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社会的ひきこもり予備校に通う。

今から二十五年前、中学時代の幼馴染みが浪人生活を送っていました。

彼は代々医者の家系であり、その流れに乗って彼も医学部を目指して奮闘中でした。

たまに彼に誘われることがありました。対人恐怖症の気があった私は、ビビりながらもひきこもり生活を中断して彼と遊ぶことがありました。

すでに私たちは二十歳になっていました。
三浪目となった幼馴染みは鬱々とした生活を送り続けているせいか、ぶっ飛んだことを言う時がありました。

幼馴染み「日本シリーズ観た?俺は感動したんよね〜。俺もプロを目指そうと思う・・・。ロッテのプロテストがあるんじゃけど、それを受けようと思うんよ・・。俺って肩が強いじゃろ?遠投だけならプロテストの基準を超えとるんよ・・。ロッテならいけるじゃろ・・。」

その頃のロッテは今ほどいけている球団ではなかったのです・・が、それにしてもロッテも舐められたものです。

幼馴染み「もしプロテストがダメなら・・アメリカに渡って1Aから挑戦しようと思う・・・。」

彼は高校時代に野球をやっていました。ずば抜けて肩が強かったことも確かですが、どう見ても現実逃避をしているようにしか聞こえません。1Aも舐められたものです。

そんな彼とお好み焼きを食べに行きました。

緊張しながら彼の話を聞いていると、話題の矛先が私に向いてきました。

幼馴染み「これからどうするん?仕事するん?」

言葉足らずの上、きちんと説明する勇気も私にはありませんでした。
その結果、仕事ができるような精神状態でないということが彼には理解できないようでした。

幼馴染み「今の状態で社会に出てもたいして稼げんで・・。俺は大学に行くことを勧めるね・・。」

私「・・・・学校はもうええわ・・。大学だけが全てじゃないと思うし・・・。」

すると彼は露骨に呆れたような表情で私の顔をジッと見ていました。

売れてる芸人の先輩が売れてない後輩を連れてご飯を食べに行くエピソードをよく聞きます。

あれは先輩がお金を持っていない後輩に食事を奢るという意味以外にもあると思います。

それはきっと私と浪人生活を送っている幼馴染みとの関係に近いものがあるのではないでしょうか。

幼馴染みからすると、より底辺生活を送っている私の存在に優越感を抱きホッとしていたのではないでしょうか・・。

そんな捻くれた考え方をしてしまうのです。

予備校に通い始める

と言ってもそれほど固い信念を持って大学生になることを拒んでいるわけでもなく、できることなら「ひきこもり生活」を脱したい気持ちもあるわけです。

顔を合わせる度に「大学に行け!」と言われまくって、ついに予備校通いをスタートしたのでした。

しかし、始める前から内心では気付いているのです。

大学生になったとて、現状の解決にはならないということ。
そして、受験勉強をするよりも、もっと取り組まないといけないことが私にはあるということ。しかしそれが何かがわかりませんでした。

私は某〇〇衛星予備校に通い始めました。

両親に40万を出してもらい、朝から予備校通いです。

一日の流れは、ビデオで講義を何本か受けた後に、自習室でひたすらテキストを読むという勉強方法でした。

自習室に入り周囲を見渡すと、浪人生らしき私服の生徒達が黙々と勉強をしていました。

そしてボロボロになっている参考書を目にして度肝を抜かれるのでした。気が遠くなりそうです。あれだけ使い古すぐらい勉強しないとダメということなのでしょう・・。

流されに流されまくる。

再び幼馴染みに会いました。
折角やる気を出そうとしているのに、ちょこちょこと絶望的なことを彼は言ってきます。

幼馴染み「浪人生は年度当初は偏差値がだいぶ高いんじゃけど、夏ぐらいから現役生が本腰入れてくるとあっという間に偏差値落ちていくからね〜。」

この辺りから薄々と気付くのでした。
こいつはただ私を辛い浪人生活に巻き込んで仲間を増やしたいだけなのではないかと・・。

そして「面白い人がおるよ!」との誘い文句で私はその幼馴染みの知り合いの医学部を目指す浪人生に会うことにしました。これが運の尽き。

私はその幼馴染みの知り合いにボロカスにこき下ろされたのでした。
どうやら理由は待ち合わせ時間に私が遅れてしまったこと。そして、そのときにろくに謝らなかったことが原因だったらしいのです。

「今更大学目指したところで就職なんてできんで!!その年齢で六大学レベルじゃないと意味ないわ!それでTOEICで自分何点とっとるん?」

夜になってほろ酔い状態となった彼は、いかに私のやっていることが意味のないことかを懇々と説教してきたのでした。

心が枯れました・・・。
志があって始めた大学受験でありません。
簡単に心が折れてしまいました。
そして対人恐怖が強化されたのでした。

その日から、予備校の自習室で私は受験とは関係のない本を読み始めました。

これ以上予備校に通い続けても意味がないと感じたので、辞めることにしました。

2ヶ月弱のスピード挫折です。

40万ドブに捨てる

「うつ病になってしまい・・受験が続けられなくなりました・・・。辞めようと思います・・・。」

予備校の職員さんに脱落することを告げるときに、嫌味の一つや二つは言われるかと思ったのですが、あっさりと辞めることができました。

結局私は幼馴染みにそそのかされて2ヶ月ほど予備校に通い、ボロカスに言われて心が枯れていくような体験をし、四十万をドブに捨てて終わったのです。

しかし、ただで転んではいけません。
ここから何かしらを学ばないともったいないのです。

今回感じたことは、友達はさほど必要ではないということ。

友達でも他人は他人。私のためを思って言っているとは限らないということ。だから他人ではなく自分の感覚のみを信じて生きるということです。

心が枯れてから十年経ちました。
私の振る舞いに問題があったとは言え、傷付いてから立ち直るまで結構な時間と労力がかかったものです。

私は三十を超えていました。なんとか非正規職員として仕事に就いていました。

予備校を辞めた時からあの四〇万がずっと頭にあって、ドブに捨てた学費を両親に返さないといけないとずっと思い続けていました。

この時期、私は職場で村八分にあっており、冴えない立場でした。
何故かそのタイミングでずっと頭に残っていた四〇万を返済しようと思ったのです。

仕事終わりに四〇万の現金をATMで下ろし、家に帰って父に渡しました。

そのお金を見た途端、父はポロポロと涙を流しました。

「いや・・それは受け取れん!大事にお前が使え!」

すると母が間に入ってきました。

「これはこの子の気持ちだからお父さん受け取りましょう!」

母がお金に執着があるということではありません。
どちらかというと、流石長年私に寄り添ってきた母だなと思ったほどです。

泣いた父の反応も嬉しかったし、母が受け取ってくれたことも嬉しかったのです。

長年ずっと気になっていた両親への借りを少し返すことができた気分です。


この時期、私の人生は底でした。

しかし両親にお金を返してからたいした努力をしないまま転職に成功して給料が跳ね上がりました。

これは私の考え方ですが、この世界には正しい選択をするとご褒美を得ることができるようにできているのだと思います。

四〇万の借金を埋めただけなので、プラスマイナスはゼロなのですが、予備校に行くことで、両親にお金を渡す機会を与えられたような気がします。あの経験がないと父の涙を見ることはできませんでした。


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