SMは“個人の自由“として社会から認められうるか。①

目次
①私の立場と執筆のきっかけ、目的
②SMの問題点、争点は何になりうるか。(予定)

①私の立場と執筆のきっかけ、目的

まずはこの記事そのものと読み手にフェアであるため、私の立場を記します。
私は“SM”という概念にかなり好ましい感情を抱いています。谷崎潤一郎などのSMを芸術的に昇華した作品が好きで、いま存在しているSMのコミュニティに接点があります。SMを行為として経験し、性的な快楽を得た経験があります。一方でフェミニズムなど、SMと対立するかもしれない潮流にもある程度納得し、自らの考えと近い部分があると感じています。これまで個人的な、隠すべき趣味としてSMを楽しんできた私が「SMは“個人の自由“として社会から認められうるか」という疑問をもち、自分なりに調べてみようと思ったきっかけは、以下の二つです。

1.堂山鉄心さんのツイート

堂山鉄心さんは歌舞伎町でSMバーを運営していらっしゃるオーナーであり、「性的マイノリティーとはLGBT(Q)だけではない」という言葉を掲げ、SMを広く認知させることを目的としたクラウドファンディングを企画されていました。CampFireの承認は下りず、実現しませんでした。

2.マリリン・マンソンに虐げられた女性たちの告発

マリリン・マンソンの元パートナーであった女性たちが、マンソンから過去に精神的・肉体的に虐待を受けた、と彼を告発しました。エスメ・ビアンコはPTSDを抱えていることを告白しています。マンソンはこれを受けて

「長い間、私の芸術と人生は明らかに論争の的となってきた。しかし、これらの主張は事実を酷く歪めたものだ。私が持った性的な関係は、常に同様の心をもったパートナーとの完全なる同意のもと行われてきた。それを他者がどのように、またどういった理由で過去を曲げて伝えることを選んだにせよ、それが真実だ」

と、インスタグラムにてコメントを発表しました。私はマリリン・マンソンのアートが好きでここ何年か彼の曲を聞いたり彼のインタビュー記事を読むなどしているのですが、彼女らの告発を読んで最初に思ったのは、「まさにマンソンのイメージ通りのプレイだな」ということでした。程度や合意の有無などいくつかの問題がありますが、BDSMにおいては、精神的・身体的に相手を傷つけるということが一般的にプレイ内容に含まれるものだと前提します。彼が所属しているレコード会社はこの告発を受け、契約を打ち切りました。つまり、レコード会社はマンソンが女性たちとBDSM的な人間関係を築いていたということを非難する、と意思表示したことになります。

SMを広く認知させたい(知らせるだけではなく、認めさせるということがポイントだと解釈しました。)という堂山鉄心さんと、パートナーと合意の上で性的な関係(BDSM的要素を含む)を結んでいたと主張し、非難されているマリリン・マンソン。この2つが同時にTwitterのタイムラインに流れてきたのがきっかけで、SMは個人の自由として社会から認められうるのか、という疑問を持ち、(できればアカデミックなやりかたで)リサーチペーパーを書いてみたいと考えるようになりました。本当に実現するかはわかりませんが、とりあえず今考えていることを書き出してみようと思い、今回noteで記事を書きました。

次回の記事では、②SMの問題点、争点は何になりうるか。を扱う予定です。


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