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25歳を終える前に、外出自粛の今だからこそ、もう一度自己分析してみた③

はい。まだまだ続きます。表題のとおりです。
ここまでの経緯は、以下読んでくださいね。


10)手段の目的化を嫌う

これまで好きなもので攻めてきた感あるので、ここから嫌いなものシリーズを少し。

あくまで、手段は手段、目的は目的だと思っています。
私は、前述したように「主体性を確立して、想像力を発揮する」ことが必要だと思っていて、その結果、みんなもっと生きやすくなるんじゃないかなと思うわけです。
そのために、必要な勉強はあってしかるべしだし、努力もしないといけないし、選択しないといけないと思うわけです。

だから、受験は、就活は、目的じゃないはずなんです。
でも往々にして、合格や内定がゴールとされ、そのためのハウツーがあふれているなと。受験も就活も努力や選択の上にあるはず。
私自身、面接だけで高校に入学し、推薦で大学にはいっているので、それ故そう思うのかもしれませんが。普段のことちゃんとやっていれば十分だからって思ってる節はあります(笑)

そうそう何度か出てきている私の受験勉強嫌いな理由。更新されましたよ。

①自分のためにはがんばれない
 これは前述したとおり、自分のために頑張るのは苦手です。
②暗記ゲームがつまらない
 これは学習欲が強い私にとって、発見のない学びはつらいです。
③目的の手段化←new
 受験のための勉強?勉強したいから、やりたいことがあるから勉強じゃなくて?
④未来思考が低い
 明日どうなるか分からないのに、今は今やりたいことをする!

こんなかんじですね。

高校生の時は、さらにすごいこと言っていました。「自律自制は目的じゃない」と。自律自制だから、できることがあるんだと。何を目指すんだと。
この後、大学入りたての私の大学への嫌悪感はすごいです。合格が目的だった人は遊び始めますから許せなくて。しばらく友達できなかった...。

大学生の自分は、就職活動について以下


就職活動を内定取るためにしかしなかったから、採用ミスとか言われちゃったんじゃないの。就職活動を通して、自分が何がしたいのか見つめ、社会にどんな産業が合って、どんな風に社会に貢献しているか見極め、社会人としてのマナーを身に付けることに意義があるんじゃないかな。それを内定を取る、内定を取るって内定ばっかり、自分ばっかり考えていたら、内定に泣かされると思う。

何にどうなって、こう思ったか忘れましたが。でも、就職活動で得るべきこと。今会社で学生に教えようとしていることなんですよね。ドンピシャ。そこがすごいなと思いました。これも無意識。でも分かっていた。


さらに、社会人になって、塾というサービス業の中で、利益をあげることと子どもたちと向き合うことの両立の難しさを知りました。私にとっては、後者が目的でした。その結果利益が出る。っていう流れ。利益を追うのはつらいです。お互い。経営者としては間違っているかもしれないけど、私は教育者だったんだと。

こんな感じで、自分の中で目的や軸があるので、そこをはき違えたくない思いがあります。



11)近道は嫌い

え、めちゃくちゃ近道してるじゃんって思いました?
はい、進路選択に関しては、世間からみれば近道かもしれません。でも10)の思考からすると、全うに得た道だとも思っています。

ここで何がいいたいかというと、要が私の原点思考にあります。

小手先のスキルではなく、土台・中身・教養をしっかり積み重ねていきたいタイプなんです。物事の成り立ちや歴史を大事だと思っているんです。なんでそうなるのかが知りたいんです。だから自己分析したくなった!のだと思います。

それは、大学への志望理由書にも表れていて、教科の教授法だけでなく、子どもを成長させるための教育学を学びたい的なことを言っています。

大学ではよくゼミの先生も「使えるものはすぐ使えなくなる」と言っていました。このゼミを選んだのも、この先生の言葉が、思考が私に合っていたんだと思います。

だから、今の楽団を選んだ。真向勝負したいんですよね。安易に勝てる曲で勝ちたくない。それは勝てるよ。ってなります。やれることやって、時には挑戦もして、それで勝ちたい。

たぶん坂道系よりもハロプロが好きなのもそこ(笑)ハロプロはちゃんと歌ってるし、ダンスもすごいから(笑)



12)周りからの過剰な評価は嫌い

評価されること自体は良いと思っています。好きです(笑)
過剰な評価、が許せないのです。

小学生のころから勉強も運動もできたので、一目置かれる存在でした。自分でいうのもなんだけど、通知表に書いてあったよ。(こういうこと覚えてるw)それが当たり前になった。負けず嫌いも功を奏して、常に評価される存在でいようとするんです。そして、さらに越えてやると。努力は勿論します。周りの期待には、プラスワンで応えようとするんです。

なので、低レベルなことで評価されるとむかつく。前職に入社した時がそうでした。
あと、根拠のない評価も嫌い。なんでそう思った?って疑問になる。

逆に、どう評価されているかは気になるわけです。相手の期待に対して、ちゃんと応えられているかどうか気になるわけです。本当は、たぶんそれが自分を一番苦しめているのでは?と思います。



13)挫折経験を問われることが苦手

3次選考の時に「あなたの挫折はなんですか」って聞かれて、私は受験は失敗したことがないからみんなのような挫折話ができなくて。でもそれって、挫折しないように準備した結果でもあるわけで。

就活しているときのブログかな。いや、挫折聞かれて、みんな揃いにもそろって受験の話するもんだから、私は全部推薦だし、どうしようと思った次第なのです。
転職活動の時も挫折だけは話せなくて、どうしたもんかなと。別にストレス耐性が強いわけではないと思うんですけど。

最近読んだnoteの記事にもありました。(リンクみつからない...)ゆとり世代故なのか、挫折しないように育てられているから挫折したことがないという内容でした。

私もどっぷりゆとり世代ですが、どちらかというと、私は日々の積み重ねかなと思っています。10)、11)のように思って生きているので...。
最近思うのは、挫折に対して乗り越えるっていう思考より、挫折らしき困難が訪れた時に違う道を模索すること。辞めるとか。受け入れるとか。違う方法でやるとか。無理に乗り越えようとしていないなと。

さらに最近気づいたのは、「疑問点が見つからない」
ポジティブに、私の理解力が高いことにしているのですが(笑)、質問するという行為がその人の理解力を表すから、それが怖いというのもまたある。

こういうネガティブにも向き合う力をつけたいですな。



14)負を勝に変える。ネガティブをポジティブに変える。

それでも私の行動の原点に「後悔」があることは多いなと気づきました。

ネガティブをポジティブに変えてきたんだなと思います。
それに関する記事はこちら↓

例えば、中学のときは3年の時に顧問が変わって、思うように活動できなくて。決意して残った11月のアンコンも新型インフルエンザによる学年閉鎖で出場辞退。それはもう悔しかった。
だから、高校でも、ずっとやろうって思えました。

高校の時は、私の一つ上の代の卒業式を見て、校歌がうたえてなく。そりゃ音楽クラス以外は校歌を歌う機会がないので歌えるはずがないんですよ。でもそれをなんとかしたいと立ち上がったわけです。

他にも多々ありますが。自分が感じたネガティブもそうだし、見たり聞いたりしたネガティブに対しても、どうにかできないかとあれこれ考えるわけです。
そうそう、他人が注意されている姿をみると、自分のことじゃないかとめちゃくちゃ気にしちゃうこともあります。これも自分を追い込んでるんでるんだよなーと。うまく割り切れる術が必要ですね。



嫌い・苦手・ネガティブシリーズでした。
でも一番嫌いなのは、「暇」かなあ。ほんとにきらい。3日間休めないんです。昔から。高校の時も、高3の2月、自由登校という名の休み(推薦なので)も3日で飽きて、毎日学校言っていたそうです。ある年もお正月に休みすぎて、もう休まない!と。
だから、今よく生きているなと思うわけです。

とはいえ、土日はいつも片頭痛。
今日もさっき片頭痛の予兆があって、まずいと思いました。(これは暇からくるより、生活リズムの変化となによりお昼のカレーが原因かもしれない)

お休みの時間の使い方。これは上手になりたいなあ。



つづく