ?なんだとてめぇ!このおもしろさがわからねぇか!」
「知るか」
「そうやってスカしてばっかいやがって!」
「おまえが当たり前のことしか言わねぇからだろ」
「よし分かった!だったらこれならどうだ!」
 そして亮介さんが“渾身のネタ”を話し始めた時、
 
“つかなんでいんの?”
“あぁ?――てんめぇ‥‥!”
 
あの“楓中の校舎裏で見れる奇跡の瞬間”は、この数日後に亮介さんが教えてくれたんだ。
 
 
「それ、忘れんなよ」
 仕方なく腰を上げた亮介さんに、霧島は顎で訴えた。
「また俺までとばっちり喰らうのはゴメンだからな」
「なんだよ忘れたのあれ一回きりだろ」
 ちょっと前に亮介さんが冴子さんのお使い物をここに忘れて帰った時、冴子さんは“気付いたならなんであんたがすぐに持ってこないのよ”とか“亮ちゃんの忘れ物はあんたの責任でもあるんだから”とか言って霧島を“クソめんどくせぇ”気持ちにさせた。
 
「いいからもう行けよ」
「まだ終わってねぇだろうが。俺はおまえにどうしても聞かせたい話があるんだ」
 霧島はほとほと勘弁して欲しいとでも言うような表情でげんなりしていた。
 
 亮介さんも霧島のことが大好きなんだ。どれだけスカされても、冷たくあしらわれても、あいつのことがかわいくてかわいくて仕方ないってことがよくわかる。
 
 僕はそれがとてもうれしい。
 
 霧島にしても、あれで亮介さんのことが大好きなんだ。めんどくさいとかどうでもいいとか言ってるけど、ばばちゃんに缶コーヒーも買っといてってお願いしてるのを僕は知ってる。もちろん買ってきてもらったら霧島が自分で冷蔵庫に入れるんだ。

 霧島がもっとたくさんの人たちと仲良くなったらいい。

 霧島がもっとたくさんの人たちを好きになったらいい。

 霧島の周りにもっとたくさんの人がいたらいい。

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