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「きみがくれた」スピンオフ『マーヤの思い出⑯』

「メガネデビュー」


 クリスマスには毎年みんなでマスターのお店の飾り付けをした。
 その年は冴子さんが徹夜で指示図を作ってくれて、僕らは分担して作業に取り掛かっていた。
 ガラス張りの壁は霧島と亮介さんが割り振られた。
 二人はそれぞれ両端から冴子さんのデザイン通りに何種類かあるオーナメントを取り付け、ちょうど真ん中の辺りで最後にはぴったり繋がる‥はずだった。
 霧島側の飾り方が亮介さんの方とは全く違う仕上がりになっていることに気が付いたのは、亮介さんが自分の“ノルマ”から最後の1個を取った時だった。
 
「オイコラ」
 
 脚立から下りた亮介さんが全体を見渡して、「おまえフザけんなよ!」と声を上げた。
「なにやってんだよソレ!こっちと全然違ぇじゃん!それ全然つながんねぇじゃん!」
 亮介さん脚立の上の霧島に「こっから見てみろ!」と霧島を呼んだ。
「つかおまえちゃんとこの紙見てんのか?」
 霧島に渡された指示図はオーナメントが入っていた箱の中にあった。
 
 霧島は脚立の上から身を反らし、亮介さんの飾り付けた壁を見た。
「いーから下りてこいって、なんでそっちそんなに余ってんだよ」
「ここまでやる前になんで気付かねぇんだ」
 亮介さんは霧島の“ノルマ”を覗き込んで呆れた声を上げた。
「おいおいなんで☆がこんなに余ってるんだ?つかむしろ1個も使ってなくね?付けてるクリスタルの形もサイズもバラバラだし…てめぇさては美的センスゼロだろ」
「おまえ冴子の指示図ガン無視するたぁいい度胸だぜ」
 
 亮介さんは自分の飾り付けを身振り手振りで指し示し、
「見てみろ俺サマの整然たる仕事ぶりを!ほら、この図の通り、全く一緒!さすがだろ、なぁ?」
と自慢していた。
 
 けれど霧島は亮介さんの言うことに全く動じていなかった。
 
“それ、全部〇でしょ”
 床にあった指示図を見下ろし、霧島は平然とそう言った。
“はぁ?〇だけなことあるか!☆と6角形だ、クリスタルは3種類、長いツララみたいなのと、短い雫みたいなのと、ミラーボールみたいなのと…っておまえ、まさか形の区別ついてねぇの?”
 亮介さんは珍しく声を荒げていた。
 
「だから指示図は下じゃなくてちゃんと目の前に貼ってやれっつったろ?このド近眼が」
「近くで見ねぇからこんなんなっちまうんだよバカタレ!」
「マジ適当すぎんだろ、最初っからやり直しだおまえは」
「それ今すぐ全部外せ!ぜーんぶきれーに外しちまえ」
「1からっつかゼロからやり直せ!」
 
 僕はほとりちゃんと入口の大きなツリーを飾り付けながら、二人のやりとりが気になっていた。
 
「なんだそのカオは」
「不満か?おまえがちゃんと仕事しねぇのが悪ぃんだろーが」
「ふてる前にやることやれ」
「おまえが一人で、全部きっちり、指示通りに、やり直せ」
 
 亮介さんの声って大きくてよく通るもんだから、その霧島を叱る声がお店の外にいた冴子さんにまで聞こえちゃったんだ。
 
 
「央人?!あんたまたなの?!」
「いい加減メガネかけなさい!!」
 
 冴子さんはお店のドアから顔を出して霧島にそう怒鳴った。
 冴子さんはドアの外側に飾る真っ白いリースを付けている最中だった。

“あんたは一体何回言えば分かるの?!”
“今まさに日常生活に支障が出てるじゃないの!!”
“明日必ずメガネ買いに行きなさい!すぐに行きなさい!そしてすぐにかけなさい!!”
 
 冴子さんは片手でリースを抑えたまま、お店の一番奥にいる霧島に向かって喚いていた。あの時もしリースがドアに付け終わってたら、霧島目掛けて突進して行ってたかもね!

“黒板の字が見えないから授業に出ないとか金輪際言わせないからね!”
“てゆーかそもそもそれが日常生活の支障だっつの!”
“分かったの?!央人?!”
“聞いてるの?!”

って、めちゃくちゃ怒鳴られてたよ!
 
 僕は冴子さんの剣幕がおもしろくて笑ってたんだけど、なんとかこらえて話したんだ。
 大失敗に終わっちゃったけど、本当におもしろかったあの出来事を。

「冴子さん、聞いて、僕たち、いちおチャレンジはしたんだよ」
「チャレンジって、なんの?」
「あ、でも失敗しちゃったんだけどね」

 メガネデビュー大失敗、の巻!――題して、“メガネ事変”!

「僕たち、メガネデビューに挑戦したんだよ」

 冴子さんは顔だけ僕に向けて
「それどういうイミ?」と怪訝そうに尋ねた。

「だからね、この間の秋桜祭で――せっかく二人でお揃いのダテ眼鏡買ったのにね!あんなことになるなんて――」
「なんでわざわざ二人お揃いなわけ?」
 冴子さんはツリーの取り付けを諦めたらしく、お店の中に入って来た。

 その冴子さんの声に便乗したのは、僕と一緒にツリーの飾り付けをしていたほとりちゃんだった。

「はい!そこです!!」

 赤いボールのオーナメントを両手に掴んだまま、ほとりちゃんは冴子さんの前に進み出た。

「冴子さん!さすがですっ!あの事件の根本はそこにあるのです!」
 ほとりちゃんは声高々に宣言した。
 
 冴子さんはその勢いに僕に視線を投げた。

 あの事件をほとりちゃんも知っていたんだ。
「当然ですっっ!!うちの学校であの事件を知らない人なんていません!あんな前代未聞のっ!超激レアお宝大事件を!!」

 冴子さんは“スイッチが入った”ほとりちゃんを半ばあきらめたように、けれど興味深そうな表情で見守っていた。

 そこからのほとりちゃんはとても楽しそうだった。
あれは歴史に残る大事件だったとか、最高に最強な瞬間だったとか、最高に幸せで、最高に幸運で、最高に夢のような一瞬だったって。
 うっとりと目を閉じたり興奮したり、くるくると表情を変えながら、あの出来事の顛末を冴子さんに話してくれた。

「霧島、聞いた?あれが激レアなお宝大事件だって!あれが!お宝って!あはははは!!」
 僕の計画は大失敗だった。なのにお宝って‥ほとりちゃんはほんとにおもしろいんだ。

 そんな僕らのやり取りをよそに、霧島は脚立の上で一人オーナメントを外していた。
 見るからにふて腐れて、心底面倒くさそうに!

 その側で自分の持ち場を“完ペキに仕上げた”と叫んでいた亮介さんは、満足そうにソファ席に納まり、ゆったりとくつろいでいた。
“ミッションコンプリート!”
“働かざる者食うべからず!”
“仕事してから文句言え!じゃぁぼけぇ!!”

 そう叫んだ亮介さんに、霧島は露骨に顔をしかめた。

 マスターがそろそろ休憩にしようとみんなに声を掛け、ほとりちゃんの話は中断した。
 僕はマスターがお茶の準備をしている間に、霧島の仕事の続きを手伝った。

「そこじゃなくて、その金色の横だよ、銀色はそこじゃなくて、そっちのキラキラの間、これは一番小さいやつだから…その☆の隣だね」

「なぁおかしいだろ?必要数準備したパーツがごっそり余ってんのに気付かねぇとかさぁ」
 亮介さんが向こうでぼやく声が聞こえていた。

“あいつそういうの気にならないタイプなのか?ありゃプラモなんか作らせたら絶対ぇ完成させらんねぇだろうな”

“そうかしら、あの子はプラモデルなら完璧につくりそうじゃない?”

“ヤツはもっと繊細にモノづくりをする奴だと思ってた”
“ざっぱっつぅか、とどのつまりはどーでもいんだな”
“ったく、見ろよあのめんどくさそうな動き。夏目もよくやってやるよなぁ”

 お店中にコーヒーと甘い香りが漂ってきた。
「二人も休憩して、こっちへおいで」
 マスターに呼ばれて僕はみんなが集まっているソファ席へ走った。

「うわぁすごい!!おいしそう!!いい匂い!!」
 焼き立てのクッキーが3種類と、カップケーキにホットココア。

 僕が冴子さんの隣に入ろうとしたとき、後ろから霧島の手が伸びた。
 僕はセーターの袖を掴まれたまま、霧島は亮介さんに“こっち出て”と言った。

“は?なんでだよ”
“いいから出て”

 霧島は無表情のまま亮介さんを冴子さんの隣に押し込むと、僕を亮介さんが座っていた場所へ座らせた。それから自分は亮介さんの隣に入ると、“もっと詰めろよ”と体を押した。
“なんなのおまえ”と亮介さんに言われながら、霧島は知らん顔でクッキーに手を伸ばした。

 マスターは最後に“それじゃあ僕はお誕生日席でっと”と言ってカウンターの中からいつもの丸イスを運んできた。

“おまえなんなの?”
 亮介は怪訝な顔で霧島を睨みつけ、けれど霧島は何事もなかったようにホイップクリームがたっぷり乗ったココアを啜っていた。

 冴子さんがほとりちゃんにさっきの話の続きをせがんでいる中、霧島はテーブルの真ん中に手を伸ばし、温かい湯気に包まれたカップケーキをひとつ掴んだ。
 霧島は薄い紙の端を指先でつまむと、少しずつ丁寧に剥がしながら鼻先を寄せた。そして一口かじると熱そうに湯気を吐きながら満足そうに口を動かした。

 ほとりちゃんはまたあの夜みたいに顔を真っ赤にしていた。
 冴子さんと亮介さんがほとりちゃんを気遣っていると、ほとりちゃんは
“いえ、大丈夫です、ほんと、なんでもないんです”と俯いてしまった。

 霧島はあっという間にひとつ平らげると、別のカップケーキを手に取った。

「だからおまえはなんなんだよ」
 亮介さんは隣でカップケーキを頬張っている霧島に
「うまそうに食うよなほんと」
と半ば呆れ顔で言った。

「みんなもどうぞ、食べてみて」
 これがクランベリーと紅茶、ホワイトチョコ入り。こっちはチョコレートの生地にダイスチョコとペカンナッツとクルミを入れてみた。それからこれはバナナを混ぜた生地で底に生チョコを入れてあるんだ。

 今考えてるのは、ストロベリーのムースなんだけど…冬らしく白っぽく仕上げたいから、レアチーズと2層にするか、ホワイトチョコムースと層にするか…。

「いいねぇ!試食ならいつでもするよ!」
「私も!いつでも呼んでね!」
「僕たちも!ね、ほとりちゃん!」
 僕がそう言うと、ほとりちゃんはカップケーキを落としそうになった。


「発端は、お二人の双子コーデでした」
 ほとりちゃんはようやく、意を決したようにこう切り出した。

“フタゴコーデ??”
 ほとりちゃんの言葉に僕と亮介さんが同時に聞き返した。

“ペアルック、のことかな?”
マスターがマグカップを手にそう言うと、冴子さんが“マスター古っ”と吹き出した。
“え、違った?”
“あ、いえ、違いません、そうです、そのペアルック?のことです”
“やだマスター、ほとりちゃんに気ぃ遣わせてる”

 霧島はマグカップに口を付け、上を向いて底の生クリームが落ちてくるのを待っているところだった。

 ほとりちゃんは僕と霧島“双子コーデ”そのものが大事件だったと話していた。

“どこが事件なの?”
“要はこいつらがおんなじかっこしてるってだけだろ?”

 みんなが口々に僕らが同じ格好をしていても“なんとも思わない”“特別なことでもない”“仲がいいくらいにしか思わない”と言い、僕はなんだかそれがおもしろくて笑っていると、ほとりちゃんはついに
“笑い事ではありません!”
と立ち上がった。

 天井を仰ぎ、起立するほとりちゃんを、霧島でさえ見上げた。

「いいですか、皆さん」
「皆さんは、普段お二人を見慣れているからそんなどうでもいいような感情しか湧かないのです」
「皆さんには、あれが私たちにとってどれだけのインパクトだったっかお分かりにはならないのです!」
 ほとりちゃんはそこに居る全員を見渡しながら、力強くそう言い切った。

 僕らがお揃いの黒ぶちメガネをかけていたことと、お揃いの色違いのパーカーと、ジャージのズボンを履いていたことが衝撃的だったとほとりちゃんは言っていた。

「霧島先輩に至っては、なんとジャージの裾を少し折り上げていて――その…女子より華奢な細い足首をあらわにされていて――…」

 ほとりちゃんは言うには、霧島の足首は白くて細いアキレス腱がくっきり浮き出ていて…、まるで象牙のように美しかったんだって。
 それからくるぶしがどうとか、、上履きのかかとを踏んでいたから、かかとがあらわになっていたとか、つるつるとかつんつんとか‥って言ってたかな。

「それに何より、いつもはこのようにおろされてる前髪が、あの時ばかりはなんと、なんと!!これまた激烈に超絶レアケース!もはや妄想の中でしかお目にかかったことがないお顔が――!!いつもより少しだけ、こう、前髪を上げておられまして、この前髪の真ん中の部分をちょっとだけ、ですが、それが尚更レアで超激レア中のレアで…!」
って、霧島が前髪をあげていたことを一生懸命に説明していた。

 そしてそれを見た女子たちがどんな気持ちだったかを力説していた。

 ほとりちゃんに言わせれば、それは“一瞬で胸がバクハツしそうなくらいの強烈なインパクト”で、大騒ぎなんてものじゃなかったんだって。

「あの日はあの‘前髪ちょこっと上げ’でいつもの何十倍、何百倍も超ウルトラスーパー激烈イケメン全開フルマックスの限界突破だったんですから!」
「居合わせた女子はパニックパニックダイパニックでもう全員宙に浮いてました、はっきり言って!生きた心地がしないってああいうことを言うんですね!」
「噂はたちまち全校生徒に広まって、学校中があり得ないくらい大騒ぎになって、お二人がいらした3年生の校舎に人が一気に押し寄せてきて、うちの学校にこんなに人がいたのかっていうくらい階段から廊下からぜーんぶ人人人、満杯の満タンの人だらけでぎゅうぎゅう詰めになったんです!イモ洗い状態なんて甘いです、いもの潰し合い、ぐちゃぐちゃのごちゃごちゃのごった煮状態だったんですよ!!」

 そこまで話して、ほとりちゃんは一呼吸着いた。

 いもの潰し合いって!
 僕はほとりちゃんの言葉に大笑いした。

 ほとりちゃんは大勢の人が押し寄せてきたことに驚いて、それでも

“必死にもがき、かき分け、押しのけ、これは一大事だと悟り、きっと先輩方に何かあったに違いないと、これは私もその場に駆け付けなくてはと、ただその一心で、渾身の力を込めて、ミリ単位でなんとか、なんとか、少しずつ、少しずつ、進み、全身汗だくで、髪を振り乱しながら、どうにかこうにか、先輩方がいるであろう3年C組を目指したのです!”

 そうしてようやくたどり着いたC組の教室の前で、人、人、人の僅かな隙間から、僕たちの姿を目にしたと言う。

「あなたって、結構ガッツの子なのね」
 冴子さんはほとりちゃんの話に感心の声を漏らした。

 あの時そういえば外に人がいっぱいいるなって思ったんだ。

「あんたは相変わらず呑気ね、自分たちのことでそんなに大騒動になってるって知らなかったの?」
「つかさ、そんな話よく本人たち目の前に堂々とできるよな」
「いろんなイミでガッツあるわ」
 亮介さんの指摘にほとりちゃんは大きな丸い目をよりいっそう丸く見開いた。

“…っあの…っっ私っ――す、すみません―!!”
 ほとりちゃんはさっきよりももっと顔を全部真っ赤にした。

“この二人の双子コーデってそんなに衝撃的なの?全然ぴんとこないわ”

「いいんです、皆さんには、きっとこの感動はご理解頂けないと思います」
「こちらのお二人が私たちにとってどれだけの方なのか、いつもお近くにいらっしゃる冴子さんや、亮介さんや、マスターさんには、きっとぴんとこないのも当然だと思います」
 
 冴子さんは“ふぅん”とコーヒーを啜りながら、
「ねぇ央人、あんたさっきから他人事みたいなフリしてるけど、こんなこと言われて実のところどう思ってんの?」
と霧島を見た。
 けれど霧島はカウンターの方へ目をやったまま“別に”とだけ答えた。

“なによ別にって”
“どーでもいい”
“はー出た、これだ”
 冴子さんは亮介さん越しに霧島を覗くと、“あんたはなんでもどーでもいいんだから”と口を尖らせた。

 僕はほとりちゃんの話も冴子さんや亮介さんの呆れ顔も霧島の態度も全部おもしろくて、一人でずっと笑っていた。

「はっきり申し上げまして、お二人は完全にズレています」
「ああ、そりゃ間違いねぇだろうな」
 そう深く頷いて、亮介さんは僕に向かって“今んとこひとっつもおもしれぇとこねぇからな”と釘を刺した。

 もう帰りたい体制の霧島は、僕らのやり取りにも我関せずだった。

「だいたい、なんであんたたち双子コーデなんかしたのよ?」

 霧島はマスターのカップケーキを結局5個平らげて、ホイップクリームが山盛りに乗ったホットココアと、シナモンの香りがするミルクティを2杯飲んで、あとはもう帰るだけだった。

 僕らは双子コーデなんてしようと思ってなかった。メガネだけは1種類しかなかったし、同じだって分かっていたけど、あれは偶然だったんだ。
 しかも僕らは貴博に言われるまで気が付かなかった。

 二人でメガネをかけようって計画したのは僕だった。
 初めてメガネをかけるこってとても勇気がいるし、しかも一人ではハードルが高すぎると思ったんだ。それに普通の日よりも文化祭のお祭り騒ぎに紛れて、しかも二人で同時にかければ目立たないかなと思って。

「それで秋桜祭で二人でメガネかけようってことにしたんだよ」
「まずは適当にダテ眼鏡で挑戦してみようって」

 パーカーにしてもジャージにしても、偶然、たまたま、二人同じ格好になっただけだった。
 だって制服のズボンよりジャージの方がラクチンだし、他にもジャージの子たちはたくさんいた。
 だけどまさかあんなことになるとはね!

 あの日のことを説明するうちに、僕は貴博の顔を思い出してぷぷぅっと吹き出した。

 僕たちはただ貴博のクラスの劇を見に行っただけだったんだ。そしたらその内に廊下の方に人がたくさん集まってきて、貴博もすごく喜んでいた。自分たちの出し物をこんなにたくさんの人が見に来てくれたって、気合入りまくりだった。

「私がC組だと思って来た教室は、実はG組だったんです」
「それほど人がごった返していて、疲れ果てていたせいもあって、わけが分からなくなっていて…3年G組は男子クラスで、文化祭では桃太郎の劇をやることになっていたんです」
「私、もしやお二人が飛び入り参加するんじゃないかって、そう思っただけで失神しそうでした!」

 廊下の騒ぎは貴博たちの劇が成立しなくなるほど収拾がつかない事態になっていた。

 貴博は俺たちの舞台をツブしやがって!って、めちゃくちゃ怒っていた。おまえらどっか行け!って。

「知らねぇし」
「あいつが来い来いってしつけぇから行っただけだし」

 貴博は秋桜祭の1か月前くらいから、顔合わせる度に言ってた。うちのクラス絶対ぇ来いよ!って。

「行かなきゃ行かないで何で来なかったんだって永久に言い続けられそうだから仕方なく行ってやったのに」
 貴博は霧島を探し出してまで観に来いって念を押していたんだ。

「あいつが双子コーデだとか言い出すから」
「あははは!そうそう!もとはと言えば貴博が言い出したんだった!おまえらなんだそのかっこーは!双子コーデじゃねーかちくしょう!って!あはははは!ちくしょうって!」
 貴博が言わなかったらみんな気付かなかったんだ。当の僕らが気付いてなかったんだから!

 貴博はやっとメガネをかける気になった霧島に大喜びていた。けれどそれがダテ眼鏡だと分かると
「あんだとこんにゃろー!ってね!あはははは!こんにゃろー!って!あはははは!」

 貴博は以前霧島にスルーされたことをずっと根に持っているんだ。なにせ一度や二度のことじゃないからね!

貴 博が気に入らなかったのは、つまりは自分も僕らとお揃いのメガネが欲しかったからなんだ。

「桃太郎そっちのけで」
「そうそう!劇ができる状況じゃなくなっちゃったって嘆いてたことなんてどっかいっちゃってたよね!双子コーデなんかしやがって!3つ子コーデにしろ!とか言っちゃってさ!」
 あの時の貴博がおもしろすぎて、僕はお腹を抱えた。

「あんたたち、そのどうでもいいやり取りは置いといて、自分たちの双子コーデについて何か思うところはないの?」
 
 冴子さんはそう静かに切り出し、コーヒーを啜った。
「え?今度は何の話?」

 だから、あんたら二人の双子コーデってやつが周りにどれだけ影響を与えるかってことよ。ただのペアルックがよ?そんなに注目されるって尋常じゃないでしょう?そこんとこ自分たちはどう思ってるのよ。別にとどうでもいいはなしで、よ。央人?

 霧島は面倒くさそうに席を離れた。

「逃げたわね」
「こいつだってなんも思っちゃいねえだろ」
 亮介はふんと鼻を鳴らしマーヤを見据えた。

 冴子さんは笑いがこらえきれない僕に、
「やっぱあんたたちは何かが欠落しているわ」と呆れていた。
「何かこう、人として大切なものが。人生において重要な一部分が根こそぎ抜け落ちている気がするっ」
 冴子さんはカウンターの端の席でリンゴジュースを注いでいる霧島に向かって吐き捨てるようにそう言った。

“あーーー!なんかもう、ムカついてきた!!”
 冴子さんは拳でテーブルを叩くと、
「あんたたちは自覚がなさすぎるのよ!!」
と霧島を振り返った。

 今度は何の話?と僕が聞くと、冴子さんは
“何の話?じゃないでしょ!さっきからおんなじ話をしてるのよ!”
と苛立たしそうに鼻息を荒くした。

「いい?よーっく聞きなさい」
「これからあんたたち二人の将来にとってすっごくすっっごく大事話をしてあげるから」

 冴子さんはそう前置きをしてから、“これは真剣な話だから”と念を押した。

 学校で1,2を争う人気の男子が、ある日突然お揃いのメガネをかけてきたときの衝撃についてよ。しかも鉄パンの黒ぶちダテ眼鏡なんて、そりゃもう女子が大騒ぎになるに決まってるでしょ?いっとくけど、黒ぶちは最強だから。そこんとこちゃんと頭に叩っ込んどきなさいよ。
 
 それに、なんだっけ?央人が前髪上げてたって?ここぞとばかりに?そりゃかなり衝撃的よね。だって普段は目なんてほとんど前髪に隠れてて、ただでさえ無表情なのに顔色なんて分かったもんじゃないんだから。それを何?私が切れ切れ言っても断固として切らない前髪を?メガネついでに上げてきたって?どさくさに紛れてイケメンを惜しみなく披露しちゃったりして?そりゃあ周りは騒ぐわね。女子でなくとも騒ぎたくなるわね。さぞかしキャーキャー声が飛び交ったでしょう。

 それから?ジャージまくって足首出して?素足に上履き?夏目君とのペアルック?じゃなかった双子コーデ?お揃いの、色違いのパーカー!
――っは!どんだけ注目されたいのってハナシよ。それを気付かずにやってたって!何が二人同時にやれば目立たない、よ!バカなの?余計目立つに決まってるでしょ!あんたたちがどれだけのモンか知らないけど、少なくともほとりちゃん調べでは相当ヤバい奴らじゃないの!学校でそんな羨望の眼差しを毎日バシバシ浴びといてなんにも感じないってどういうこと?どんだけ疎いのよ。鈍いにも程があるでしょ。

 自覚なし、計算もなし、目論見もなんにもなし、なし、なしのなしなしづくしであっけらかんとそんな学校騒然の大騒動巻き起こすなんて冗談じゃないわ。せめて何か企んでくれてなきゃこっちの気が納まらないっつの!なんの欲も下心もなくしれっとこっちの気を引くようなかっこを披露しちゃうとか超ムカツク!こっちからしたらたまったもんじゃないのよ。悔しいっていうか腹立たしいっていうかもはや憎たらしいくらいなのよ。

「ねぇ、ほとりちゃん?」
 そう突然振られ、ほとりちゃんは明らかに動揺していた。

 だいたいなによ、文化祭って学校行事の一大イベントの真っ最中に登場して?お祭りの高揚感も相まってそりゃあもう学校中がウキウキ気分だったでしょう。そんな中に紛れるって、そうね、凡人ならそうでしょう。
 メガネデビューなんてできればその日はそっとしておいて欲しい、触れて欲しくないって思うわよ。まぁ人によってはちょっとイジって欲しいとかなんならさらっと褒めてもらいたいとか思うかもしれないわね。でもその程度よ。
 所詮、内輪だけでちょこっと盛り上がるか、逆に全くスルーされるか。それでいいのよ。普通の人はね。でも、あんたたちは違うでしょ。違うのよ。お祭り騒ぎに紛れるなんて甘いの。

 いい?あんたたちは、紛れられないの!しかも二人揃ってなんてことになれば尚更!文化祭自体が持ってかれるほどの大騒動になっちゃうの!なっちゃったんでしょう?そういう部類の人間なの、あんたたちは!そこんとこちゃんと考えなさいって言ってるの。分かる?あんたたちは、一風変わってるってこと。他とは違うの。

 私の言ってる意味分かる?ほとりちゃんの話も聞いてたでしょう?もっとイケメンとしての自覚を持ちなさい。そして今後はもっと周りへの影響に配慮して、各自責任を持った行動をしなさい。いいわね?

 僕は冴子さんの言っていることが全部悪口に聞こえた。

「違うわよっバカね!!」

 僕は不安で仕方なかった。けれど冴子さんは即座に反撃した。

「何をどう聞いたら今のが悪口になるのよ?!」

「ムカツクってのはそういう意味じゃないでしょ?!なんでそこだけかいつまんじゃうの?!前後の話があるでしょう?あんたってほんっとに人の話きかないわよね!!」

 僕は冴子さんの言いたいことが分からなくて亮介さんに助けを求めた。

「あぁ、おまえはそういうやつだよな、あとでゆっくり教えてやる」
 亮介さんはわけも分からず怒られた僕をなだめるようにそう言うと、
「もういいから黙ってろ」と僕にソーダ水を勧めた。

 
 あの大騒ぎの中、そういえばマツミナが息を切らしてG組のドアに体をねじ込んできたんだ。
 なんであんなに汗だくで髪なんかボサボサでいつもと違うなと思ってたけど、きっとほとりちゃんみたいに一生懸命人だかりを押しのけて来たからだったんだ。

 それでマツミナに貴博も一緒に写真を撮ってもらったんだ。
 あいつは廊下にいた女の子にメガネを借りて、3つ子コーデじゃ!とか意気込んでたっけ!

「メガネザル」
「あははは!そうだったそうだった!貴博桃太郎の中でおサルさんの役だったから、茶色の全身タイツだったんだよね!そこにあの丸メガネ…ぷくくっ…すごい笑えたよね!!”


「例えば!クラスで一番のカワイ子チャンがいたとする!」
 突然冴子さんが声を上げた。
「はい、よく聞いて!」
 僕は霧島と目を見合わせた。

「蒸し暑い夏の午後、教室での休み時間!そのカワイ子チャンが他の女子と窓際でくつろいでいる!はい!想像して!!」

「…今度は何の話が始まったの?」
 僕は隣のほとりちゃんにこっそり尋ねた。

「あんたたちが女心を全く理解してないから、男子の目線に置き換えて説明してあげるっての!さっきほとりちゃんが言ってた央人の足首がどうとか、夏目君の襟足がどうとかってやつよ」
「女子目線じゃ分かりにくいだろうから、これがもし男子側だとしたらこういうことだって例を挙げてあげて説明してあげるから、ちゃんと想像力働かせて聞いときなさい」
 
 僕は霧島のうんざり顔につられて、亮介さんを見た。
 冴子さんは拳でテーブルを強めに叩き、“いいから黙って聞きなさい!”と激を飛ばした。


「はい、その時!ふと、そのカワイ子チャンに目をやると、あら!あらら?!半袖の、夏服のブラウスのボタンが、いつもより一つ、多く外してる!!てことに、たまたま気付いた!!」
 冴子さんはまるで八百屋のおじさんのような口調で話を進める。

「例えば!クラスで一番人気のカワイ子チャンが、授業中、床に消しゴムを落としてしまったとして、それを拾ってあげようと上から手を伸ばした時―――はい!想像して!!」

 冴子さんは僕の顔と、それからカウンターに座っている霧島の背中を交互に見据え、用心深く話を続けた。
「その子が椅子から降りて、同時にその消しゴムを拾おうとしたから、突然、目の前に、かがんだその子の胸元が現れて、偶然にも上から覗き込む構図になってしまった!!」

「これよ、どお?」
 冴子さんはそう言ってもう少し話を続けた。

「又は…そうね、例えば!その様子を今度は後ろから見ていたとして、そのかがんだカワイ子チャンのブラウスが、スカートのウエストからちょっとだけ出ちゃってて、その隙間から生の素肌が――初々しい背中がチラっと垣間見えちゃった!!」

「例えば!クラスで一番人気のカワイ子チャンが、文化祭でウェイトレスのコスプレをしていて、その手作りの安物の衣装がどうにもこうにも薄っぺらくて、しかも少々小さめでピタピタで、白い生地に下着の色や形がうっすら透けて見えちゃってるのを、うっかり自分だけが見つけてしまった!」

「あとは…そうね、ちょっとしたことだったら、ベタなところで体育の授業の後の汗ばんだ首筋とか」
「かき上げた髪から覗く襟足とか?階段を昇るときのミニスカートとか、走る女子の揺れる胸元とか」
「前に座る女子の夏服のブラ線とか、簡単に言えば、見えそうで見えないとか、自分だけ見ちゃったとか、チラ見せっていうの?」

「まぁそんな感じよ」

「分かった?」

 冴子さんはそう言って満足そうにソファにもたれた。

「――…え?何このカンジ?」

 冴子さんはソファに体を預けたまま、周りを見渡した。

“―――ちょっと?”
 珍しく引き気味の冴子さんに対し、亮介さんは黙って首を振った。

“――うん、冴子ちゃん、それはちょっと、違う…かもね”

 マスターはゆっくりとコーヒーを口に運びながら、静かにそう言った。

“え、違うの?違うって何?”

 ほとりちゃんはもう何も言わずに下を向いている。

 僕はそれまで知らなかった。
 霧島の足首って、破壊力ハンパなかったんだ。

”俺、超恥ずかしい”
 霧島はそう言って顔を覆った。

“ちょっと、二人ともなんなのよ?”

“僕もなんだか恥ずかしくなってきた…僕たちがしてきたことって、そんなになんだ”
“俺もう二度とジャージまくんない、足首出さない”

“僕たち、気を付けないとだね。冴子さんありがとう”

“ねぇ、なんかまた全然違う解釈になってない?”

“俺これからは絶対に靴下履く”
“…でもなぁ、知らないうちにやっちゃうからなぁ…どうしよう―…”

“とりあえずもうメガネはナシだな”

“うん、あれはもうね、失敗だったから”
“あと…パーカーもか…あれ気に入ってたんだけどな…”
“ジャージはいいんだよね、だってジャージは体育の時着なきゃだもの”

“パーカーなんて誰でも着てるのにな”
“うん、でもダメなんだよ…だってあれでしょ、女子から見ると、その、そういうカンジなんでしょ”

“せっかくお揃いで買ったのにな”
“うん、残念だね”

“気に入ってたのに”
“うさぎの足跡のロゴ、かわいかったのにね”
“マーヤのブルー、いい色だよな”
“霧島の黒も超イケてるよ”


「ちょっとまってよ!違う違う!絶対違う!何かが間違ってる!!」
「そうじゃないでしょ!そんなこと言ってないってば!そうじゃなくて…そんなことじゃなくて!!」

 冴子さんは眉間に皺を寄せ、拳で何度もテーブルを叩いた。

 パーカー着ちゃダメとかジャージまくるなとかそういうことを言いたいんじゃないのよ!そうじゃなくて、例えば央人の足首がチラ見えしてることが女子にどう見えてるか、そのレア度を男子に置き換えたら女子の胸元だったり透けた下着だったりって、それくらいちょっとうれしいことだって言いたかったの!それと同じくらいの萌え度だってことよ!

「じゃぁ、僕たち、お揃いのパーカーを着ても…」

 いいのよ、どんなかっこしたっていいの。だけど、それがどれくらいパンチのあることかっていうのを自覚しなさいって言ってるの。双子コーデやら足首チラ見せやら、そういうあんたたちを見た女子は、例えばそれくらいワーキャーなるってこと。それくらいテンション上がるんだってことを言いたいの私は!

 冴子さんは息を荒げてそう説明した。

 けれど亮介さんはいつになく真面目な表情でぽつりとこう言った。

「いや、冴子、それは同じじゃないな」

“え?”

“―――うん、そうだね、それは、同じではない…かもね”
マスターは腕組みをして深く頷いた。

“まぁ、人によるだろうけど…――”
“いや大半は違うって言うと思うよ”
“うん、まぁ、そうだね”

“え?違うの?え?”

 亮介さんとマスターの顔を交互に見ながら、今度は冴子さんの方が困惑していた。
 そして亮介さんに説明を求めるようにその横顔を見据えた。

 ま、こいつらのかっこが女子高生にとってどれほどのシロモノか知らねぇが、ほとりちゃんが言うことを聞けば相当なもんだってことは分かった。
 だが、ソレとコレとは全くの別モンだ。それだけは断言できる。月とスッポン、豚と真珠以上に違うと自信をもって言い切れる。

「――そんなに?」

「うん…似て非なるものの典型的な例だね」
 
 マスターは実に興味深い、とつぶやくと、コーヒーのお代わりをもって来ようと言って席を立った。


 とにかく霧島のメガネデビューは失敗に終わった。

 でもすごくおもしろかったからいいよね!

 マツミナなんかいつもよりも異常にコーフンしてたっけ。
 君たち…君たち…って呪文みたいにぶつぶつ言いながら鼻の穴フガフガさせて、目をウルウルさせてたんだよ!

 いろんなバージョンでポーズとらされて‥
 メガネアリバージョンと、メガネオデコバージョン、それからメガネエリクビカケバージョンと、あとなんだっけ‥
 メガネナシバージョンもだ!

 あんなにたくさんの人が教室のドアにへばり付いて覗いている中で、僕も霧島もマツミナにたくさん写真を撮ってもらった。

 霧島はマツミナの”ヤベぇ生態”が全校生徒の目に触れて”迷惑行為”がなくなればいいと言ってたっけ!

「ウザミナ炸裂」
「オンステージ」

 
 高校最後の秋桜祭は、はちゃめちゃで、めちゃくちゃで、本当におもしろかったんだ。

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