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相手の立場に立つとは?

顧客視点とは?

「あなたは顧客視点に立ててない!」といった指導を聞いたことがある
が、私はこの指導に違和感を感じている

あえてここでは「顧客第一」とは異なる定義としておく
それは何かというと、ひとつは「自分視点がある前提で顧客視点もある」ということだ
もうひとつは「顧客」とはビジネスの取引相手だけでなく、広く自分と接することのある他人ということ

相手を思いやる気持ちを持つというのは、実はかなり難しいことだと感じている
人間は1日の生活をほとんど無意識で行っているらしい(その無意識に着目してビジネスに活かそうというのが行動経済学)
自分でさえ無意識を意識するというのは難しい、ましてや他人の無意識を考えることは夢のまた夢
そこで、自分の考える枠の中で相手のことを考えたとしても、それは自分の考えでしかない
これが顧客視点のワナである

だから「顧客視点に立ててない!」という指導を改善するとしたら「顧客は何を望んでいるかを明示的に把握せよ!」となる

その上で自分視点と顧客視点を認知/比較して、何が異なり、何が一致するところなのかを探ること、それが「顧客視点」に込められている意味だと思う

徒弟的考え方(教える者が教わる者よりも常に見識や経験が上)に基づけば、「顧客視点に立ててない!」という指導は意味がない
教える者からすれば、教わる者が相手と映る、そうなったときに

  • 相手の立場に立つという無理難題を

  • ただ指摘するだけで具体的な方途を示さない

というのは教える者が顧客視点でものごとを考えているのか?と思ってしまう

ある研修からの気づきと反省

「相手の立場に立つ」研修というものを作ったのだけど、その内容はビジネスを進める上でやっておいた方がいいんじゃないのと思う行動ができるような項目を並べているだけだ

  • 基本的には愚直な報連相

  • 相手の立場に立つシンプルな方法は相手を主語にして問いを考えてみる

  • でも結局わからなければ、聞いてみる

だが、これらを修得することに課題感を感じた出来事があった

このような研修を行った1か月後に次のようなテーマで自由にブレストする研修を行った

「ある製品を10年後にリリースし大ヒット商品にしたい。その製品の開発計画を立てて、Bさん(講師)が納得するものを出しなさい。一番納得するものを出したグループが優勝」

そして1時間のブレストが始まったのだが、Bさんが納得するものとは何か?といったことが全く議論されず、開発計画を作ることから始めていた

前回の研修を生かすとすれば「主語は誰か」をまず見極めることが肝要であって、主語は講師とすべきところなのだが、自分らの目線で大ヒット商品に必要なことはなんだろうか?そして自分だったらどのようにつくりたいかという自分らの価値観のぶつけあいで1時間が消化された

発表の中で、いくつか講師側から質問をしたのだが、少し突っ込んだ質問をすると「私だったら、このようにつくりたいです!」とイシュー設定ミス宣言を堂々とする人もいた
またブレストをスタートする前に「これってBさん(講師)納得すればいいんですよね?」って質問をしてきた人がいて、鋭いなと思ったのだが、結局ブレストに入るとそれにつながるような言動がなく、むしろ一番自分がこうつくりたいという考えを押し付けていたように見える
前回学んだ研修内容を口走ったのだが、そこまでしか到達せず
まさに「口耳之学」である

こういったやり方はある種ギャンブルである
自分が賭けたものが相手にマッチするかどうか、ふたを開けてみなければわからないという状態

だから、少なくともその1時間の間に講師に何かヒントを求める行動があってもよかったはずだが、誰ひとりとして質問することはなかった

まさに顧客視点のワナにはまっていたのである

そう総括すると、そもそもその前に行った「相手の立場に立つ」研修が全く効き目がなかったわけで、この内容については大きく見直しをしなければならないと思った

目からウロコが落ちるといっていいほど相手の立場に立つってどういうことなのか?いままで自分が相手の立場に立てていなかったかを痛烈に気づきを得た研修をかつて受けたことがあり、そこから着想し研修を考えたつもりだったのだが、その解き方では効果がなかったのである

仮説ではあるが、受講者が同じ職場の同じ世代という自分本位のコミュニケーションが許されている間柄だったから、そして研修というのは仕事であるはずなのに、そのコミュニケーションの概念から抜け出すことができなかったから、だから誰もズレを指摘できなかったのでは?と思う

事実、受講者のひとりで最も若い世代から受講後に個別に話しかけられ「議論が進行するなかで言語化できないモヤモヤとズレを感じていた。その何かについて思うところがあったら教えてほしい」と言われた

他の研修でそんなに難しいテーマではないのに多くの気づきが得られるものがある
それは世代は同じだが部署が全く違い、ふだんからコミュニケーションを取らないグループで1時間議論してもらうというものだ
アンケートに「自分がふだん理解している業界や業種それに沿った言葉でないものが話されるので、共感できない。同じ部署のグループにしてほしい」と書かれることもあったのだが、それには応じず、グループワークの注意事項として「専門用語を使わないこと」という項目を設けた
これによって、多くの気づきが得られるグループワークになった

前述の2つの研修はある部門に特化し、ライバル関係を築く(切磋琢磨)ことを目的に始められたのだが、言語化されないモヤモヤした思想に乗っ取られているような気がする
悪い意味での社内政治である
芥川龍之介の蜘蛛の糸のように我先にというのは許さない、そして緩やかに同調圧力をかけているという状態だ
しかも悪意がない

つまり、当初の検討で忘れていたのは、その部門という括りで実施することによって発生する初期バイアスは何が考えられ、それらをどう払拭するか?またはそれらをどう活用するか?だ
例えば、払拭という面ではタメ口や汚い言葉遣いは禁止、先輩/後輩関係なしで忌憚なく意見する、であるとか、活用という面では声の大きい社員にセリフを用意してしゃべってもらう=研修の目的や狙いを理解させておくとか

普段の研修では、受講者の受ける前の状態を考え、モチベーション、事前知識、巻き込み力などを検討した上で、レベル感や進め方をアレンジするのだが、今回だけは「優秀な人が集まっている」という先入観がこれらを抜け落ちさせてしまった
大いなる反省点である

同調圧力はややネガティブな言葉だが、言い換えると社内風土ではなかろうか

他社の社風に学ぶこと

幸いにもとある人脈がきっかけで、社内研修を外部に実施することが増えてきた
もちろん、その研修を受ける受講者の学びや気づきを多くすることがミッションなのだが、一方でこちら側としては、他社の受講者の雰囲気に接することができるのは学びだ

ある会社は受講者どうしフランクに会話するのだが、受講姿勢は真剣
最初の演習はかなりスピードが遅かったが、短時間のうちにみるみるスピードが上がり、驚いた
そして、ちょっと遅れが出ているメンバーをいじりつつも、アドバイスしてあげたり、手伝ったりしている
成長しあえる友達どうしのように映る

この違いって何なのだろう?どうしたらこの違いが生まれるのだろう?と考えるきっかけになった

研修だけが社内風土を変えていく手法とは考えてはいないが、まずはこの括りで考えていこうと思う


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