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網走まで、清兵衛の瓢箪

先日、『暗夜行路』を読んでから志賀直哉に嵌っている。自分は何かと影響を受けやすい性質で、一つのものに凝る、嵌るなどするとそれに纏わった影響が日々の生活、仕事などなど様々な部分に表れてしまって何かとよろしくない。従って普段から出来るだけ一つに拘る偏ることが無いように生活しているのだが、そうはいっても読みたいという感情は中々止められるものでもない。度を越さなければよいわけであって、志賀直哉はもう少し続けてよいだろう。そういう流れで、ここは留まり、読み進める。

自分が利用する最寄り駅前の本屋に置かれていた志賀直哉は、先日読んだ『暗夜行路』含めて三冊のみ。教科書の中でも名を目にする、誰しもが知る有名作家にもかかわらず、三冊のみとは何とも少な過ぎる。最近は相当に売れていないのか。とりあえず、先日読んだ『暗夜行路』の次は残り二冊の短編集『網走まで、清兵衛の瓢箪』、『小僧の神様、城の崎にて』を纏めて購入する。

そして、今回読んだのは<し-1-4とし-1-5>で番号の若い、し-1-4の『網走まで、清兵衛の瓢箪』。表題の2編を含む18編を集めた短編集。

まず、『網走まで』と『清兵衛の瓢箪』は表題になっているだけあり、雰囲気、その内容共に良い。18篇の中には正直少々退屈なものもあったが、印象深いものもそれなりにあり、上2編の他に『濁った頭』、『襖』、『剃刀』、『范の犯罪』、『児を盗む話』が自分の中では特に印象に残る。

それは兎も角も、作中にて描かれる主人公の多くが癇癪持ち。ちょっとしたことで簡単にイライラして怒り出す。それで面倒事を起こしたりする。志賀直哉本人にそういうところがあったのだろうが、皆がああだと世の中廻らずで困ってしまう。特に床屋などがそういう癇癪持ちだと酷い。

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