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自分の意見をもつこと

自分の意見をもたないこと/もてないことは
個性を殺してしまうことにも
繋がりかねないのではないか。

テーマにしようと思ったきっかけ

Facebookを何気なく眺めていたら、
一つの記事が私の目に留まった。

高校時代の友人が、
彼女の過去について書いた謝罪文であった。

詳細は割愛するが、
そこで彼女は、
「自分の意見をもたない人」
非難していたことと、
そのことに対する謝罪を述べていた。

しかし、私はその文章を読んで、
違うように考えた。

この世界が、
”自分の意見をもたない人たち”
溢れてしまっていたら
なんて恐ろしいことか、と。

私はそのような世界の中を生きていくのは、
とても怖いことであると感じる、と。

ひとりの人間である以上、
誰かや社会と関わりながら
生きていくわけで。

日頃の些細なコミュニケーションから、
”個人の意見”が奪われてしまったら、
なんと味気ないコミュニケーションに
なってしまうのだろうと、
想像して身を震わせた。

また、何か社会問題が起きた時、
自分の意見を持たない人たちは
何に軸を置いて情報を取捨選択し、
自分の行動を取捨選択するのか。

軸がない人の言動は、ぶれます。
ぶれまくります。

ただぶれるんじゃない。
ぶれまくるんです。

だって、流されやすいから。

風に飛ばされないように。

自分の意見をもたない人には
2種類いると思っています。

誰かの言葉や誰かの意見、
それらを”さも自分のもののように語る”人。

はたまた文字通り、
”本 当  に 何 も 考 え な い” 人。

そのような
自分の意見をもたない人
で溢れる社会・世界。

その社会においては。
その世界においては。

主導者が間違えなければ
いいのかもしれない。
主導者が正しく導いてくれれば
いいのかもしれない。

そうすれば、
一個人はなにも考えなくても、
何も意見をもたなくても、
社会は"それなり"に回っていくだろうから。

だけど。

これまでの歴史。
身の回りの出来事。
身近な人と交わした意見。

それらから私が考えたことは、

多様性を排除した世の中で
全員が幸せに生きていくことは
難しいということだ。

いくら善良で有能な主導者だって、
人間は人間だ。

私たちと同じで
上手くいかないことだってあるし、
少し自分に甘いところだってきっとある。
人に対する好き嫌いだってある。

だって人間だもの。

だから、
全員が幸せに生きていくためには、
一人一人が自分の意見をしっかりともち
それを周りの人に届けること

が必要だと思う。

なによりもまず、自分自身のために。

自分の意見を発することを
怖いと感じてしまう状況は、
その時点で排他性を含む。

だからこそ、
自分の意見を自由に述べられること、
自分の意見を自由に語れることを
どこまでも大切にしていきたい。

権力のある人に、
取り残されないためにも。

No one will be left behind.
(SDGs理念)

そう。これも私の意見なのだけれど。

自分の意見をもつには

意見をもたないとは、すなわち
関心をもたないということである。

私が圧倒的に感じるのは
「○○についてどう思う?」と聞くと
「わからない」「知らない」
「私には関係ない」

と答える人が多くいることである。

皆、なにかがあった時、
さまざまなニュースを目にした時、
それを、自分のこととして
捉えられていないのではないか。

「社会」や「世の中」
という言葉を用いるとき、
その中に自分も存在しているということを
念頭に置きながら話せる人は、
どれくらいいるだろうか。

「社会」や「世の中」がこうなっている。

そこから、
「だから私は…」まで続けられる人は
どれくらいいるだろうか。

そうやって、
「社会」や「世の中」という言葉から
自分を切り離してしまう人の
なんと多いことか、と
ある種私は絶望すら覚えた。

誤解を恐れずに言うと、
”どうしてそんなに
無知なままでいられるんだろう。”
と思うのである。
知っていることで
得をすることはたくさんあるし、
知らないことで
できない生き方もたくさんある。

皆が自分の意見をもつためには、
まずは「知ること」が大切だと思う。

知らないと分からないし、
知らないと考えられないし。

知りもしない場合、
意見をもつことなどとてもできない。

そういう意味でも、
やはり教養は武器なんだろうな。

自分の知識や知見を広げることで
新たな視座を得ることができ、
それらを基にして
自分の思慮を深めることができる。

知らないことを
知らないままにしないこと。

分からないことを
分からないままにしないこと。

当たり前のことだけれど、
ありとあらゆることに対して
これができる人は、
そんなに多くないんじゃないかな。

ソクラテスではないけれど、
まずは「知らないことを自覚する」こと。

視野を広げ多くのことに興味を向けること。

ありきたりだけれど、
まずはそこからだと思う。

人びとが意見をもたないことを、望む人たち

忘れないでおきたいのは、この言葉。

「すべての加害者が要求することは、
傍観者が何もしないことだけだ」
ージュディス・ハーマンー

「何もしないこと」には、
「知らないこと」「意見をもたないこと」
「声を上げないこと」「行動しないこと」

などが含まれるのだと思います。

意見をもたない、ということが
その人の意見なのだとしても。

意見をもたない、ということが
時に人を傷つけることもあるということを、
忘れずにいたい。

意見をもたないことの危険性は、
”誰か”の考えや意見に
「流されてしまう」ことにある。
と、私は考えている。

その“誰か”が利他的で、
自分にとって有益な考えをもつ人なら
まだ大きな問題は発生しない。

しかし、その“誰か”が利己的で、
その人自身のことを一番に考えている時、
果たしてその考えに
「流されて」しまっていることは、
安全であるといえるだろうか?

だからやはり、
人びとは自分の意見をもつべきだ。

流されないように。
風に飛ばされないように。

自分で、自分を守るために。

そうして、皆で。
多様性をはらんだ世界を
アップデートしていくんだ。

意見をもとう。自分を守るために。

風に飛ばされないように。

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