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長編小説「きみがくれた」中‐㊵

「愛されるということ」


 カウンターの中で小気味よい金属音が鳴っているのを、亮介はぼんやりと眺めていた。
 銀色のポットが音を立ててお湯が沸いたことを知らせる。
 マスターは手を止め、ボールを置いた。
 マグカップのホットココアに溶かしたチョコレートを加えると、甘い湯気が立ち昇った。

「うわぁ、うまそぅ!」
 亮介が出来立ての“ホットチョコレート”を受け取った時、ドアベルの音が鳴り響いた。

カラララン・・・コロロロロン・・・

 マスターは亮介の後ろを覗き、開いた扉に微笑んだ。

「お帰り」

 振り向いた亮介の顔を見て、霧島はマスターの声に無言で答えた。

「ココア、飲むかい?」

 霧島は軽く頷いて、窓側のソファ席に着いた。

「オイコラ、なんでそっち行くんだよ!ココ座れよ、ココ!」

 亮介は自分の隣のイスを叩きながら、一度もこちらを見ようとしない霧島に訴えた。

「おまえ完全無視か、せっかく久々に会ったんだからちったぁ話そうぜ」

 霧島は暗い窓の外に顔を向けたまま黙って頬杖をついている。

「おまえなぁ、その態度はなんなんだ?だいたい、こんな時間までどこほっつき歩いてたんだよ。こっち来てちゃんと話してみ?ほら、こっち。ココ、ココ。」

  霧島はわざとしつこくけしかける亮介にも無表情だった。

「なぁ、霧島。今度どっか遊びに行かね?どこでもいいぜ。俺がどこでも好きなとこ連れてってやるから、行きたいとこ言ってみ?」
 亮介は丸イスから体を乗り出し、霧島の反応を伺った。

 けれど霧島は嫌だという代わりに目だけ動かし、前髪の下から表情もなく亮介を見据えた。

「なんだよ、そんなカオすんなよ」

「亮介」

「うん?」

 亮介は霧島の“気を引くことに成功”し、ぽろりと笑みを浮かべた。

「なんでいつもいんの」

「‥っな‥!」

 亮介は再び顔を背けた霧島に「てめぇコノヤロウ!」と顔をしかめた。

「いちゃ悪ぃか!俺がいつどこに居ようがてめぇにはカンケーねぇだろッ!別に、おまえを待ってたわけじゃねぇから。仕事の後のマスターのウマいコーヒーを飲みに来てるだけだから!マスターの手作りクッキーが好きだから食べに来てるだけだから!だから毎晩ここに来てんだよっ!」

 背中でわめく亮介を、霧島は一切相手にしない。

「央人、ココア入ったよ」
 マスターは楽しそうに微笑みながら霧島を呼んだ。

 今泡立てたばかりのホイップクリームを山盛りにして、その上からチョコレートソースをかけたマグカップ。
 カゴの中には温めたソフトクッキーが数枚入っている。
 
 霧島は無言で立ち上がり、マスターからココアとクッキーを受け取ると、そのまま奥の部屋へと消えて行った。

「‥クソガキが」
 亮介はホットチョコレートを一口飲み込み、奥のドアをじろりと睨んだ。
「うっま!」

 マスターはその様子に苦笑して、けれどふわりと微笑んだ。

「央人は愛情表現の仕方が非常に分かりにくいよね」
 マスターはそう言って腰を下ろした。

「あいつははっきり言って修業が足りん」

「修行?」

「あいつは自分のせっかくの特製を活かしきれてねぇ。つか自分のことを何も知らねぇ。興味すらねぇ。あいつはあいつ自身を丸ごと全部持て余してる。せっかくの“愛され体質”も、“イケメン”も、才能も。あいつは自分にも他人にも興味がなさすぎんだよ。清々する程夏目以外のヤツは眼中にない。神が万物を与えたような人間のクセに、そこには全く気付いてない。むしろその他人が羨む特性に自分自身が心を傷めるようなやつときてる。」

 亮介はクッキーを一枚手に取った。

「単純な話、経験が足りねぇんだ。もっといろんな人と関わって、触れ合って、心を交わして、人ってそうやって自分が何者かってことを確認していく生き物だろう?それにはます、自分の存在それ自体を、自分が認めてやらねぇとさ。どんなに人と関わったところで、それを自分の中に落とし込めなきゃ何にもならねぇじゃん。自分と対話するってことが成り立たねぇじゃん?」
「あいつはそもそも自分てもんがねぇんだ。だからあいつの良さを分かってくれる人間がいるってことにも気づかねぇ。まずは自分自身を知ること、そして受け入れること、それと同時に自分も他人を認めて受け入れるってことをしていかねぇと。はじめっから自分がないままじゃ何も始まらねぇよ。」

 マスターは冷めたコーヒーを一口啜り、亮介の話に頷いた。

「央人は人からの愛情を受け取れるようになった方がいいね‥そして、自分の中にあるものを相手に渡せるようになると、もっといい」

 マスターも亮介も、霧島とマーヤは“ことごとく”正反対だと言った。

「霧島本人に自覚はないだろうけど、愛されたいし愛したいのはバレバレ。でもめっちゃヘタ。」

「央人は、自分は愛されていい存在なんだということを認めてないような気がするんだ」

 そしてマスターは一息ついて、奥のドアに目を向けた。

 僕から見ると、夏目君はまさに“愛の塊”のような子なんだよね。人からもらえる限りの愛情を、吸収するだけ吸収していく。いつも愛で満たされているから、いつでもどこでもニコニコ、キラキラ、輝いている。
 自分が愛に満ちているから、他人に与える愛情もたっぷり備えていて、いつでも、どこでも、誰にでも、何にでも、惜しみなく注いでいく。
 それは決して多すぎず、少なすぎず、丁度いい塩梅で。

「あの子は愛情の受け取り方も与え方も、とても上手に、それを自然にできる子だったね」

 そう話すマスターに、亮介は「夏目は歩くパワースポット」と言った。

「あいつがそこに居るだけで空気が変わる。そこに癒しの空間が出来上がるんだ。いつも幸せオーラ全開で…キラキラしてるのはあの容姿だけじゃない。内側から放たれるハッピーオーラがあいつ自身を輝かせてるんだ。あいつは根っからの“天使気質”だよ。」

「“天使気質”!確かに。」

 マスターはふぅ、と肘をつき、「そもそも」と切り出した。

 央人は愛情の存在自体を異質としている節がある。そこにあることは知っているけど、遠巻きに見ているだけで何もしない。飛び付く気もなければ触ろうともしない。そして自分の中にありそうなそれの扱い方も知らない。
 誰かに渡すことも、その方法を考えることすら思いつかない。

「あいつが“もらえる愛には応えたい”と思ってるのは分かるから、ムカツクけど嫌な気はしないんだよな‥それに、こっちはあいつが“与える方法がわからないだけ”ってことも分かっちまうから、どうにも目が離せなくなるんだ。」
 亮介はどこか悔しそうにクッキーをかじって見せた。

「あいつはさ、自分に対しても、他人に対しても、超絶不器用。だからあんな、わざわざ自分を傷つけるようなことをして、追い詰めて、悲しみを味わうようなマネをしないと、その内側にある感情を実感することができないんだ」


“泣いてんのはおまえだバカ野郎”

“ほんとは分かってるんだろう”
“もう夏目はいないって”
“どこ行っても会えないって、ちゃんと分かってんだろう”


「ほんとはあいつの“ああいう感じ”もシカトして、頭からかぶりつきでぐしゃぐやにしてやりたいけど」

「あはは!それこの前冴子ちゃんに似たようなことやられてたよ」
「冴子はその点、自分ルールで動いてっから。目の前の霧島の反応なんかお構いなしで、自分がかわいがりたければ全力でいくから。意外と強引なスキンシップが効果的なんだよあいつには。」
 そう言って笑う亮介に、マスターはうれしそうに微笑んだ。

「亮介君は本当に央人のことがかわいいんだね。」
「かわいいっすよ。あの不器用すぎるところがそりゃあもう‥両手でもみくちゃにしてやりてぇくらいにかわいいっす。」

「ああ、それはかなり嫌がるだろうね。」

「一度覚悟決めてやってみっかな。全力で押し倒してさ、俺反撃させない自信あるし。腕力なら負けないから。こう、ぎゅぅーーって思いっきり抱きしめて、よぉーしよしよしよしよしって頭から足の先まで体中撫でくり回してやりてぇ‥!ゴロゴロ転がして遊んだりしてぇ!」

「え、転がすの?」

「マスターは?霧島に何やってもいいってなったら何したい?」
「‥何してもいいとはならないでしょ‥」
「例えばだよ!」

「うーん‥そうだなぁ」
 マスターは腕組みをして目を閉じると、しばらく考え込んだ。
 
 そして目を開けたマスターは答えを出した。

「僕は、央人を抱き枕にして眠りたい‥、かな」

 ふふふん、と満足そうに含み笑いを浮かべるマスターに、亮介はすっと真顔になった。

「それ、本人には絶対言わない方がいいよ」

 多分二度と帰って来なくなるから。

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