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「きみがくれた」スピンオフ『マーヤの思い出⑥』

「三日月」


 僕が亮介さんと知り合ったのは中学に上がってからで、亮介さんは2ヶ月おきくらいに学校に花苗を納品する業者さんだった。
 亮介さんは大きな園芸店の造園担当の人で、普段は公園とか施設とかのお庭や花壇なんかを作ってるんだけど、楓中のOBだったから花苗の納品を自分から買って出たんだって。
 
 僕は中学の頃は美化委員で、校庭の花壇の手入れもお仕事の一つだった。花壇のお花を植え替える時はいつも亮介さんも手伝ってくれて、僕たち美化委員はみんな亮介さんのことが大好きだった。
 
 2年のとき、冬が来る前に校庭にある花壇の土を半分以上入れ替えることになって、僕は霧島にもそのお手伝いを頼んだ。

「おまえ新入りか」って最初に亮介さんが霧島に声を掛けた。
 でもあいつは何も答えないでそっぽ向いちゃって、僕が「今日だけなんです」って言ったら、亮介さんが「そんな細っ白(ちろ)い腕が役に立つのか」って言った。

 僕も初めて亮介さんに会った時同じようなことを言われた。なんだったかな‥確か、「どこぞの貴族みてぇな王子様キャラが」とかなんとか言ってたっけ。亮介さんておもしろいんだ。
 僕の格好を見て、「夏目は土いじりする風貌じゃねぇな」って顔をしかめてた。僕が裸足で泥んこになってると、「せめて軍手はしろ」とか「長靴を履け」とか「おまえは無邪気か」とか「容姿と体力と潔さのギャップが渋滞してる」とか‥いろんなこと言われたけど僕は亮介さんの小言がただおもしろくて笑っちゃった。
「おまえはなんなんだ」「全部逆なんだよ」
「普通はちんたらやってるやつに汚れなんか気にしてねぇでとっととやれって怒るところ、おまえにはちったぁ気にしろって言いたくなる」
って、亮介さんは呆れてたっけ。みんなは上下ジャージでも寒がってた日に僕は一人だけ半袖のTシャツにジャージのズボンを膝までまくってて、おまけに裸足だったからね。亮介さん、「おまえ一人真夏じゃねぇか」って、「一人で汗だくじゃねぇか」って。僕は楽しくて楽しくて仕事どころじゃなかったのを覚えてる。

 亮介はさんは霧島のこともやっぱりからかっていた。
「そんな細腕使いモンになんのか」から始まって、土いじりなんか絶対しねえってツラだとか、おまえ植物なんか興味ねぇだろとか言って、霧島にけしかけていた。
 あの時も僕はおもしろくなっちゃって、亮介さんが運んできた大量の腐葉土をトラックから降ろさなきゃいけないのに全然仕事が進まなかった。それに僕はてっきり、霧島は亮介さんの言うことなんて無視すると思ってたんだ。でも‥
「うるさいな」って、あいつは言い返したんだ。
 霧島が初対面の人に反応するなんてすごく意外だった。しかも亮介さんに対してちょっとムカついてる感じだったから、僕はすっごくうれしくて、ワクワクした。なんだかとってもいい予感がして、胸の奥がドキドキしてた。

「夏目おまえはなんなんだ」
って、そばでお腹抱えて笑ってる僕に亮介さんが呆れていて、それから
「男子はとっととトラックから腐葉土降ろして花壇まで運べ!女子は袋開けてどんどん花壇に撒いていくっ!ざっと混ぜながらだぞ!全部撒いてからだと混ぜんの大変だからな!そこらへん考えてやれよっ!」
って、亮介さんの声が飛んで、僕らはようやく動き出した。

 しばらくすると、亮介さんが霧島に近付いて行って、「おまえは女子のみなさんと土入れ一緒にやってやれよ」って耳打ちしてね。
「よそ見ばっかしてる女子だけじゃ日が暮れちまうぜ」って。
 亮介さんの言う通り、花壇の周りにはまだ開けていない土の袋が山積みになっていた。
「ほらそこ、開けてやれよ」なんて言いながら霧島を女子の間に押し込んだりして、霧島が一番嫌がるパターンにもっていってたんだ。
 僕は霧島が帰っちゃうんじゃないかと思ったんだけど、見たら山積みの腐葉土を花壇に撒く作業を一人でもくもくとやっていた。
 亮介さんは他の男子も花壇の方に行かせて、残りの土を全部一人でトラックから下ろしてくれた。それで最後の袋を花壇の中に撒きながら、
「おまえらいつもはそんなおしとやかにやってねぇだろうが」って、よく通る大きな声で言うもんだから‥女の子たちが真っ赤になっちゃって。

「おらおらとっととやらねぇと終わんねぇぞ!」
「今日全部の花壇やっつけんだぞ?ここだけじゃねぇんだ、あっちもそっちもやんだぞ」
「時間稼ぎとか姑息なこと考えてんじゃねぇぞ女子ども!」
「とっとと終わりゃぁその後存分に楽しめんだろ!」
 女の子たちは亮介さんの声に手を止めちゃって、みんなでそわそわし始めちゃってさ。

 すると霧島が僕の隣でぼそっと言ったんだ。
“あいつうぜぇな”
だって!霧島ってほんとにおもしろいんだ。

「なんだとクソガキ」
「聞こえてんぞ」

 その後もあの二人はなんだかんだやり合ってた。
 僕はその様子を少し離れたところで眺めていたんだけど、霧島が帰らなかったこととか、亮介さんが容赦ないこととか、そこに霧島がつっかかってることとか、とにかく二人のやりとりが全部、なんだかとってもうれしくて、胸の奥がポカポカあったかくなって、でも少しだけドキドキして‥。

 そうそう、あの日はもっとおもしろいことがあった。
 亮介さんが霧島に“このクソガキが”って言った時、体育館の方からものすっごくおっきな怒鳴り声がしたんだ。

“ぐぅああああぁぁぁぁらぁぁぁぁ~~~!!”“ぐぅあぁぁぁらぁぁぁたぁぁぁ~~~っっっ!!”

 まるで大きな怪物が叫んでるみたいな唸り声がさ‥!
 すーごく遠くの向こうの方~~から、勝じいがものすごい勢いでばーーーっって走って来たんだ!!

“ぅおんのりゃぁクソガキゃぁおのれじゃぃやぁボケぇ~~~ぃっっ!!”
“うちぃのぉこぉんかわいぃぃ生徒にぃなぁんしとぉんじゃぁいこぉるぁぁぁ~~~!!!”

 あの時の勝じいの乱入!!おもしろかったなぁ!!
 どかどか足を踏み鳴らしてどすどすどすどすって突っ込んできたと思ったら、いきなり勝じいが亮介さんを後ろから羽交い絞めにしようとして、でも勝じいの方がずっと背が低いから手が全然届かなくてさ!亮介さんは背も高いし体格もがっちりしてるから、勝じいのことを軽々交わして、反対に背負い投げのマネみたいにして仕留めちゃったんだ。それで“ざまぁみろクソジジイ”って!“中坊の頃とは違ぇんだよ!”って威張ってた!

“こぉんクソガキゃぁ恰ぁっ好ばぁっかでぇかくなりおってからぁ!”

 あの時の勝じい、怒ってる風だったけどすっごく悔しそうだった。

“昔は勝じいもゴリラ見てぇなガタイのイカツいオヤジだったんだ”
“竹刀振り回して廊下だろうが教室だろうがお構いなしに追っかけてくんだ”
“中坊からしてみりゃ恐ろしい危険人物だよ”
 亮介さんはあとからそんな風に話していた。
 あの時の僕らにとっては“生活指導の勝じい”だったけど、“ゴリラ”で“竹刀”の“危険人物”が中学時代の3年間亮介さんの“クラス担任”だったんだって。そしてその時代は亮介さんに言わせると“暗黒の時代”だった。 “あのドスのきいた大声で”“竹刀片手に”、“追跡型ミサイルみたいなしつこさで”亮介さんは毎日のように追い回されていたって。
「見逃しなんてヤツの頭には皆無だった。あのスピードと持久力はバケモノだ」

 仕留められた勝じいは亮介さんの腕を掴んで応戦した。
「‥てんめっ!クソじじい放せっ!」「握力クソゴリラ!」

“がぁっはっはっはっは!!”って勝じいが大きな地響きみたいな笑い声をあげてさ、
“あぁんヒョロッヒョロぉの見掛け倒しのぉガリ勉気取りがぁ筋肉ばぁっか付けてからぁでぇっかくなりおってぇ!”だって!
 中学生の頃の亮介さんは、ヒョロヒョロでガリ勉だったんだ!

「うるっせぇクソジジイ!誰が見掛け倒しのガリ勉だ!」

“こいつぁ授業中にぃいぃっつも窓の外ばぁ見よってからぁ唐っ突にぃわあああ!!っでぇっかい分ぁけわからん声ばぁ上げよってぇ一人でぇ叫びおってからぁ急っにぃ立ち上がってぇばぁーーっ飛び出して行きおってぇ”

“なぁっんか思ぉたらぁ屋上でぁわあーーーーっっ!!!っなぁっん知らんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんわぁめいとってぇからぁハローだぁなぁんだぁと叫んどってぇからぁ!”

“まぁっんほぉんっと分ぁけっが分からんっとぉんでもねぇえ問題児じゃぁこいつぁ!!”

“何度言や分かんだハローじゃねぇよ‘ハロ’だモーロクジジイ”

 勝じいに向かって言い返してる亮介さんが中学生に戻ったみたいに見えた。二人ともなんだかすごくうれしそうにやり合っていて、勝じいは今でも亮介さんのことがかわいくてしょうがないんだなぁって思った。

“こぉん理科だけぇじゃぁ!興味あったのはぁ!のぉ?それ以外にゃぁとんっとぉ関心なし!そればぁっかでぇそれっしかぁよぉけぇせんかったぁしのぉ!”

“そぉれも月だぁ星だぁそぉんなんばぁっかでのぉ!理科はぁ理科でもぉそっちばぁっかでぇ他はぁなぁんも!”

“あれでもぉよぉっく高校ばぁ受かったぁもんだぁのぉ!”

“ぶわぁはっは!ったりめぇだっつうの!俺サマはなぁ、見掛け倒しなんかじゃねぇ、ホンモノの頭脳の持ち主なんだよナメんなクソジジイ!”

って亮介さんが勝じいに言ったら、勝じいにスイッチが入っちゃって‥

“どアホぉっがぁ!!こんばかったれぇいっ!!だぁれのお陰でぇ入試ばぁできたと思ぉとるんじゃぁい!!おまぁえいのぉギリッギリのぉギリのぉギリをぉ数学やら社会やらぁそぉん他もぉ!なぁんとか繰り上げぇ繰り上げぇ繰り上げてぇ試験ばぁ受けさせたぁんはぁ誰じゃぁ思っとるかぁボケナスがぁ!!”

 亮介さんと勝じいの漫才みたいな掛け合いに僕はもう笑いすぎてお腹が痛くて!
 亮介さん、中学の頃は植物にも全然興味なかったんだって。でも月とか星とか空とか、宇宙とか、そういうことにだけすごく詳しかったらしい。だから僕たちにあんなに詳しくいろんなことを教えてくれたんだ。

 亮介さんは勝じいに“うるせぇクソジジイ!どっか行け!”って何度も言っていた。でも勝じいは全然止まんなくって‥!

 それから勝じいの“暴露話”は亮介さんの“女性問題”にまで及んだんだ。

“こいつぁ見てくれやぁガリ勉のぉ、なぁんもぉじゃべらんにゃぁ普っ通のぉ中坊だぁけんどぉその実ぁまぁーあ勉っ強もぉろくにせぇんとぉ女ばぁしょおっ中しよぉっ中泣かせてぇおってぇのぉ!こぉんいっちょお前にぃ!!”

“ほぉんただぁのマセガキゃぁこいつぁ夏ぁつ休みぃのぉ補習にぃもよぉっけぇ出てこんしぃのぉ、居残りぃ勉強もぉほぉっとんど出んしぃ毎っ回すっぽかしぃとぉっとと帰っておってぇのぉ!のぉ!”

“こいつぁ頭ん中ぁ宇宙いやぁ月ぃやぁほいからぁ女のこぉとばぁっかだったのぉ!”
“ほぉん手ぇばぁっかの掛かるほぉっんどぉっしようもねぇクソガキゃぁじゃぁったわぁ!!”

“がぁーっはっはっはっはっは”

 あの時の亮介さんの顔!!思い出しただけで笑っちゃうよ!

“てめぇコノヤロー何十年前の話してやがるクソジジイ!”
“つまんねぇことばっか覚えてやがってとっとと忘れろ!”
“てめぇはいつまでも恩着せがましいんだよ!!俺だって入試の前はちゃんと勉強したんだからな!”

 亮介さん、耳まで真っ赤にして反論してたっけ。

“てめぇは昔っから生徒の悪口しか言わねぇんだ”
“そんなクソどーでもいいこといちいち言いふらしてんじゃねぇよ”

“何十年前ぇだぁ?たぁったの11年前じゃぁボケナスがぁ!”

“ボケナスって言うんじゃねぇよクソジジイ!”

“ボケナスはボケナスじゃぁ!図体ばぁっか成長しおってぇこんっからぁ大根っばぁ呼んじゃろうかぁ?のぉ?”

“はぁ?大根?なんだそのボキャブラリー”

結局僕たち勝じいの気が済むまでずうっと‥昔話をきかせてもらってたんだ。

「てめぇに付き合ってたら日が暮れちまうんだよっ!!」
って亮介さんが言ってからも勝じいの“言いたい放題”は延々続いて、僕たちはおもしろかったからよかったんだけど、全員で花壇の土に腐葉土も堆肥もすきこんで、それから全部で20トレーのパンジーとビオラを植え終わった時には、すっかり日が暮れていた。

“見ろ!真っ暗だ!!てめぇのクソつまんねぇ話のせいでこんな時間になっちまったじゃねぇかよ!!”
“二度と邪魔すんなよクソジジイ!”
“てめぇは生活指導だろうが!!生徒こんな遅くまで足止めして失格だな!その腕章を返上しろ!”

 亮介さんは勝じいに向かって“つかてめぇも手伝えよな!”と吐き捨て、生徒たちに後片付けをするように言った。 
 勝じいはもちろん何も手伝わなかった。しかも、“おまえぃゃあこん子らぁ全員家まで送っちゃりぃ!当ったり前じゃぁボケぇい!!”って、がっはっはって笑って。亮介さんは最初からそのつもりだったって応戦して、“てめぇの指図は受けねぇんだよ!”って、最後まで歯向かっていた。

 勝じいは本当に亮介さんのことがかわいくて仕方ないって感じだった。

 後片付けが終わって、やっと勝じいから解放された。
 僕らはみんな亮介さんのトラックの荷台に乗せてもらって、家まで送ってもらった。
 僕と霧島が一番最後で、少し肌寒い、秋の乾いた風が吹いていた。
 見上げると空は、まだ少しだけ夕暮れ色が残っていた。そこから藍色の夜に変わっていくグラデーションがとてもきれいだった。
 
“ねぇ霧島”
“ハロって見たことある?”
 
 星がひとつも見えない、真っ黒に澄んだ夜空に、うそみたいに細い三日月が、くっきりと金色に輝いていた。

 
 あの日から霧島は、“花苗の日”には美化委員を手伝うようになった。
二人はよく亮介さんのトラックのそばで何か話していた。その光景は僕からしたらすごく珍しかったんだ。
 霧島は同じクラスの子たちともほとんど話さないんだけど、亮介さん相手だと違ってた。二人きりでも普通に話してたし、時々笑ったりなんかもしていた。僕はそれを見た時、ああよかった、って思ったんだ。それでやっぱりワクワクして、ちょっとだけドキドキして、ニヤニヤが止まらなかった。
 きっとこれから、今よりもっとイイコトが起こるって、そんな予感がしたんだ。
 
 でもね、あとで何の話をしてたのか聞いても、あいつ覚えてないって言うんだ。単に説明するのが面倒なのかな、って思ったんだけど、そうじゃなくて本当に忘れちゃってるんだ。
 
“どうでもいい話”
 
 そしていつからか霧島は“亮介”と呼んでいた。
 うれしかった。
 とてもうれしかったんだ。

“覚えてないの?”
“あんなに長く話してたのに?”
“だってなんだかとっても楽しそうだったよ”

 僕はそう聞いたけど、霧島は
“一個も思い出せない”

 ほんと、霧島っておもしろいんだ。

 僕は霧島が亮介さんと仲良くなって、すっごくうれしかった。
 とにかく、すっごくうれしかった。
 

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