マガジンのカバー画像

死にかけた

3
人生で4回死にかけた話
運営しているクリエイター

#死

死にかけた 3回目

小学4年か5年生位のとある日曜日だったと思います。 当時のスーパーやお菓子屋さんで販売されていた飴袋の中には、1個だけ大玉の飴が入っているという商品が結構ありました。 家族の中で大玉を争う存在などおらず(姉はいるが大玉に興味がない)、大玉は100%の確率でぼくのもの(もはや大玉はぼくで、ぼくは大玉。なんじゃそりゃ)。飴袋を開けたら、1番に大玉の飴を口の中に放り込むのはぼくの特権でした。 その日も、オレが大玉だぜ。みたいなドヤ顔でコーラ味の大玉飴を口の中に放り込みました。

死にかけた 2回目

たしか、ぼくが小学校3年生か4年生の頃。 善福寺川沿いを自転車で20分くらい走ったところにある、大宮八幡宮の隣にある公園へと遊びにいく途中の出来事でした。 当時は、常に新しい遊び場所を探して見つけ出すことが、なんだかトム・ソーヤじゃないけれど冒険のようで楽しかったんです。 ぼくは友だちと善福寺川沿いの道から外れて、大宮八幡宮の塀に沿って自転車で走っていました。天気は穏やかで心地よい風が流れ、新緑の葉が手を振っているかのような金曜日の午後でした。 最初は車道を自転車で走っ

死にかけた 1回目

2.3歳の頃です。ちなみにこの時のコトをぼくは覚えていません。母親から聞きました。 毎年、夏になると母方の親戚家族総勢15名ほどで旅行に行っていました。その年は、千葉県の飯岡海岸へ。 小さい頃のワタシは、兎に角チョコマカ・チョコマカと常に動き回っていて、じっとしているのは寝ている時だけだったそうです。 母からはいまだに言われます。「お茶を飲む時間が欲しかった、、」と。 そんなチョコマカ小僧が何故!死にかけたかと言いますと、持ち前のチョコマカですばしっこい性質が仇となり