TOKYO2020オリンピック・パラリンピックボランティア体験記
先日、TOKYO2020パラリンピックの閉会式が終わり、長いようであっという間だった夏が、幕を閉じました。
今回は私のボランティア体験を共有したいと思います。
アーチェリー経験者である私は、オリンピック・パラリンピック(以下、オリ・パラ)のアーチェリー競技でボランティアに参加してきました。
大尊敬している先輩からのLINE
私がオリ・パラのボランティアに携わることになったのは、大尊敬している先輩からのLINEがきっかけでした。
オリンピック協会(?)のアーチェリー部門(?)で働くこちらの先輩。
はるな興味ないかなと思って、と声をかけてくださいました。
大正解。あります。あるんです。
即レスに定評のある私。
午後6:18。
先輩からLINEがきた16分後には参加を決めました。
てへぺろ。
この時は正直、せっかくの機会だからやってみるか~くらいの軽い気持ちで答えていたような気もします(ごめんなさい。)
必要物品の受け取り
ボランティアに参加するには、指定のユニフォームを着用しなければなりません。
ポロシャツやパンツにとどまらず、靴、靴下、カバンまでもが指定。(ちなみにボランティア活動日は自宅からその服装で行かなければなりません。)
それらのユニフォームを受け取りに行く、という任務が、ボランティアには課せられました。
指定の場所で、(自分がきちんとボランティアとして登録されているかも正直よく分からないまま)案内表示に従って次々に必要物品を受け取っていく。
会場までの道、少し迷ったのはここだけの秘密です。
会場には試着コーナーがありましたが、かなりの列になっていたので、私は一切試着せずにサイズを選びました。
着られなかったらどうするつもりだったんだろう。
まあいけるやろという謎の自信がありました。
Eラーニング
ボランティア活動の前には、研修があります。
このご時世もあり、ほぼすべてがオンラインでの動画視聴による研修でした。
どの研修も日本語と英語両方の動画が公開されており、英語のリハビリも兼ねたかった私は、英語で研修を受けることにしました。
バリアって何?
という考えさせられる問いをはじめ、ボランティアとしての心構えをいくつも学びました。
いざ、初日
ドキドキしながら迎えた当日。
実は、会場である夢の島公園は、高校の時にアーチェリー部の練習で何度も通った公園です。
降りるのはおそらく高校以来だった新木場駅。当時のことを思い出し、駅からの道のりや景色を見て、深い郷愁に駆られました。
それだけでもうウキウキ。
私の活動初日はまだ大会期間ではなく、選手たちの練習日でした。
私生活で外国人を見かけることがしばらくなかった私は、まずもって日本にこんなにたくさんの外国人がいる!ということに驚きました。
今考えれば、オリンピックなんだからそりゃそうだと思うのですが…。
あーそっか。今から目の前でオリンピックが始まるのか。と改めて実感しました。
初日の活動内容は、ひたすらに選手たちのドリンクを補充することでした。
大量の飲み物を段ボールごと運び、練習場の後ろにあるクーラーボックスに補充。太陽の照りつける猛暑日で、気持ち悪くなるくらいの汗をかいたのを覚えています。
運動不足の体には、きつかった☆
ボランティア2~4日目
2~4日目はスポーツインフォメーションデスクというところに配属されました。簡単に言うならカスタマー(アスリート)サービスです。
デパートなどでいう総合案内所のようなところ。
「wifiのパスワードは何?」「次のバス(選手村行き)はいつ来る?」「来週の試合のスケジュールを教えてほしい」「落とし物届いてませんか」など次から次へとやってくる質問にお答えします。
それなりの英語が話せている自分に驚きつつ、まだまだ向上の余地があるなとも思いながら対応。
まずはこちらから笑顔で声をかけることだと自分に言い聞かせ、前を通りすぎていく選手に挨拶をしまくりました。
ニコニコしていたら、ポーランドの選手がピンバッジをくれた。
わーい!大切にします。
あとから知ったのですが、オリンピックではピンバッジを交換し合う文化があるそう。どの国も、オリジナルのピンバッジを作り、選手やコーチは開催国に持ってくるんだとか。
いい思い出になりますね!素敵!
そうそう。
オリンピック期間中。
コロンビアのアーチェリー選手が可愛すぎる!と一部で話題になっていたのをご存知でしょうか。
そんなバレンティナ選手のコーチから、なんと私はコロンビアのコーヒーをいただきました!
この時の私はまだ、バレンティナ選手が有名人だとは知らず。バレンティナ選手にスマホを渡して撮ってもらいました。彼女とも撮ってもらえばよかった!☆
こうして慌ただしくオリンピックの日々は過ぎていきました。
試合会場からインフォメーションデスクは何百メートルか離れており、実際に試合会場に足を運び、間近で試合を見ることはできませんでした。
しかし、いわゆるオフの時の選手たちの姿を垣間見ることができ、オリンピック選手を、勝手に身近に感じました。
いい日々だったなあ。
パラリンピック1日目
オリンピックからパラリンピックまで、アーチェリー競技に関して言えば3週間くらいの空き(?)期間がありました。
パラリンピックも、私のボランティア活動初日はまだ試合も練習も始まっておらず、オリンピックの片づけとパラリンピックの会場準備が主な仕事でした。
パラリンピックでは、車いすを使用する選手もいるので、オリンピックの時よりも的の間隔を広くとる必要があります。
選手用の通路もゆとりをもって設置。冷蔵庫も(車いすに乗ったままだと取りにくい)上の方と一番下には飲み物を入れない、など、自分では気づかないような配慮を、教えてもらいながら実践しました。
純粋に勉強になった。
パラリンピック2~3日目
オリンピックの時と同様、スポーツインフォメーションデスクにおりました。
オリンピックの時との目で見て分かる違いは、パラリンピックは折り紙で溢れている!ということ。
インフォメーションデスクにいる間も、時間を見つけては折り紙を折っていました。
パラリンピック期間中に誕生日を迎える選手に、折り紙で装飾した色紙(段ボールが土台)をボランティアからプレゼント。
コーチからのお願いで制作したものでしたが、渡したときの選手の嬉しそうな顔を見て、作ってよかったと思いました。(折り紙力も上がりました☆)
こちらはKevin選手と同じくアメリカ代表のLia選手。
Lia選手の依頼は、自分が打った的で鶴を折ってほしいというものでした。
そこかしこに置いてあった的の折り鶴を見て、欲しくなったのかもしれませんね。
よいでしょう。
見せてやろう。
日本文化で育った人間の、折り紙力。
アーチェリーの的の円は、直径122㎝。こんなに大きな紙で折り紙をするのは人生初めてだったかもしれません。
鶴の羽の部分にパラリンピックのシンボルマークがくるように、完成をイメージしながら折りました。無事に成功✨
Lia選手に渡すと、ツーショットを撮ってくださいました。わーい!
そして彼女は、自身のInstagramにこの出来事を書いてくださり、それはそれはとても嬉しくボランティア冥利に尽きたのですが。ひとつだけ。
以前、ウクライナ人の友達に折り紙を教えた時も言われました。
Tell me how to make the SWAN!
ロシア人の友達に折り鶴のピアスをプレゼントした時も言われました。
What a beautiful SWAN it is!
ひょっとしたら世界中の人々に、折り鶴は白鳥🦢だと誤解されている可能性がありますね☆
パラリンピック4日目(最終日)
長かった?オリ・パラもいよいよ最終日を迎えました。
会場に行くときに、よく知る先輩とたまたま一緒になり、話した。
ボランティアには、何日も来ている人がたくさんいます。時間や役割がかぶると、たくさんお話もします。期間中、何度も活動時間が一緒になったボランティアの方もいます。
最終日は、そんな日でもありました。
私はもちろんアーチェリーが好きだけれど。
私はもちろん自国開催のオリ・パラに携われて嬉しいけれど。
それ以上に、選手、コーチ、職員さん、警備員さん、大会関係者の人たち、他のボランティアの方々。
そんな、普段会うことのできない人たちとの出会いが、なによりも大好きだったんだなぁ…と、最終日にして身に沁みました。
しみじみ。
おセンチメンタル。
最終日、希望のポジションを聞いてくださった職員さん。
私は、アローランナーやってみたい!と手を上げ(じゃんけんに勝ち)ました。
アローランナーとは、選手が打った矢を、選手に届ける役割のことです。ランナーとは名ばかりで、実際は歩きます。
万が一転びでもして、選手の矢を折るなんてことがないよう慎重に運ぶ役目です。
「競技経験者なら大丈夫だよ」とリーダー(?)の方に後押ししてもらいました。
この役目は、実際に選手と関わることになる上、テレビにも映る可能性があるので、服装や立ち振る舞いに、普段以上に気を使わなければいけません。
首からぶらさげていたIDカードも服の中に隠し、いざアローランナー(ウォーカー)をば。
選手も集中・緊張している中の活動、交わせる言葉はほぼないけれど、心の中で応援しつつ、何度も矢を届けました。
パラリンピック最終日、決勝戦の最後の最後のシュートオフ(1本勝負)。
選手が打ち終わった矢を、選手に届けたのは、私でした。
アローランナーは、とっても裏方だけど、なくてはならない仕事。
シューティングラインから選手が放った矢。
70m先の的で、勝負が決したその証を、私が再び選手に届ける。
これが、私と選手との、
ひいては、私とパラリンピックとの、
もっと言えば、私と世界との、
つながりを感じさせてくれたように思うのです。
大したことはしていないんだろうけど、すごく、誇らしかった。
終わってみて
大尊敬する先輩が、私に声をかけてくださったのも、つながり。
ボランティア活動で出会った人たちとの縁も、つながり。
ああ、世界はこうやってつながっていくんだな。
と前向きになれました。
一人一人はきっと微々たる力だったのだろうけど、その少しずつがたくさん積み重なって、無事に大会を終えることができたんだな、と思います。
大会終了後、夢の島(アーチェリー会場)だけの閉会式で、職員さんが言ってくださった言葉が、胸に刻まれている。
ありがとうございます。
少なくとも私にとっては、ウルトラスーパーポジティブな1ページになりました。
つながりを感じさせてくれた、すべての人へ。
本当にありがとうございました。
またどこかで。
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