『三日坊主のさとり』~3話~
【学道僧侶のさとり】
この寺には大きな書庫がある。
国中から修行僧が集まるのと同様に、書物もまたこの寺に集められていた。その書物が収められているのが寺の書庫である。
書庫のサイズは、先の道場を上回る大きさである。そんな書庫を管理統括している人物がいた。
その人こそが、学道僧侶(がくどうそうりょ)その人である。学問の先に、『悟り』を見い出した人物である。
学道僧侶は今日も書庫にこもり。学問の探求と、書籍の整理につとめていた。書庫は静けさにつつまれ、本をめくる音がやさしく空気をなでていた。
「学道僧侶ー、学道僧侶はおられますかー」
書庫の入り口から、誰かの声が響いてきた。学道僧侶を探しているようであった。
「どなたかな~?」
学道僧侶が本の山をすり抜けて姿を現した。
「そなたは……三日坊主だな!」
「なッ!? 何故その呼び名を……」
自分の意図せぬ場で「三日坊主」の名が、広まっていることに驚き固まってしまう。
「して、何用かな?」
三日坊主は学道僧侶の言葉で我にかえる。
「学道僧侶、学問を学ばせてください」
「ほぉー私に学びたいとーー」
「はい」
三日坊主は迷い無く返事をした。
「良い返事だーー。ひとつよいか?」
「は、はい」
学問の道を極めている人からどのような質問が飛んでくるのか? 三日坊主は身構えた。
「体はもうよいのか?」
カクン! 予想外の質問に体の力が抜けた。
「なに、そなた先日まで。剛力僧侶のもとで修行していたと聞いておったのでな。その時、怪我をしたとか――」
「う……」
言葉に詰まる、三日坊主。
「見たところ怪我をしてる様子もないが? もう、完治したのかの?」
三日坊主は完全に固まり、石地蔵となる。その様子を学道僧侶はゆっくりと観察していた。
学道僧侶が観察を終えて話を進める。まるで、本をめぐり、先へ進めるように――。
「少し意地が悪かったかなーー」
「えッ?」
「いや、こちらの話だ。よろしい、学問の道にあないしてやろう。ついて参れ!」
三日坊主を置き去りに話が進む。しかし、三日坊主はそんなことは気にもかけておらず。学道僧侶に学べるこで、頭がいっぱいの様子である。
学道僧侶は語る。
「学問といっても、それは多岐にわたる分野が存在する。それこそ星の数といっても良いであろうな」
「星の数ですか? 学道僧侶はそれら全てをおさめているのですか?」
「はは! 私が全ての学問をおさめていると? 一部もおさめられていないよ」
「え⁉」
三日坊主は驚きを隠せなかった。この寺で一番の頭脳を持つ、学道僧侶ですら学問の道半。三日坊主はその事実に、途端に自信を喪失してしまった。
「はぐれるぞ」
気づくと学道僧侶との距離が開いていた。慌てて後を追う。そのまま学道僧侶の後につづいて、書庫の奥へと進んでいった。
「到着だ! ここが私の部屋だ」
案内された場所は、四方書籍で埋め尽くされた空間だった。本に埋もれるような形で、かろうじて机と椅子があるのが分かる。そこが学道僧侶の机だった。
「少し待っておれ――」
学道僧侶がおもむろに本を持ち上げて移動させる。すると本の山の底から、新たな机が姿を現した。
「三日坊主はそこの席へ」
掘りおこさせた机を指さし着席を促す。指示に従い席に着く。
学道僧侶は自席に座る。互いに向かい合う形となった。
「さて、改めて確認だ? そなたは何を学びたいのかな?」
先ほどの学道僧侶の言葉にひるんでしまったが、自分が学びたいこと。知りたいことは、初めから決まっていた。
「『悟りとは何か?』をお教えください。」
「ふふっ! 『悟り』を問うか?」
学道僧侶は笑みをこぼした。三日坊主は学道僧侶の目をまっすぐに見ていた。学道僧侶はその視線を受けて。ひとつ咳払いをするーーウッン!
「若いの~」
学道僧侶が小さくつぶやいた言葉を三日坊主は聞き取れなかった。三日坊主は、かるく頭を傾げた。
「よろしい。では、『悟り』について学んでいくとしよう」
「はい」
学道僧侶は三日坊主の返事を受け止めて。ゆっくりと話し始めた。
「『悟り』も多種多様に存在する。学問と同じで、これもまた星の数といってよいであろう」
三日坊主が、また表情を曇らせる。
「この寺の中だけでも、いろいろな形で『悟り』を探求する者達が集まっている」
三日坊主は軽く頭を左右に振って、切り替えて学道僧侶の話に集中した。
「私は学問を探求している。また、先日までそなたが共に修行していた。剛力僧侶は武術を探求している。私と剛力僧侶ふたりだけでも、別々の道から『悟り』を目指していることがわかるな?」
三日坊主は剛力僧侶の名前を聞き、小さく肩を震わせた。「はい…。分かります」と、歯切れ悪く返事をする。
学道僧侶はかまわずに続けた。
「つまり、『悟り』にいたる方法はひとつではないということだ。ここで問題になるのが、どのようにして『悟り』を目指すのか? どのような道を選ぶのかが、重要になるわけだ」
三日坊主の頭がすでに傾きはじめていた。
「今のそなたは道を選ぶのに迷っている段階にある」
学道僧侶が話をまとめて進めてくれた。三日坊主は大きく頭を縦に振る。
「ならば学ぶとしたら、ひとつであるーー。ブッタ様についてだ!」
自分が学ぶべきものが定まったことで、三日坊主の目に力がやどった。
「『悟り』の始まりである。ブッタ様について学んでいこう」
学道僧侶は降り向きをせずに、手を後ろに伸ばして一冊の本をとった。どこにどの書物が置いてあるのかを把握しているのだ。
「では、ブッタ様の生い立ちから。ブッタ様は、ある国の王子として誕生した。その名をシッダールタというーー」
そこから学道僧侶の講義は止まることなく。シッダールタがいかにして出家するのか。じっくりと説明をしてくれた。
三日坊主は今度こそ『悟り』にいたるのだと。強い決意で、学道僧侶の話にくらいついた。
日が暮れるころにようやく学道僧侶は講義は終わった。三日坊主は学道僧侶に頼み。ブッタ様についての書物を借りて宿舎に戻った。
その日の晩。三日坊主の寝床には小さな灯りが一晩中ともっていたーー。
次の日。三日坊主は続けて、学道僧侶の講義を受けに来た。
学道僧侶は、三日坊主の様子を見て寝不足であることに気が付いたがそのことには触れなかった。
「では、昨日の続きから――。ブッタ様の修業。そしてどのように『悟り』にいたったかを話していこう」
「学道僧侶、よろしいですか?」
三日坊主が手を挙げている。「なんだ?」と学道僧侶が問うと。三日坊主が、昨日学んだ内容を自分で話しはじまた。
学道僧侶は静かに耳を傾けた。
簡単にまとめているが、三日坊主は昨日の話の内容を諳んじてみせた。そして話し終えた後に「どうですか?」と、学道僧侶に評価を求めた。
学道僧侶はフフと含みを持たせて小さく笑い。「よく学べておるな」と、三日坊主に言葉をかけた。
「では、昨日の続きを学んでいこう」
「え⁉ それだけですか?」
三日坊主は学道僧侶の軽い返しに言葉をもらした。
「何かな?」
「ッ……いえ、何も……」
三日坊主は何も言葉が出てこなかった。
「では、改めて。昨日の続きを学んでいくとしようーー」
三日坊主は少し腑に落ちない様子であったが。気を取り直して、学道僧侶の話に集中した。
二日目は、ブッタの修業について。そしてブッタ様が、一本の菩提樹の木の下で行った瞑想のさなか『悟り』を得たことを学んだ。
この日も話が終わることには、すっかり日が落ちていた。三日坊主はまたブッタ様の本を借りて宿舎にもどった。
その晩をから、宿舎で「夜な夜な念仏が聞こえてくる」という噂がひろまった。しかし、その噂は三日と続かなかった。
三日目。三日坊主の顔には、疲労が色濃く出ていた。学道僧侶がそのことに触れることはなかった。
「では、本日は『はい!』」
三日坊主が学道僧侶の言葉にかぶせながら手を上げる。そして昨日と同じく。ブッタ様の修行の内容から『悟り』にいたるまでの様子を諳んじた。
言い終えると、学道僧侶が軽く拍手をしてくれた。その拍手で三日坊主の表情がすこしゆるまった。
しかしーー
「よろしい。良く覚えられておる。では、学んだことで何か気づきを得たか?」
三日坊主はそこで固まってしまう。学道僧侶は残念そうな表情をうかべた。
「では、今日はブッタ様の誕生からおさらいしていこう」
「ま、待ってください。それは既に知っております!」
「ーーーー」
ふたりの間に、沈黙が流れた。三日坊主は「まずいことを言ったか?」と、後悔した。しかし、後悔は先にたたず。また、言葉は後に戻らない。
すると、学道僧侶がゆっくりと話はじめた。
「よいか、三日坊主? 学びとは知識を暗記することだけではないのだ。
覚えることは、はじめの一歩目にすぎないのだ」
三日坊主は黙っていた。
「よいか? 大切なのは『覚えた知識を活かすこと』なのだ。覚えた知識を活かした先に、新たな気づきや発見があるのだ。それこそが『本当の学び』なのだ。そして『悟り』もまたその先にあるのだぞ――」
「……」
「 おい、三日坊主……?」
三日坊主があまりにも無反応なので、学道僧侶が重ねて声をかける。
すると――三日坊主が倒れてしまう。
「だ、大丈夫か!?」
学道僧侶が、慌てて駆け寄る。
「スースーー」
三日坊主は小さく寝息を立てて倒れていた。眠っているようだが、少し顔が赤らんでいた。
学道僧侶は念のため、三日坊主を医務室へと運んだ。薬僧に状況を説明するとーー。「疲労と知恵熱」という、診断がくだされた。
そこから2日ほど、三日坊主は熱にうなされながら、医務室で過すことになった。
悟りの境地はまだまだ遠い――。
【つづく】
読んでいただいてありがとうございます。面白い作品を作ってお返ししていきたいと考えています。それまで応援していただけると嬉しいです。