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娘の笑顔

昔自分が書いた文章に、突然出合うことがある。
たいていはザッカーバーグのおかげなのだが、今回は会社のSlackの「子育てチャネル」での社員とのやりとりがきっかけとなって、7年ぶりに出合った。

こんな文章を書いたことも、こんなふうに思ったことも、人間は7年も経つと見事なほどに忘れてしまう。

娘が高校受験をする年頃になるのは随分先のことだと思っていたけれど、気がついた時にはもうそんな年頃だった。背丈はとっくに妻を追い越してしまったし、時には大人と話しているような気がするほどにしっかりとしたことを言う。

休日、昼下がりの公園の近くを通りかかると、2歳前後の女の子があぶなっかしく歩いていて思わず微笑んでしまい、ああうちの娘と同じ年頃かなあ、と一瞬思った後でふと我に返ることがある。そうだ。うちの娘はもう高校受験をする年頃だった。もう2歳の女の子じゃないんだ。

光陰矢の如しだから、一瞬一瞬を大切にしなければ、子どもはあっという間に大人になってしまうよ、と、たくさんの人が教えてくれたけれど、誰も時間の止め方は教えてくれなかった。一瞬一瞬を大切にしたつもりだったけれど、それでも過ぎた時間はどれほど速かったことか。

今朝、早朝から高校受験へと向かう娘を送っていって、彼女が面接を受けている間、駅前のカフェでコーヒーを飲みながら仕事をしていた。やがて面接を終えた娘が帰ってきて、向かいに腰を下ろした。

どうだった?という問いにたくさんの答えを返しながら、「それがさあ~」と時々右斜め下に視線を落として困ったような笑顔を見せる。その笑顔を見ながら、ああこの顔は2歳のころの彼女そのままだなあ、と思う。娘はこんなに大きくなったけれど、笑い顔は2歳のあのころを残したままだ。

僕の留学に連れてこられたアメリカで、さまざまな肌の色の子どもたちに囲まれて、不安そうな表情を隠して笑っている、2歳のころの娘の笑顔。

まるで早回しのように過ぎてしまったこの13年間は、同時に健康に無事に娘が育っていくことができた、まるで奇跡のような13年間でもあった。気の遠くなるほどにたくさんの、無自覚な幸運を積み重ねてきた時間だ。

過ぎた13年間を一瞬で飛び越えるほどに、変わらない2歳の自身を内に抱いたまま、彼女は大きくなっている。普段の僕は、その2歳の彼女に気がつかないだけだ。そしてこれからも娘はそれを変わらず抱えたたままに年をとっていくのだろう。

例えば僕が最期の床にある時にも、年を取った娘は枕元でこの少し視線を落とした、困ったような笑顔を見せるだろうか。ずいぶんしわの増えた顔に浮かんだ笑顔を見上げて、僕は彼女が2歳のころのままであることに気付くだろうか。

僕は弱々しい老人であり、中年の男であり、若々しい父親でもある。こうしてカフェに座っている僕は、今の自分がそのどれであるのかを見失いそうになりながら、過ぎた一瞬を掴もうとして、2歳の娘の笑顔を見つめている。

http://hhashiguchi.blog.fc2.com/blog-entry-26.html

完全に忘れていた光景や感情が、唐突に出合う文章で蘇る。

昼下がりのカフェ。斜めに差し込む陽光。中学校の制服を着ていた娘。はにかんだような笑顔。間に置かれたコーヒー。

フィルムの早回しは、あれからもっと加速して、さらに7年がたった。
娘は2歳の幼児を内包したまま既に大人になり、そう遠くないうちに巣立つだろう。
早回しで過ぎる時間の中で僕らに出来ることは、こうして過ぎた時間の愛おしさとその速さを思うことくらいだ。

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