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20190831 建築ファイトクラブ~「ひらかれた建築」を問う~

いま杉並区役所で行われている若手建築家15組による展示
"ひらかれた建築|杉並建築展2019"のトークイベントが
ライブハウス阿佐ヶ谷ロフトAでひっそりと行われた。

そもそも区役所内でそんな展示をしていることがびっくりだったし、建築のトークイベントをライブハウスでやることも新鮮だった。そんな地下に潜った場所で秘密の会合のようにして"ひらかれた建築"について語り合う風景は矛盾しているようだが、ラフな雰囲気でこそ出てくる言葉もあろうと思い、参加した。

建築界隈閉じてる問題

以下トークの内容というよりは、感じたことを書いていく。

まず、建築畑以外の人が建築に親しんでもらえるようにするにはどうすればいいのか。これについてはまず一目で美しい、あるいは楽しいものをつくるしかない、と思う。添えられたキャプション抜きにして、いい建築は見た瞬間に感じ入ることができるはずだ。建築界隈が閉じられているというのは、キャプションが無ければ成立しない建築に問題があるのだ。

建築物の ひらく・閉じる

私が建築を学び始めた時は既に 『ひらくが善、閉じるが悪』といった雰囲気があった。元々人とコミュニケーションを取るのが得意ではない私は、やだなあと思いながら実にコミュ障な建築をつくっていた。だって、静かで奥まって薄暗い空間が落ち着くのだもの、しょうがない。

トークイベントで「ひらくか、閉じるか」というワードが一瞬、議論の対象になった。その中で面白かったのは、カーデザインの潮流は「四角い」・「丸い」が交互に訪れるから飽きられない、という話が出て、建築も同様に「ひらく」・「閉じる」のブームがあるのでは、と。
大きく頷いた。
閉じた建築に住まう人は、異変があっても隣人から気付かれない。
という話がしばしばされるが、そんなこと無いだろうに。まずメールなりラインなりオンライン上での交流が途絶えた時に異変を感じるはずだ。その方がありうる話だ。何も隣人だけがコミュニティでは無い。オンラインの発展が実空間の作り方も変えてくれるはずだ。

そろそろ閉じたっていいじゃないと思う。登壇者も「ひらき疲れ」しているのではないかと思うシーンがあった。一言でひらくと言っても「何に対して」という設定がたくさんあるのだが、地域住民にしろ、職能にしろ、
ひらかれた建築/建築家コミュニティ/ホスピタリティまで担保しないといけないなんて私はいやだなあと思う。
トークの端々で登壇者の閉じることへの欲望も少し感じ取れたような気がする。登壇者で行われた打上げの場で話された内容こそ私はこっそり聴いてみたい。

閉じられた建築

この間、清澄白河にある「ten」という店舗を訪れた。倉庫をリノベーションした、器をメインに取り扱う居心地の良い空間だった。割に近所なので歩いて行ったのだが、googlemap片手に歩けど入口が見つからず。だって目的地に着いても

これである。5分くらいうろうろして意を決した。

ここを行った。門扉の隣の方だ。30cmくらいの小道とすら言えない道を。
しかし、そこはあった。

こんなにもじわじわ・しみじみと感動できる空間が、通りに面することなく営業している。
この店舗を知ったのはpenのネット記事に掲載された写真がとても良くて惹きつけられたわけで、フラフラ歩いて発見することはまず不可能である。

極限まで繊細なこの空間は、閉じられることで成立している。
人がやってくることをおそれるようにもみえる店舗は、そもそも店舗として矛盾しているようだが、そんな常識のバグが生み出した空間は閉じられた建築の魅力を提示している。
線の細い手摺は薄いスロープの吊り材にもなっていて、入口のスライドドアも吊りレールでふらふら閉まる。鉄骨下地を利用した什器も剥き出しの体のようで、空間全体が華奢な印象だ。こんなにもか弱い空間は閉じてあげなければいけないのは当然だとすら思う。しかし、人づてや何かの記事を見た人は絶対に訪れてくれるのは間違いない。か弱さと裏腹に、この設計をした人物と、GOを出した施主の凛とした強い意志が感じられた。

閉じられていると同時に真摯にひらかれた空間であると感じたことも記しておく。店に踏み入れると最初に冷たい煎茶を淹れてくださり、置かれた器やこのお店ができるまでを丁寧に説明をしてくれた。じっくりと。
ネットを見て、「行こう」と思い、実際に駅から15分ほど歩き、そうして訪れた人に対してできる限りのホスピタリティを施すことが真摯にひらかれた空間であると感じ入った。

ひらき疲れに

今や建築はひらかれる必要があるのか。オンライン空間は、『ひらかれた建築』の議論をすごい速さで抜き去り、成立した。
閉じられた建築は、同時に真摯にひらかれた空間であると私は実感した。
こっそり美しく設えられた空間に、ひらき疲れした人たちは今もどこかで
ひっそりと集まっている。


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