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#習作 おまえのなまえ

# 純文学チックなので面白くはないです。
# 一時間執筆チャレンジ お題「猫、コスモス、半島」

木村聡。
小学生のころの僕らといえば、ひたすらにあだ名を付け合っていた。数日で変わるあだ名もあったし、ずっと変わらないあだ名をもあった。そのころの僕らの中で一番の最悪は、あだ名がないということだった。校庭に住み着くでさえあだ名をもらえるのに、あだ名すらないことは、学校中の一番の格下で、スーパーファミコンをもっていないとか、毎日同じ服を着ているとかよりも、ずっと恥ずかしいことだった。

そんな僕に付けられたあだ名は「キム」だった。
山下君が国語の授業中に、とっさに僕の名を呼び、その山下君を叱る先生の怒号で最後のラ音かき消された。ストーブの上に置かれたやかんが水蒸気をあげていた。2月の教室の空気は小学校6年生も終わりに近くになったことを察したように乾いていた。卒業間際にやっと僕についたあだ名が「キム」。それ以来、僕は「キム」というあだ名を背負って生きてきた。ちょうど、前年に、テポドンが発射されたから、小学生はみんな知っている言葉だった。小学校のころの思い出はほとんどないのだけれど、やっとこの冬以降、僕はみんなに認められ気がしていた。

もしも、いまが僕が小学生だったら、あるいは2019年だったとしたならば、「緊急事態宣言」という物々しい言葉は、朝鮮半島から日本へミサイルを打ちこまれたような意味合いだったと思う。それはそれで一大事なのかもしれないけれど、そういうときにでも山下君は、僕のことを「キム」といい、そして「おまえのせいだ」と、あの太い眉毛のまま僕の肩でも小突いていたに違いなかった。

山下君の訃報を見たのは、ちょうど緊急事態宣言の翌日の新快速の中だった。Facebookで、僕の知らないみんながお悔やみの言葉を発信していた。
僕は、彼とは、小学校以来一切連絡をしていないし、する必要もなかった。
緊急事態だというのに、いつもの新快速は、いつもどおりの定刻に京都をでて、いつもどおりの速度なのかはしれないけれど、茨木駅などまるで存在しないかのようにいつものように素通りした。そして、いつもどおり、僕を大阪駅へと運んだ。突然に思い出さされた心奥の記憶は、煮沸した熱湯の泡のように、ぽこり、と沸き出したのだった。僕にあだ名をくれたあの6年生の8月に宇宙(コスモス)のはるか彼方へとんでいったテポドンはどこにいったのだろう。僕は、ちょうど、目的地についたところなんだけれど。

(完)


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