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「爆笑!スターものまね王座決定戦」

今から30年も昔のこと。
泣く子も笑う人気ものまね番組があった。
それが「爆笑!スターものまね王座決定戦」だ。

番組の起源としては1970年代にまで遡るというから大変な長寿人気番組なわけだが、僕がそのバカバカしくも感動的な面白さに熱狂したのは90年代に入ってからの数年間。かの有名な「ものまね四天王」が一世を風靡した時代である。

ものまね四天王とは《コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、ビジーフォー》を指す。
今は昔の感は否めないが、当時ものまねスターの人気は凄まじかった。「俺はコロッケ派」「いや清水アキラのほうが渋くていい」などと、その時代にも“推し活”らしきものがあった。
コロッケはものまねのエポックメイカーで、清水アキラは濃厚すぎるこてこての下品ネタ、クリカン(栗田貫一)は正統派すぎて面白みに欠け、ビジーフォーは洋楽ばかりといった持ち味が確立されていて、その強烈な個性は子供たちを夢中にさせるのに十分な魅力があった。
クリカンが真面目にやって優勝するのはわかる、しかし、だからこそコロッケのようなクリエイティブなネタで優勝することに価値がある!などと子供ながら友達に熱弁したものである。

「王座決定戦」だけあって、トーナメント制で対決する二組が各々ものまねを披露し、持ち点10点の審査員が10人で採点し勝敗を決める。決勝戦まで含めて(記憶によると)都合4回勝利すれば優勝という仕組みだった。そしてこの審査員がまた個性あふれる面々だった。
10点しか出さない針すなお、優しそうな大矢明彦、審査員としてなんかまともに見えた鈴木邦彦、下品なネタには地獄の鉄槌を下す淡谷のり子。あらためて思い出してみても、相当なクセ者揃いなのであった。審査員があろうことか「気分で」点数をつけることがあった(どんなに似ていようが、ふんどし一丁という格好が気に食わないから「7点!」というように)のだが、それは公然と認められており、番組を盛り上げるひとつの要因にもなっていた。

決勝進出をかけた大一番でとんでもない下ネタを繰り出し、会場を爆笑の渦で包んだにも関わらず淡谷のり子に叱られた挙句敗退しステージを去っていく清水アキラ。その後ろ姿に僕は男としての矜持を教わったのだ。「男なら大事な時こそ逃げちゃいけない、自分のやり方を貫くんだ!」と。

また審査員が全員10点をつけて、100点満点が出ることもあった。あの爽快感は今でも忘れられない。《10点10点10点10点10点10点10点10点10点10点合計は…100てーーーーーん!》の掛け声で会場もお茶の間も大喝采。カメラワークのスピード感や司会者の点数読み上げの見事さも加わって、自分が何か良いことをして褒められた錯覚すら味わった。これが「カタルシス」というものを人生で初めて体験した瞬間かもしれない。

話は本題に入るが(今まではなんだったというのか)四天王はみんな歌が上手かった。得意分野は違ったが、それぞれに上手かった。そして当然ものまねも上手かった。
ものまねが上手くて面白い。ただそれだけで子供には憧れの対象となる。番組をビデオに録画して(もちろんVHS)何回でも見た。何回でも見ながらマネをした。ものまねをものまねするのである。コロッケ推しだった小学生の僕は「コロッケのやる美川憲一」をほぼ完璧にコピーしていた。あの唇の形をそのまま再現できた。声も似せた。レパートリーを少しずつ増やしていった。そうして次第にコロッケ以外の出演者のとのまねをコピーし、本人を知らないのに声と歌だけ知っているアーティストが増え、当時すでに懐メロだった懐かしの演歌や歌謡曲などを自然と、しかし着実に覚えていった。

ものまねをものまねすることにどれほど熱くなっていたか、当時のエピソードを思い出した。ある年のものまね王座で、高得点を叩き出したクリカンの《Say Yes》を聴いた時、僕は即座に「似てない!」と思った。夜のドラマで毎日流れていたからわかるのだ。だが審査員の一人が「素晴らしい」とかなんとか言うと、なびくように会場全体がそんな空気になり、すごく似ていることになってしまった。淡谷さんがその曲をちゃんと聴いて知っていると思えなかったが、10点をつけていた。僕は「こんなのインチキだ」とムキになった。そしてなぜか《自分の方がもっと上手く真似できる》と思ったのだった。
それからというもの、学校のトイレ掃除が楽しくなった。トイレの中の残響感が“CHAGE&ASKAにふさわしいリヴァーブ感”だったからだ。皆が嫌がるトイレ掃除に率先して向い、毎日《Say yes》を歌う日々。それも、ものまねで、本域で毎日歌っていた。かなり危ない少年だったはずだが、それだけピュアであったのだと考えることにしたい。今考えれば、あの声量で歌っていたのだからトイレの外にもかなりの音量で僕の飛鳥が漏れていたはずだ。誰かがあの日の《Say Yes》を聞いていたなら、僕はその人に問いたい。
僕の方が似ていただろ?と。

僕は間違いなく歌うことが好きになっていた。
歌うことの快感。その原点がどこにあるかとよく考えるのだが、思い当たるのはどうしたって「ものまね王座決定戦」なのだ。

番組の記録から逆算すると、僕が熱狂していたのはおそらく1988年から93年までの約5年。たったの5年だ。
子供の成長は早かったし、番組も時代とともに変化していった。サルのものまねをするピンクの電話、よしこちゃんのものまねをする笑福亭笑瓶、ウルトラマンのものまねをするダチョウ倶楽部、喪黒福造のものまねをする桑野信義。このあたりまでは楽しく見ていた。しかしコロッケがいなくなり、C.C.ガールズが優勝するに至って僕は、番組に対する熱が明らかに冷めてきていることを自覚した。そしてこれまでものまねで聞いていた音楽を、そのオリジナルを探して聴くようになっていく。ロックへの目覚めと大人の階段がすぐそこに迫っていた。

これだけ書いてもまだ「概要」を語ったに過ぎないのが恐ろしい。少年期に絶大なインパクトを残し、忘れられない番組が《爆笑!スターものまね王座決定戦》なのである。


少年期を過ぎ、僕は美大を目指し予備校に通い始めた。さらに青年期も過ぎた現在。僕はデザイナーではなくシンガーソングライターだ。

「人生を変えた番組」といっても決して大袈裟ではないように思う。

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