死と向き合う(10分で書く9回目)

毎度おなじみかどうかわからないけど、ただひたすら10分間自分の思考を垂れ流す文章を書くのももう9回目になりますね。当初は毎日だーとか言ってたんでとっくに過ぎ去らないといけない回数だったりもしますが、どなたかが言っていた三日坊主も続ければそうでなくなる、意味があるみたいな話を思い出したので少しずつでも続けていければと思っています。

で、タイトルに戻る訳なんですけどね。私ぐらいの年齢になると周りに生死の話が少しずつ増えてくる訳ですよ。友人の親が病気で亡くなったり、義理の親が亡くなったり、子供を亡くしたり、友人が癌になったり。そういう色々が最近たてこんでたので、ちょっと時期的にも子供の受験でブルーになってて、自分の子の命日も近づいてでタイミングが悪くて凹んでいるんです。

友人としてもう何年付き合ってるだかわかんない人がいましてね、その人が癌になったそうなんです。同い年というか誕生日が一日ちがいなんでほぼほぼ同じだけの日数を過ごしたんですけども、その人が癌を二回患った後、もちろん治療は色々試みたんですが、余命何年とか、5年生存率とかそういう話をしだしてるんです。そういうのを見ちゃうとね、こっちも何か勝手に悲しんじゃったり私だったらどうするだろう?と考える事が多くなってきてまして。

基本的な私のスタンスは「今すぐ死んでも後悔はあんまりないな」なんですけども、だからって苦しみたくはないのです。目覚せPPK(ピンピンコロリ)!けど人生ってそんなにうまく行くわけないじゃないですか?今もちょっと風邪をこじらせて体調不良で。たぶんストレスの影響もあると思うんです。ストレスってすごいですよね、だいたい体調不良の内容でぐぐると「ストレスが原因の事があります」って書いてあるからね?

せめて笑顔をして、少しでもストレスが軽減できたらなー?とかは思っている訳なんですが。なんか話がそれたな。それで友人の死が近くに見えてきたせいで私が勝手に凹んでるんです。特に私が相手にしてあげられる事はなくって、ただただ見守るしか出来ないんですが。心の中で勝手に応援してあげるくらいしか出来ないですからね。

それで思い起こすのが次男を亡くした時なんですよね。

だいたい「子供を亡くした」って言うとみんなに悲痛な顔をされるんですけどね、逆にうちの子はまだ幼くにかえってしまったので、思い出が少ない分まだ、まだちょっとだけ心苦しいのが少ないのかなって。でもね、親より早く死ぬほどの親不孝があるかって話なんですよ。今でもこの文章を打ちながら私ちょっと涙ぐんでますからね。その次男の命日も確か二月だったかな?もう何年も前の話だし、亡くなった日の事を考えるより誕生日を覚えててあげたいので、命日をあんまり思い返したりしないせいで覚えてないんですけども。計算すればすぐわかりますがね。

話がどっかいったな??とりあえずその余命うんちゃらの友人も私と同い年だからもちろん親も健在で、だからなんだろう、自分と同じ年齢を生きてきた人間の死に直面してると同時に、親の気持ちになっちゃうんですよね。どうしても長く生きてて欲しかった、とか、もっといろんな事をしてあげればよかったっていう類の後悔はもちろんある訳ですからね。

でも苦しんで、無理して我慢してそれでも長生きをして欲しかった訳じゃない。それが一番なんですけど。

感情的な話になったせいで自分が何を言いたいかわからなくなってきたんですが、とりあえず元気に出来るだけ長生きしなきゃな、って思います。以上

ここで時間となりましたので終わります。
ご清聴ありがとうございました。(10分ぴったり!)

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