ひきこもりとお坊さん。
突如体が動かなくなってから私のひきこもり生活は始まりました。
この時期の嫉妬心は凄まじく、内面上では誰にでも噛み付くスタイルをとっていました(本質的に気が小さいので実際には噛み付かない)。
当時の顔写真を見てみると、目が吊り上って1ミリも顔に優しさというものがありません。
人が嫌いだと思っていながらも、女の子にモテたい。一人は寂しい。こんちくしょーと内心思っていたのですが、顔写真を見ると、そりゃ〜誰も近づいて来ないよ・・・と納得のお顔をされていました。
ひきこもり真っ盛りの時期に、親戚のお葬式に参加しました。いま考えるとひきこもりのクセによく参加したなという話なのです。
記憶が曖昧なので、これが誰の葬式だったのか法事だったのかは覚えていないのですが、葬儀を担当したお坊さんを憎んでいたことは覚えていました。
何に腹が立っていたかというと、お坊さんの説教です。
あの法事の締めで行われるソロライブのことです。
曖昧な記憶を振り絞ってみると、確か極楽浄土の話をしていました。
蓮の華があって、そこから仏さんが生まれてくる・・といった話で、それを集まった大人たちが誰も疑問をぶつけることなく黙って聞いているのです。
私の父は基本的にそのようなオカルトに批判的な人なのですが、その父さえも黙って聞いているのです。
私はこのお坊さんはどこまでこの話を信じきって話しているのだろうと苛立っていました。
本当はこれっぽちも信じていないのに、仕事だから演じているだけではないか・・それならこんな仕事無くても良いと思ったのです。
このお坊さんは髪の毛も生やしているし、終わった後の宴の席で車が好きで友達と乗り回しているという話もしていたので、俗世間に塗れ切った生臭坊主ではないかと怒りを感じていました。
蓮の華とやらで俺を救ってくれよ!と思っていました。
交番に駆け込む
怒りを感じていた原因は二つありました。
ひとつは人生に神様・仏様的なものが感じられていなかったため、その頃の私は完全に無神論者になっていたという点。
そしてもうひとつは、こんな適当な奴(お坊さんのこと)でも仕事あるという嫉妬心でした。
生臭坊主ではどうしようもねー。と思った私は、このままでは死んでしまうと思ったので、ワラにもすがる思いで交番に駆け込んだのです。
そこは繁華街に隣接する交番でした。
「すいません・・・・。あの・・・・自分は精神が病んでしまってて、この先どうしたら良いのか・・・。」
そんなことを言いながら、そっと忍び込んだのです。
警察の方はよく道を聞かれるはずです。よって街にある様々なお店や施設を熟知していると思っていました。
だから私のような迷える仔羊を救ってくれる画期的な施設などを知っているのではないかと思ったのです。
そして、話をする相手が当時は母親とカウンセリングの先生だけだったので、話を聞いてもらいたいとも思っていました。
仕事はしていないこと・・。
学校にも行っていないこと・・。
友達もいないこと・・。
そんな話をひたすらしていると、警察の方(年配の男性でした)は親身になって聞いてくれました。
「君の悩みはこういう場所ではなくて、お寺とかでする相談かもしれんね・・・。」
しかし私としては、寺?蓮の華から仏が生まれる的なことを言う奴らですぜ・・・とガッカリしたのでした。
座禅に行く。
というわけで交番に駆け込んだ数年後に地元のお寺に座禅を受けにいくことにしました。
この時期はマインドフルネスなんて知識もなかったので、ただすがるような思いで座禅を受けに行ったのです。
ネットで下調べをすると、そこは警策で思いっきってどつくようなストイックな修行ではなく、座禅中にお尻の下にクッションを入れても良い、かなり優しいスタイルの座禅でした。
集合時間も提示されていたので、予約などは一切せずにその某お寺の境内に行きました。すると、どこからともなくゾロゾロと参加者が四方八方から現れてきたのです。
私は昔四国のお遍路を経験したことがありました。
そのときに早朝の寝起きに座禅を組まされました。
当時私は寝起きにトイレに行く習慣(大きい方)があったのですが、トイレに行く時間を与えられず座禅会場に引きずり出されてしまったのです。
案の定、ひたすら襲いかかる便意と格闘する地獄のようなひと時を過ごすことになってしまいました。
私はついに耐えられずに隣で座禅を組む若者に助けを求めたのです。
「あの・・・ウンコに行きたいんだけど・・・」
すると彼は、私にひと睨みをかまして再び目を閉じたのです。
人権もクソもねーな!!と思いました。
そんな苦い思い出のあった座禅です。
さて始まる前にしっかりとトイレにも行って万全の状態で望んだのですが、やってみると気が散ることこのうえないのです。
遠くで聞こえる車の音。そしてパトカーらしきサイレンの音。それらに意識が向いてしまいます。
そして次には、あたりを飛ぶ虫の羽音も気になり始めました。
こんなときに限って顔が痒くなってしまいます。痒くてもかけないと思っているとますます顔の痒みが強くなっていくのです。
気がおかしくなりそうなぐらいに顔が痒くなってきました。
ぐおー!!だめだ!!!
その場で開脚しながら豪快にひっくり返りたい衝動に駆られました。
全く集中できません。
結局雑念と痒みに全ての時間を持っていかれてしまいました。
人生がうまくいっていなかった私は、怒りや嫉妬の権化になってしまいました。
しかし今はそれなりに社会に適応した生活を送れているので、当時の負の感情はすでにありません。
今では「お坊さんも仕事だから、そりゃ・・蓮の華の話もするよね〜」とゆとりを持って物事を見ることができるようになったはずです。
経験を積むと立場に対して共感しやすくなるのは確かだと思います。
これを成長というのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?