「繊細」なのかもしれない

去年の一時期、無気力であまり元気がなかったときがある。
平たい言葉でいえば、病んでいたのだと思う。
当時はそんな自分を責めたり嫌悪したりしていたこともある。
そのとき、たまたまHSPというものを知って、何だろうと思って調べてみたら自分が経験したり感じたりしたことのあるものに近かった。

もしかしたらHSPなのかもしれない。
もっと言えば、HHS型HSPなのかもしれない。

Highly Sensitive Person
最近はよく、繊細さんと呼ばれるような人たち。
人よりも少し敏感にとらえてしまいやすく、ちょっとしたことでも結構気にしたり傷ついたりしてしまいやすいような、そんな認識をされている人たち。
細かく分けるといくつかタイプがあるみたいで、自分は診断の結果、他者と交流するのは好きだけど一人になった瞬間どっと疲れを感じてしまうHHS型に近いようだった。

これは医者に行ってきちんと診断してもらったわけではないし、複数のサイトで診断してみて、HSPである可能性が高いという結果が出たから勝手にそう思い込んでいるだけで、実際のところは違うのかもしれない。
その点では本当に病院等でHSPだと診断されている人からしたら非難の対象になってしまうことを言っていると思っている。
でも「その傾向が自分にはあるようだ、あるかもしれない(違うかもしれないけど)」と頭の片隅に置いておくだけでだいぶ意識が変わった。

仮にだからといってどうしたいというものでもないし、他人に何かを強制するようなことはしないし、したくない。
ただその自覚があるだけで少し気が楽になる気がしている。
もちろんそれを理由にネガティブな行動をするつもりはないし、言い訳として使いたいわけではない。
自分の性質の一つとして認識したいだけ。
そんな自分でも良いと認めたいだけ。
というか、こういうものに対して名前がついていると知ることでただ安心したいだけなんだろうとも思っている。


自分はどうやら結構気にしすぎるところがあるみたいだし、小さな音とか匂いでも一度気になってしまうとすぐ気が散るし、今日あのときの発言/行動で一緒にいた人を不快にさせてしまったかな…とか、その場を離れたり家に帰ってから時差で考えてしまう。
あと、一定の音が苦手。
例えば咀嚼音、急激な大きな音、怒鳴り声など人がイライラしている様子が伝わる声。
個人的には耳から入る情報がすぐに気になってしまうみたいだ。

うまく言えない上に今更かもしれないけれど、そうやって自分について少しずつ紐解いていくことで、もっとのびのびとしていられる気がするし、自分らしくいることができるような気がする。
それに気持ちが少しでも楽だと前向きに考えられるようになる。
こうした自覚や認識ひとつで生きやすくなるなら、それでいいかなと思っている。


ではまた。
ごきげんよう。

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