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「きみがくれた」スピンオフ『マーヤの思い出⑨』

「引っ越しの日」


 霧島がまたどこかへ行った。

“前よりも酷くなった”霧島の“放浪癖”をみんなが心配していた。

 亮介さんは夏休みが始まる前から霧島と“半ば強制的に”“こじつけのような約束”をいくつもしていたし、冴子さんは“何かにつけて”店の手伝いに呼び出し、一緒に食事をするよう“強要”していた。

 みんなが心配していたのは、霧島の毎日のご飯のことだった。僕はうちに食べに来ればいいと言ったんだけど、それは通らなかった。 
 後から亮介さんが言っていたんだけど、「一日に一度は大人の目に触れさせる」ことが重要だったから、だって。

「おまえんとこの父ちゃん母ちゃんがダメなんじゃなくて、‘欅の森’はこっから遠いからな」
「その間にどっか行っちまう可能性があるだろ」

 みんな本当に本気で霧島を心配していたんだ。

 僕らが知らないところで、マスターと、冴子さんと、亮介さんは3人でいろんなことを話し合っていたみたい。

 霧島の“食事事情”を一番心配していたのは冴子さんで、仕事の合間に夜のうちに翌朝のご飯を作っておいたり倉田家で料理を教えたりする中、“霧島がいなくならないうちに” “一日も早く誰かしらの家に引っ越して欲しい”と言っていた。

「あの子がどこで誰と暮らそうがすきにすればいい」

「とにかくご飯だけは3食食べさせたい」

 冴子さんが2人の前でそう“力説”していたと亮介さんが教えてくれた。

 結局霧島の食事はマスターと冴子さんが担当することになった。
 朝ごはんとお昼ごはんは冴子さんが、夜は霧島がマスターのお店に行くことに決まった。その目的は“一日に一回はマスターに顔を見せることは必須”、それと“必ず3人のうちの誰かと顔を会わさせる”ことにもあった。

 始め冴子さんはそれまで通り朝ごはんの準備を前の日の夜にしていたけれど、しばらくすると「必ず朝作りに行くことにした」。とにかく冴子さんはその日の朝霧島がそこにいることを確認したかったんだって。

 夏休みが始まると、霧島は僕と二人でアネモネにいるか、亮介さんに市場へ連れて行かれるか、配達に付き合わされるか、それとも倉田家の台所で“なぜか昼ご飯を作らされる”か、そして夜はマスターのお店でご飯を食べていたから、とにかく霧島は常に誰かと一緒にいるというということになっていた。
 みんなでばあちゃんの家に集まっては花火もしたし、ばばちゃんの畑の野菜を採ってバーベキューもした。
 僕はもちろん毎日泊っていたし、二人で月見山に昇って一晩明かすこともあった。

 亮介さんが考えた“霧島安否確認プロジェクト”は成功しているように見えた。
 けれど霧島は亮介さんとの“こじつけのような約束”を全て果たし、冴子さんに頼まれた用事も“前倒し”で“完璧に”片付け、アネモネのバイトも“そこそこ”に、あっさり姿を消してしまった。

 冴子さんに言わせれば、高校1年の夏休み、この時が霧島の“放浪のピーク”だった。

               ◆

 いつものように突然帰って来た霧島は、一人で住むアパートを決めていた。
 そのアパートは‘椴の森’から少し離れた‘樫の森’の、ずっと奥の方、どんぐり山の麓に建っていた。

 引っ越しはあっけなく終わった。
 ばばちゃんの家から運び出した霧島の荷物は亮介さんのミニキャブに余裕でスカスカに納まって、その後に運んでもらった僕の荷物の方が多かったかもしれない。

 僕は自分の家から来客用のお布団一式と一週間分の着替え、タオルに歯ブラシ、パジャマとトランプと植物図鑑が数冊、それから‥花が咲いている花鉢も5、6鉢運んでもらった。
 亮介さんは「旅行より荷物が多い」、「むしろ夏目の引っ越しみたいだ」と呆れながら、霧島のアパートまで車を走らせてくれた。

「引っ越しっていうより押しかけ合宿か」
「ちゃんと帰るんだぞ」

 そう言った亮介さんの横顔は、いつになく真面目だった。

  
 濃い緑が茂る木々の向こうに建つその建物を見たとき、亮介さんは“今にも森に飲み込まれそう”だと言い、“外見はほぼ森”だと笑った。

“築50年越えのおんぼろアパート”は“いつ壊れてもおかしくない”古さだった。

 亮介さんに言わせれば”かつて真っ赤に塗られていたはず”の壁はすっかり色褪せて土色に変わり、”真鍮だった”外階段も、青緑色の錆びだらけだった。気を付けないと踏み外しそうなトラップがいくつもあって、亮介さんは「俺の足のサイズに合ってない」とぼやいていた。

「よく見りゃ洋館風のデザインはレトロ・モダンで味があるな」
 なんて腕組みをしていた亮介さんをよそに、アパートの前で待っていた霧島は車から僕の荷物を下ろした。

「古い時代に造られたわりにはなかなかのもんだ」
「亮介さん建築のことも詳しいんだね!」
「当たり前だろ、俺はイイものは分かる男だ」
 亮介さんはそう得意げに鼻を鳴らした。

 部屋はフローリングの洋間と畳の和室が一つずつあって、広いキッチンとタイル貼りのお風呂にトイレ、おまけにベランダもあった。
“昔ながらの造り”で、“畳一枚のサイズがでかい”から、“一部屋が無駄に広い”。“一人暮らしならあんな無駄に広い部屋が二つも必要ない”というのが亮介さんの評価だった。
 

 畳の部屋の窓を開けて、“今にも崩れ落ちそうなこジャレたバルコニー付き”と指差し確認をすると、亮介さんは
「高校生の分際で贅沢すぎる」と鼻を鳴らした。そして
「この大きな窓から入る朝日はすこぶるテンション上がりそうだな」
「霧島の遅刻も減るだろう!」
とよく通る大きな声で宣言すると、霧島の肩に腕を回した。
 霧島はその手をするりとすり抜け、平然とタンスに僕の着替えもしまってくれた。

 
 引っ越しが済むと、お祝いが次々届いた。
 最初にマスターが洗濯機を持って来てくれた。
「同じ型を僕も家で使ってるんだ」
「大きさも手頃だし、毛布も洗えるよ」
と、設置までしてくれた。

 亮介さんからはベッドだった。
“超快眠☆目覚めスッキリ!枕&マットレス!!スペシャルコラボセット”という名前の商品で、僕はそのネーミングに笑っちゃったんだけど、亮介さんは部屋に置いたそのベッドの前で、「店で一番いいヤツなんだぞ」とか「これでおまえの安眠は約束された」とか「俺に感謝しまくれ」と自信たっぷりに念を押していた。 
 霧島はその“一番いいヤツ”の“ポテンシャル”をいくらでも自慢気に話す亮介さんの横で「亮介の単なる自己満足」とか「圧が恩着せがましいしうざい」と返し、亮介さんにクソガキとかかわいくねぇとか言われていた。
 僕はやっぱりそのやりとりがおもしろくて一人で笑っていた。

「すごいよこのベッド!ふかふかだし!弾力がすごい!!」ってベッドの上で跳ねた僕に、亮介さんは「霧島より先にダイブすんなよ!」と呆れていた。

 そしてある日、何の前触れもなくアパートに巨大な荷物が届いた。
 僕も霧島も何も知らなかったから、宅急便のお兄さんに「ほんとにここですか」って聞いたくらいだった。

  あの時、荷物の送り主を見た時の霧島の顔‥!
 あれは本当におもしろかった。僕はお腹の皮がよじれるくらい笑い転げたんだ。

 中身はなんと冷蔵庫だった。
 業務用かと思えるくらい大きくて頑丈そうだった。
“一般家庭用冷蔵庫(4、5人家族用)”の表記を見た時、僕はさらにお腹を抱えた。
 確かにキッチンは広いし、置けないサイズではなかったけれど、霧島が使うには大きすぎる立派な冷蔵庫だった。しかもいろんな機能がついいて、霧島が使いこなすとは思えないかった。

「ただの嫌がらせ」

 僕は大爆笑した。

 霧島はその冷蔵庫を玄関先に放置することにした。
 お陰で出入りに苦労することになった。

 僕らが冷蔵庫をほったらかしていたせいで、冴子さんにこっぴどく怒られたのを今でもよく覚えている。

  冴子さんはほとんど自分のために冷蔵庫を買ったんだって、亮介さんが言っていた。

 

 僕は引っ越し祝いをりんごの苗木にした。

 あの時はまだ膝丈くらいしかなくて、ちっぽけで頼りない、枝が刺さっただけみたいな苗木だった。

 僕は亮介さんに市場で一番おいしいりんごが成る苗木を頼んだ。

 一番おいしい実が成る品種の苗木だよ、って。


「亮介さん、一番おいしいりんごが成る苗木だよ」
「そんなの育て方次第だろ」
「素人じゃあまず実が成るかどうかも分からねえっつうの」
って、亮介さんはちょっと困った顔してたけど、僕は本気だった。

 だって、霧島がこの世で一番好きな“りんごちゃん印のりんごジュース”よりおいしいりんごジュースを作るんだから。

  霧島は小さい時からりんごジュースが大好きで、しかもりんごちゃん印のりんごジュースが一番のお気に入りだったんだって。
 霧島がまだずっと小さかった頃に一軒だけあった“なんとかストア”がなくなってから、‘椴の森’の人たちは他の地区まで買い物に出なければならなくなった。
 霧島のお気に入りの“りんごちゃん印のりんごジュース”はどこにも売ってなくて、だから大好きなりんごジュースを飲めなくなっちゃったんだ。

「あれ以外ならどれも同じ」なんだって。

 けれど霧島は“放浪”のたびに、見たこともないリンゴジュースを持って帰って来ていた。

 僕はある日、ばばちゃんの家の台所で霧島が“偶然捨てなかった空き瓶”を見つけた。そのりんごジュースをぼくも一度飲んでみたかった。
 ビンのラベルにはりんごちゃんの絵が描いてあった。

“赤いほっぺにチョウネクタイ”

“にっこり笑顔のりんごちゃん”

僕は勝手にそんな歌を作って歌っていた。


                ◆


「霧島んとこに居つくなよ」

 荷物を全部運び入れると、亮介さんは帰り際そんなことを言った。

「マリコさんが心配する」

「おまえは大事な一人息子なんだからな」

 どうしてそんなことを改めて言うんだろうと僕が不思議そうにしていると、亮介さんはこんなことも言っていた。

「おまえがどれだけ霧島を大事に想ってるか、俺たちは全員分かってる」

「けどな、それとはまた別のところで、親心ってのもあるんだ」

 亮介さんは僕の頭にポンと手を乗せて、「理解しなくていい」と続けた。

「とにかく家には帰れ」
「週2か3くらいはな」

 僕の母さんも父さんも、僕のうちに霧島が来てもいいと言っていた。
 でも霧島は一人暮らしをすることを選んだ。


「とはいえ、俺はある意味安心したんだけどな」

 見上げると亮介さんは少し困ったような笑みを浮かべていた。

「どういう意味?」
「おまえがあの部屋を片方使うことにしたってことにさ」
 亮介さんの言っている意味はよくわからなかった。


「まぁ、とにかく一件落着だ」

亮介さんは僕の背中をパンっと叩いて“トラップ満載”の階段を2段飛ばしで降りて行った。

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