見出し画像

早く許したかった話

去年の年末、ばあちゃんが天国に行った。
老衰だった。
数年前から認知症の症状が出始めて、老人ホームに入所したばあちゃん。
面会に行っても孫の私と認識できてるタイミングと
近所のお姉さんに話しかけてるようなタイミングとごっちゃになってしまったばあちゃん。

コロナ禍になってからは面会はずっと施設側の判断で出来なかったけど
ご飯も食べられなくなって、点滴で栄養を送るようになってるからと、面会許可の連絡が来ていよいよかと覚悟した。

幼少期は共働きでほとんど家に居なかった両親のかわりに、沢山面倒見てもらってたので
私はばあちゃん子として育ち、家族の中でばあちゃんが1番好きだった。
「北海道に行ってみたかった」と言うばあちゃんに
「私が大人になったら連れて行くからね」と約束していた。
その為に沢山働こう、早く働けるようになりたいと子供ながらにずっと思ってた。

今考えると本当に小さい事だけど
両親が離婚した後、私が中学生になって
「このままだとハミられる!」と父にねだりまくって携帯を買ってもらい、毎月の携帯代は父が払ってくれている中で
ばあちゃんから「携帯代なんか高いのに買ってもらいなさんな。お金ばっかりせびって」と低い声で怒る電話があった。
私はその言葉がすごくショックで
父からの養育費も無く誰から見ても分かられてしまう貧乏な暮らしと、まだ小さい弟2人の子守り、鳴り止まない非通知の督促電話やイタズラ電話に日々イライラしており
「大人は誰も助けてくれない」と絶望して、ばあちゃん子だった私は居なくなった。
お金が無いせいで友達とまともに遊びにいけない怒りや、何で私だけ!という糞悲劇の馬鹿ヒロインぶりが
全て祖母に向いた瞬間だったのかもしれない。
悲観的で暗くて、でも誰かに助けて欲しい嫌な思春期だった。

ばあちゃんへ会いに行く回数も極端に減り
それでも育てて貰った感謝の念で、定期的に会い行く。ばあちゃん子の素直で優しい私を演じていた。

会いに行くと麺つゆが3本もあったり、飲まない牛乳を買っていたりと
認知症の症状が酷くなって来た3年前。
長く住んでいたアパートを退去して、ばあちゃんは老人ホームへ入所した。
父と一緒に片付けた際に出てきたばあちゃんの日記には
私を心配する文章や、私が会いに来て嬉しかった事、私の結婚をとても喜んで、そしてまた心配する文章が沢山あった。
途中からどんどん色んな人への攻撃的な文章になっていく日記、それでも私の悪口は一切無かった。

最新の日付に近づく度に文字は乱雑になり《頭にモヤがかかってて変、自分じゃ無いようで怖い》と
認知症の始まりを、ただ孤独に耐えながら恐怖している文章が続いて
最後はペンでグルグルと日記を消して書く事もやめていた。

怖かっただろうに不安だったろうに
ばあちゃん、祖母不幸な孫で本当にごめんね。
私がもっと会いに行っていれば発症は遅れたかもしれないし
自分を失う怖さに寄り添う事が出来たかもしれない。
昔の小さな事にこだわって私は冷たい孫だったよね。なんであんな小さい事を早く許せなかったんだろう。

日記を読み終えた時には涙が止まらなくて一晩中泣いた。まだこんなに涙出るんやと驚いた。
「そんなに泣きなさんな」と私の頭を撫でてくれたばあちゃんの手を思い出して、初めて私は後悔した。

私は結局、自分の家族の事で傷つきながら
自分も家族を傷つけてたと取り返しがつかなくなってから反省する事になった。

自分だけで成長した気になって
家族が変わってくれてた事に気づけて無かったなんて、横暴なクソ野郎もいいところで本当に呆れる。

ばあちゃん、本当にごめんなさい。

保育園に毎日迎えに来てくれてありがとう。
コンビニの肉まんを妹と半分こで買ってくれた冬の帰り道が大好きでした。
肉無しの甘すぎるすき焼きの頻度が高すぎて、今でもすき焼きはちょっと苦手です。
ちゃんとしたお店のすき焼きは好きです。
本人の性格に似てワガママな舌に育ちました。
よく昼ごはんに作ってくれた白スパゲティは何度作っても、あの味にならへんよ。
豆腐でかさ増しした、和風ロールキャベツもう一度食べたかったなあ。
日記を書いてたのが意外過ぎてびっくりしたけど、私の事を書いてくれてた多さに
ばあちゃんの愛をまた感じる事が出来て、遠回りし過ぎやけど、やっぱり私はばあちゃん子やと実感できました。甘ったれで器が小さい孫でごめんね。
ばあちゃんが1番心配してくれていた「親や人の顔色を伺って意見が言えず我慢してしまう」癖は
今では我が強すぎるから完全にプラスになって丁度良いバランスやよ。むしろ言い過ぎのレベルです。
あの頃の私からは考えられないぐらい
毎日楽しく働いて、幸せに暮らしてるよ。

最後は面会に沢山行けて、大好きって伝えられたのは本当に良かった。
ばあちゃんが好きだったJAZを集めたプレイリストを耳元で流すと少し笑ってるように感じた。
音楽って凄いね。
ばあちゃんが好きだった音楽を教えてくれたのはお母さんやよ。良い元嫁よね。
おばあちゃんの手の温浴もお母さんが居なかったら誰も気づきも出来なかったよ。
看護師さんって凄いね。

「ばあちゃんプレイリスト」は命日に聞くようにするからね。
私たちとの時間の為に精一杯最後まで生きてくれてありがとう。
ただただ、もっと早く許して祖母孝行をしたかったです。意固地な孫で本当にごめんなさい。

私がこれから同じような事で後悔しない為に
私が大切だと思っている人達から
傷つけられたとしても0.2秒で許せるよう
むしろ傷つく事すら無いように、強くしなやかな女性を目指すから見守っていてね。

産まれた環境を憎まず、己の力の無さを憎んで強さに変えていきます。

私がばあちゃんのいる天国に行ったら一緒に北海道へ行こうね。
当たり前のように天国に逝く気なんだから、本当にこの孫は図々しいよね。照

大好きなばあちゃんへ。
お礼が遅くなり過ぎてごめんね。
ずっとずっと大好きです。

ばあちゃんが愛してくれた可愛い私より。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?