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これからのコミュニケーション

私はどちらかというと、自分はコミュニケーションが得意な方だと思っていいる。人前でしゃべるのも、文章を書くのも好きだった。国語の成績だって、中学のときは5段階評価の5だし、高校でも評定平均にすると、4.3くらい。
話すも、聞くも、書くも、読むも、言語事項も、そこそこ自信はあった。

前職は学習塾で、「教える」というコミュニケーションをしていた。対子どもに対しても「分かりづらい」とか、そんなに言われたことなかった。実績も勿論出した。自分の指導で成績が上がる、言い換えれば、わかりやすく教えられたから。子どもが自発的に勉強をしたから。ということですよね。子どもに私のメッセージは届いていた。
保護者に対しては、うまくいかなかったこともあるけど、そんなに苦労しなかった。
同僚、アルバイト講師も然り。
特にアルバイト講師時代の室長、それから3年間直属の上長。この2人は本当によくコミュニケーション、というかコミュニケーションの域を超えて、分かりあっていたように思います。

こちらのコミュニケーションの成果は、相手のアウトプットで分かりますよね。ええ、分かっています。



それが今、ことごとくコミュニケーションに失敗、失敗、失敗。

悔しいくらいに。なぜこんなにミスるのか。止めたいよ、止めたいのに、止まらない。
いつもいつも言葉足らず。そう言われる。怒られることもある。受け取り側として受け取りミスもある。

いくつか原因を考えてみた。


①自分の理解と相手の理解のすり合わせ

仕事で考えると、私は転職してきて、やっと5か月(あまり経ってなかったなあ)というところで、まだ分からないことが沢山ある。ありすぎる。

そこで私はふわっと言葉にしてしまうことが多い。

それで汲み取ってくれる人ももちろんいる。でも実際はそうではない。それで伝わっていない。

ふわっと言葉にする前に、この伝え方でいいのかどうかもう一度見直さないといけない。でも気付けない、自分では。だって、自分が分かっていないから。

これは時間が経ったら、解決するのであろうか?



②自分を信じちゃだめだ

①にも通じるが、こうした自分の思い込みがコミュニケーションのミスの引き金を引いている。

・こう送れば、分かってくれるよね。
・こういわれたから、こうだよね。
・こういうことだったから、こうなってるよね。

これがここ最近の私の思い込みによるミス諸々起こしたときの、当時の気持ち。

・こう送れば、分かってくれるよね。⇒相手に文脈まで伝わらない。
・こういわれたから、こうだよね。⇒こういわれた、ファクトは?
・こういうことだったから、こうなってるよね。⇒こちらもファクトは?

自分が思っていることを一旦否定するところから入らないと、間違ったコミュニケーションを取るなと。なので、今何をするにも億劫になり、なかなかスピード感もって走れない。もどかしいけど。どこで自分がミスるかが、こわい。



③テキストでのコミュニケーションの難しさ

この仕事という観点でも、ウィズコロナという観点でもいえることだと思う。

圧倒的に、テキストコミュニケーションが増えた。

書くのも、喋るのも、苦手じゃなかったのに、テキストコミュニケーションって難しい。
うまく言葉で言えないけど、「恐れ入りますが」とか「恐縮ですが」とか枕詞つければいいとかそういう話でもなく、敬語を上手に使えればいいというわけでもなく。。。

前職が圧倒的対面コミュニケーションで、メールよりも電話。喋りは、相手の様子見ながら、打ち返し方をその場で変えることができる。反射的に。もし、やばいな、と思ったら軌道修正できる。

でもテキストコミュニケーション、特にメールってそれができなくて。送ったときのコミュニケーションがずれたらそのまま。訂正がきかない。そこで印象が決まる。
しかも、以前なら会えていたものが、今は簡単に会えなくなってしまった。

難しい...。



④よく言えば、私の能力

私、「郷に入らば郷に従え」精神だし、読解力はそれなりにあると思うんです。だから、昔から「?」と思うことが少ない。(今はめっちゃあるけどな)

あ、そういうことですね、と大体理解できることが多い。

それが、引っ張っている部分も多分ある。私はこれでわかる、でも相手はわからないんですよね。きっと。

子どもたち教えていたころは、子どもが分からないポイントここだろ!ってわかったんだけど、今はその分からないポイントが分からないww 

だから一つ一つ丁寧に伝えていくしかないのだろうけど、自分は分かるから、分からないポイントが分からない。理系が数学教えるより、文系が数学教えた方が分かりやすいって例の前者。完全に。

そして、思い返せば、私はテキストコミュニケーションを図示するなど、纏めたり、要約する方が得意。そうやって、子どもたちに教えてきた。だから、くどくどとしたくない(笑)という気持ちも入り、端折ってしまうのかなあと。逆の作業をしないといけなくなったわけですよね。

そういや、仕事してても資料作りとか作品作る系は割とうまくいってるかな。最初に褒めてもらえたのもここだった。
最近は、「頭いいから、自分は理解できるだろうけど...」とついに言われてしまった。



⑤追い打ちをかける分担の弊害

これまでの経験上、私人と仕事を分けたり、一緒に一つの事をしようとしたときにうまくいったことが少ない。こういうと、私が人と仕事できないみたいだけど、なんていうんだろうか。一つの目標に対して、複数人で動いているとき?うーん。これは表現が難しい。

基本的に、一人で抱えた方が早いし、確実だと思っているから、分担とか分業とか本当に苦手。苦手だから一人でやっちゃうのかな。どっちか分かんないけど。

2人で1人の生徒をみているとき、英語と数学で役割分担されていたら、私の能力はいかんなく発揮される(笑) だけど、英語を誰かと一緒に教えようとおもったら、無理。

これと同じ論理で、アルバイト講師時代は、室長は私に任せたと思っていた、私は室長がやると思っていた、のコミュニケーションミスはたしかに起きたこともあったし

室長補佐時代も同じようなことあって、やりづらさは若干あったし、

今もある。

こうやって文字にして見えてきたのは、圧倒的に年上の先輩方と一緒に仕事しているときにうまくいかない。私もやってくれるだろうと思ってしまったり、大丈夫だろうって思って判断力が鈍っている。
でも、本当は相手は私に任せてくださっていて、私がどうにかしないといけなかったり。相手も勘違いや確認不足だってこともある。人だから。

ここのコミュニケーションをもっとちゃんと取りにいかないといけない。

とはいえ、忙しそうな相手を見ているから、こんなことで...と思ってしまいます。そこを感じ取ってしまう感じる力はあるんです。嫌なくらい。



というわけで、心の中のモヤモヤを書いてきました。

これからの時代、テキストコミュニケーションは増えるばかり。どうやったら、相手により伝わるのか。PREP法とか敬語とかそんな型レベルでなく、相手の心に入り込めるコミュニケーション能力を身につけたいものです。

これからの時代、という観点でいうと、動画の時代。場で巻き込む力よりも動画でも視聴者を巻き込める表現力も必要なんでしょうね。

そして、私は、コミュニケーションを成立させるものは、まずは内容であると信じてやまない。なので、私もまだまだ覚えないといけないこと沢山あるし、逆に相手がどこまでわかっているのか、ということを掴まないといけない。想像しないといけない。

とにかく今は、ミスったものはすべて誠実にお詫び申し上げて、今後どうしていくのか、ためていくしかないよね。前向きに生きていこう(ちなみに、ポジティブすぎて誠意が伝わらないとも言われた、もうどうやって生きていけと。)

もやもや書き出せば軽くなるかなと思ったけど、何も解決していないから軽くならないや。はーあ。

おわり。