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ほぼ週末ツアー、全然また別の話

新宿金沢を経て、残念ながら札幌は払い戻したものの、当初のツアーファイナルなんばHatch、そして実際のツアーファイナルの仙台Rensa。

言われてみればあれも仙台、そういえばこれも仙台だった。もしかしたら、最初からここにくる運命だったのかな。大げさにもそう思うほどに、仙台での体験は自分にとっても節目や気づきの出来事が多い。それに気づかせてくれたのは、ツアーファイナル仙台RensaでのヨコタさんのMCだった。

■2019.6.30 仙台PIT

好き vs. 好きの対バンの魅力を教えてもらった仙台PIT。試練のTAIMANツアーは川崎を取っていたけれど、この組み合わせで行かない理由なんてなかった。今ですら説得力に欠けるが、当時の私にとって、遠征してまで行くのは、そこそこのエネルギーを要した。あれ以来、恐ろしく尻軽な今がある。

荒吐、楽園十三景、ビバラ2019での大団円、仙台PIT対バン、男鹿フェス飛び入り、SKA JAM 8放送からの新木場コースト…「優勝」への道筋は、この頃から地ならしされていたのかもしれない。

■2021.4.3 仙台GIGS

なかなかに切羽詰まった書き方をしている。そういう時期だったと思う。読者登録のためだけにアカウントを作ったnote。自分も書いてみようと思ったのは、この出来事があったからだ。

ピリついた街の空気、今まで感じたことのない不自然なライブハウスの空間、そこをすり抜けていく爆音。あの日の仙台GIGSは、言葉で表現するのは難しいけれど、今も感覚として思い出すことができる。この時は書いていないが、最前のど真ん中に空席があった。俗にいう神席、来たかっただろうな。どうしても来られない理由があったんだろうな。それを考えるといたたまれない気持ちにもなった。それでも手を抜くことはないキュウソネコカミ。夢中になるには充分な光景だったと思う。

1年前、声をあげて泣いてた自分に伝えたい。
キュウソネコカミは、やさしいにもほどがある。
大丈夫、なにも心配はいらない。
今まで通り、ずっと大切するんだよ。

①おもいやりの先に見えた景色 より

2020年の自分への言葉は、今も変わることはない。

私なりのDMCCを仙台から始めたのは、
無意識でありつつ意識的であったかもしれない。

②DMCC2021前編/楽曲偏愛編 より

2年前にも同じことを書いていた。無意識に仙台を選んでいるが、やはり必然なのか。数を打つ分、振替公演に当たることも多いが、必ず振り替えてくれるのも当たり前じゃない。

■2021.10.9 仙台PIT

さまざまな状況が大きく変化した時期。対バン形式の同じライブハウスでも、2019年の仙台PITとは、自分が感じ取るものから何からまったく違った。こうして今振り返ってみても、同じ日は1日としてないんだな。

■2022.6.15 仙台Rensa

なんと、

偶然だけど、偶然を疑いたくなるような偶然。書いてて気づいた。それもまた偶然だけど。

■2023.7.27 仙台Rensa

ネタバレを含むセットリストに準じた思いは、上記の通り。今回はそれとは趣向が違う、全然また別の話だが、追記を2点ほど。

ドロップDチューニング炸裂じゃねえかああ!!
大好きな曲が並ぶ未来があるなんてな、長生きしてみるもんだな。

キュウソネコカミ~ほぼ週末ツアー~ より

この時も同じ並びで発狂してたみたい。たぶんこれ、一生発狂してるんだろな。。物忘れ甚だしい。。

金沢は「米米米米」福岡は「サブカル女子」
うええ、ラーメンズ叫びたい
もしやここはご当地ゾーン?

キュウソネコカミ~ほぼ週末ツアー~ より

2020年、西宮振りに!!叶った!!✌️✌️✌️

これは延期公演となった岡山直後のリプライなのに、つい先日のRensaでも、まったく同じことを感じた。ヨコタさんは「仙台はみんな笑顔でいいなー!」と言ってくれた。それはね、ヨコタさんが笑顔だからなんだよ。ことの発端はヨコタさん、あなたなんです😊

慢心の笑顔で前方から後方、右から左までフロア全体を先導するヨコタさんの姿。それを下から眺めてると、私は多幸感でいっぱいになる。なんていい表情なんだろう。永遠に続かないかな。この瞬間、ほんの数秒がとても愛おしくて、とても大切。やれ神整番だの、やれ目が合っただの、もちろんそれはそれで死ぬほど嬉しい。今まで何度となく骨抜きにされてきた。それでも私は、ヨコタさんの視界を邪魔しない所から眺めるあの笑顔が、どうにも大好きなんだよね。

色惚けはほどほどにして、今回気づいた最大の反省点であり、前言とは真逆の出来事があった。結局これが、一番言いたいことでもある。

ここに気づくための情報はいくつかあった。にも関わらず、その事前情報とリンクすることなく、最終日まで気づかない鈍感さ。今は気づけて良かったという気持ちが強いが、もったいないことをした。本当に反省したし、盲目な自分にも腹が立った。どこ見てんだよ。なに聴いてんだよ。

キュウソネコカミは、楽曲の構成をはじめ、その魅力を最大限に発揮する、ライブでの表現力が卓越している。なのに、いわゆる「曲」に関する部分を取り沙汰されることが少ないのは、なぜなんだろう。たしかに飛び道具的な演出も多い。それが彼らの持ち味だし、ライブでしか体験できない魅力のひとつでもある。私自身、それが楽しくてライブへ行っては汗だくになってきた。でもそれだけに躍起になってると、つい見落としてしまう(厳密には聴き落としてしまう?)ことがあるのもまた然り。

今書くと言い訳にしかならんけど、いけしゃあしゃあについては、ヨコタさんのメロディがどうしようもなく大好きで、それを追いかけるだけで精一杯だった。それを奏でる佇まいも含めて。

こんなアグレッシブに弾いとったんかい!!おい!!セイヤ!!かっこいいじゃないか!!もっと主張してよろしいのでは??てかソロもっと長くていいんだぞ!!(また言ってる😩曲の構成くずれるから😩)

どんだけ観てないんだろな。この感じ、前にも似たようなことで反省したっけ。視覚的に一点集中の盲目型にとっては難しい状況ではあるが、聴き耳を立ててたのが幸いだった。それは、仙台Rensaがツアーファイナルで、全体をまんべんなく聴きたいという意識が、功を奏しただけ。

しっかりせんと。肝に銘じた。聴きどころはここだけじゃなかったはず。どんな思いで挑んだツアーだったんだろう。いつか聞ける日がきますように。

最後は、この日のメンバー紹介で締めたい。

「キュウソネコカミの生みの親」だったかな?
セイヤさんを紹介したヨコタさんの言葉。
「キーボードと打ち合わせ担当」で合ってるかな?
ヨコタさんを紹介したセイヤさんの言葉。

その関係性、バランス、互いの信頼感、この短いフレーズの中にいっぱい詰まってた。大好きだった。このやんわり感じた気持ちを、そのまま次につなげたい。

あとからまた、いろいろと思い出しそうな気もするが、めずらしく駆け足で書いた。これには理由がある。今自分は、どうしても残しておかなければならない究極のクソデカ感情の中にいる。次の金曜日には、ヨコタさんは新しいコラムを更新する。するに決まってる。下手したらもう書いてある。そうに決まってる。

可能な限り、その前には書き上げたい。普段もたもたしてるのが仇となった。まとまるかな…己との戦いでしかないが、この気持ちだけは誰にも、当のヨコタさんですら、影響されたくない。自分だけが感じた、正直な気持ちを、新鮮なうちに残すって決めたから。

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