
66歳で「Route66横断走破」を達成‼

1.憧れのMother Road, Route66へ
先日Facebookで「12年前の今日(の自分の投稿)」がポップアップされ、そこに「いつの日かアメリカ大陸をバイクで横断してみたい」と書いてありました。10年越しの念願が漸く叶った瞬間…2023年9月18日 、ロスアンジェルス(LA)国際空港に到着し、Route66の旅が始まりました。
LAからシカゴに至る全長2,347Mile(3,755km)のアメリカ大陸をほぼ横断する旧国道は、1926年(大正15年)にRoute66と命名され、以降、 ”Mother Road” (スタイベックが「怒りの葡萄」の中でこう表した)とか ”Backbone of America”と呼ばれ、多くの国民に愛され続けました。

1946年Nat King Cole Trioがリリースした「Route66」は全米を風靡し、 1960~64年にToddとBuzの二人がCHEVROLET Corvetteで走り抜けるドラマ「Route66」の影響もあり、数多くのモータリストの注目を集めました。
最近では、2006年のディズニー映画「カーズ」の舞台もRoute66でした。


第二次大戦後、Interstate Highway(IS、州間高速道路)の建設が進み、1984年アリゾナ州のウィリアムズでI-40が完成した翌年にRoute66は廃線となりましたが、Route66協会が多くの愛好家の期待と寄付に支えられ、I-55、44、40、15、10号という5本のISに並走する形で(所々、ISがRoute66を潰してその上に建設された)旧国道の7割くらいを観光用道路して保存してきたので、今も健在です。今回の旅は、已む無く一部ISを走りつつ、ICでRoute66の案内標識が見えると出口を降りてできるだけRoute66を忠実に辿りました。


2.大自然を満喫したカリフォルニア州~アリゾナ州
初日から4日目までは、皆さんもご存じのアメリカ西部の大自然に抱かれる毎日でした。Route66から見える景色はずっと砂漠の単調な景色のみ。
そんな中で、突然現れる信じられないスケールの自然の造形。




3.古き良きアメリカの面影を残す癒される町
Route66を多くの人や車が往来していた頃の、古き良きアメリカの情緒漂う街並みに癒されました。
オートマン(アリゾナ州)は、標高830mの元金鉱山集落、1915年に鉱脈が発見され人口が急増、西部劇に出てきそうな街並みでした。


Route66からネバダ州のラスベガス、ラフリンに向かうR-95の分岐点にあるウィリアムズ(アリゾナ州)の街は、観光客も多く、カラフルなお店が立ち並んでいました。お土産にカッコいいTシャツを買いました。

日本では、宮沢りえさんの写真集(by篠山紀信さん)の撮影ロケ現場として一躍脚光を浴びたサンタ・フェ(ニューメキシコ州)。15世紀にスペイン人が入植して住み着いた街なので、ヨーロッパ調の色彩が鮮やかで落ち着いた佇まいの素敵な街でした。ここなら暫く住んでもいいかな...、でも標高2,130mもありこの夜は眠りが浅かったですね。


4.モータリゼーションの全盛期を想起させる小さな宿場町
サンタ・ローザ(ニューメキシコ州)にある ”Route66 Auto Museum” には店内に所狭しとピッカピカのクラシックカー数十台が並んでいました。
どれも、ガソリンを入れれば今もちゃんと走るそうです、凄い!

トゥクムカリ(ニューメキシコ州)も、かつてRoute66の街道沿いの町として賑わいを見せていた面影が残っていました。

ジョプリン(ミズーリ州)は地方都市という感じで、数階建ての近代ビルと堅牢な石造りの古い建物が混在する可愛い町でした。

5.オシャレなカフェやモーテルはRoute66のシンボル
ここは、もう写真だけお楽しみ下さい。13日間、一度も日本食は食べず、 アメリカン、メキシカン、イタリアン...











6.食べ物もモニュメントも、とにかくアメリカンサイズ
これらも説明不要ですね、写真をお楽しみ下さい。







7.とてつもなく広いアメリカ
カリフォルニア州東部からニューメキシコ州までは、基本的に砂漠地帯か山岳地域で、標高が高いところでなければ草木はほとんど生えていない。
乾燥高温で、砂埃もひどいので、ライダーにとって地獄の道のり。


ニューメキシコ州東部からテキサス州、オクラホマ州西部は、草木が生え始めるが、丈が低く、ほとんどが放牧場。360度地平線しか見えないことも。


オクラホマ州東部からカンザス州、ミズーリ州に入るとどんどん緑豊かになっていき、フェイスガードを上げても風が気持ち良い



8.起点・終点は、大都会のシカゴとロスアンジェルス(LA)
我々は、LAから東へ進むルートを辿ったが、実はシカゴが起点でLAのサンタモニカが終点。今回は時間の関係でサンタモニカには立ち寄らず。





写真ばかりで簡素な紀行文にお付き合いいただき恐縮でした。
その分、日曜日のライブでじっくりお話しさせて頂きます。(完)
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