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死にかけた 2回目

たしか、ぼくが小学校3年生か4年生の頃。
善福寺川沿いを自転車で20分くらい走ったところにある、大宮八幡宮の隣にある公園へと遊びにいく途中の出来事でした。

当時は、常に新しい遊び場所を探して見つけ出すことが、なんだかトム・ソーヤじゃないけれど冒険のようで楽しかったんです。

ぼくは友だちと善福寺川沿いの道から外れて、大宮八幡宮の塀に沿って自転車で走っていました。天気は穏やかで心地よい風が流れ、新緑の葉が手を振っているかのような金曜日の午後でした。

最初は車道を自転車で走っていたのですが、前方から車が走って来たので歩道に入ろうとした、その時です。

歩道と車道の間に置かれた大きな縁石に自転車のペダルが引っかかり、運悪く歩道側ではなくて、車道側に自転車ごと倒れてしまったのです。

カラダは自転車と一緒に倒れたので、右脚が地面と自転車に挟まれる状態となり身動きがとれませんでした。

倒れた時の景色は、ちょう横になってベッドに寝た時に見える視界と同じでした。
倒れたぼくの視線の先にある景色。それはだんだんと大きくなって見えて来る車のタイヤでした。

この話を聞かれた方は、パニック状態になったでしょう!?と思われるかもしれませんが、実は不思議なことに意外と冷静でした。

視界にタイヤをとらえた瞬間は、時間が止まった感じというのか、ものすごくスローモーションな映像でした。その瞬間、どのくらいの時間が経過したのかは分かりませんが、

次の瞬間!目の前にタイヤがぁ、、、もうおしまいだと思いました。

しかし、

今でも当時のことを振り返ると不思議でしょうがないのですが、タイヤに顔面を引かれる瞬間、誰かに「グイッ」と柔道の奥襟を掴まれたような力強さで、背中を引っ張ってもらったのです。

それでも多少の代償は残りました。タイヤの側面にぼくの右肩が当たったのです。
友だちも何人か一緒に居たのですがあっと言う間の出来事でしたし、自転車で前後にばらけて走っていました。

友だちは何が起きたのか把握出来ていない状態でしたので、友だちがぼくの背中を「グイッ」と引っ張ることは出来なかったはずです。

それでは、誰が…。

神様!?天使!?守護神!?大宮八幡宮だけに応神天皇!?
九死に一生を得ました!

外傷はアザが出来たくらいで、多少の痛みはありましたが大きな怪我にはなりませんでした。もしも、何かの存在に背中を引っ張られなかったら…ぼくの顔はタイヤに踏み潰されていたのでしょう。グェー。

ぼくにとっては体の痛みよりも、飛行機に乗り遅れるよりももっとショックな出来事があってのです。それは、車の運転手の行動でした。

ぼくが車に接触したことで、異変に気付いた運転手が車を止めドアを開けて出てきた時に彼が最初に目をやった場所が、自分の車の後方部分だったのです。

まさしく、ぼくが接触したタイヤ付近です。あくまでも憶測の域になってしまいますが、運転手は車の状態が気になって、車に傷が着いていないかをいち早く確認したかったのだと思います。

このシーンは40年以上経った今でも、とても鮮明に覚えています。子どもながらに、とても嫌なシーンを見てしまったなぁ~と複雑な気持ちでした。

車の運転手は、何か声をかけてくれたと思うのですが、何と声をかけられたか良く覚えていません。

ただ、しきりにワタシは「大丈夫です。大丈夫です。」と言っていた記憶があります。事故のあとは、そのまま何も無かったように、友だちと遊び場へと自転車を走らせ遊び場へ向かいました。

子どもは時として、ほとんどの場合は無力です。だから大人のぼくは、子どもたちの異変に立ち合い気がついた時は何かしらの声をかけたいと思っているし、声をかけてきました。

帰宅後してから母親に事情を説明しました。もちろん、母親は病院へ行こう。と言ってくれましたが、ぼくは何故か、肯きませんでした。

きっと、運転手が最初にぼくではなく車を気にした行動がとてつもなくショックで心が寂しくなっていたのだと思います。

交通事故は、人間のカルマ(業)の解消ともいわれます。心身ともに多少の痛みはつきモノですね。

前前前世では、ぼくが車の運転手と逆の立場だったのかもしれません。生きていれば何かに触れるものです。それは避けるものではなくて感じるものなのだと思っています。

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