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元ひきこもり。過剰に他人に合わせてしまう。

例えば、職場で怖いと感じる同僚がいます。
私は終始その同僚の意向をどこかで気にしているのです。

例えば、その職場を利用しているお客さんが体調を崩してしばらく来れなくなったとします。例えばの話・・。

しかし、私が怖いと感じている同僚がそのお客さんに伝えて欲しい案件があるというのです。

私はここで悩んでしまいます。

お客さんが体調を崩しているわけで、体調が戻ってから伝えるべきではないか?
本心ではそう思うのです。しかし急を要することなので早めに伝えて欲しいと言ってくる怖い同僚。

結局私はその怖い同僚の意向に沿って伝えることを優先してしまうという行動をとってしまいます。

本心は「体調が回復してから伝える」なのです。結局ここに私の意思はありません。

信じていない?


何故そのようなことになるのかというと、私が私のことを信用していないからです。

直感を信じて大きく失敗したことがありました。

マッサージ師に弟子入りしたことがあったのですが、私はそのマッサージ師さんと性格が合いませんでした。どうしたら良いものか、私は途方に暮れてしまったのです。

疲弊をしてしまった私はマッサージ師さんから離れた後も、正常な判断ができずに一度退職した職場に戻ってしまいました。

元同僚たちは意味不明な私の態度を受け入れられず、結局出戻りの職場で村八分を喰らってしまいました。

このときは人生が終わったと思いました。

貴重な自分の人生の時間をドブに捨てたようなもので、職場内を1人で歩いているときに「なぜ私はこんなことをしているんだ・・?」と視界がグニャグニャとねじ曲がるような感覚に陥りました。

「自分の直感を信じていはいけない!」

そのように学んだ1年と数ヶ月でした。

そして私は17歳の頃から「ひきこもり」生活を送ったのですが、ある日体が動かなくなってしまい、家から出られなくなりました。

私の中でその経験は大きくて、自分のことが根底で信じられないのです。

失敗ばかりなのか?

しかし、そんな経験を経ながらも要所要所で私は良い判断もしてきました。

具体的に言うと、スペインの巡礼をしたときのことで、ゴール地点のサンティアゴ・デ・コンポステーラから10キロほど手前のホテルで宿をとるという判断をしたときです。

ゴール地点になると巡礼者の数も莫大になり、宿が満室になることが度々ありました。

多くの巡礼者は、ゴール前日に泊まる宿は20キロほど離れた街にあるホテルに宿を取るのですが、私は少しだけ無理して長めに歩き、ゴール地点から10キロほど手前のホテルで宿を取ったのです。

誰もやりそうにない行程を選ぶことで、前日は余裕を持って宿を取ることができました(伝わってます?とにかく我ながら良い判断でした)。

オランダ人の方達に「明日はどうするの?」と聞かれたときに、その行程を説明しました(私は片言のスペイン語しか喋れないので、いま考えたらどうやって話したのか不明)。すると彼女たちは「Wao・・good idea〜」と言ってくれました。

また先ほど職場に出戻って村八分状態になったときの続きなのですが、精神的に追い込まれたので生き方を見直さないといけないと真剣に思いました。

そこで「幸福」がタイトルに付いた本を数冊購入し、複数の本で同じことが書かれていることを実践してみました。

これも結果的に実践してから人生が変わっていったので、良い判断だったと思うのです。

このように丁寧に過去を振り返ってみると、良い判断もしているわけです。

自分のことをダメだと思っていたのですが、それは本当にダメなのではなく、頭に残っていることが失敗の経験だったというまでで、意識の向け方に問題があるだけなのです。

人の意見は良い加減である


私は車いすユーザーの彼女とお付き合いをしていました。

私と彼女が付き合っていることに関して周囲の反応はまちまちでした。

男性A「付き合うなら結婚しなさい!それができないなら別れなさい!」
彼はベロベロに酔っ払った状態で言ってきました。

とあるマッサージ師「なかなかあんな子はいないよ・・手放したらいかんよ・・・」

女性A「あなたは優しすぎる!もっと自分の幸せを考えた方が良い!」

女性B「付き合っても、別れてもどう転んでも応援する!」

言ってることはバラバラです。
その全ての意見を聞いていたら、私の体がいくつあっても足りません。

彼女と付き合うことに反対だった人も、もし私がそのまま結婚していたら、見る目が変わっていたと思います。

スペインの巡礼に行ったときは、スペイン語教室の生徒さんの中に私に対して否定的な態度をとる人がいました。

それで仕事を辞めて巡礼に行く話を報告すると呆れたような態度をとっていたのですが、本当にスペインまで行って帰ってきた途端に、態度が軟化してフレンドリーになっていました。

また私の父もスペイン巡礼に関心が無さそうな態度だったのですが、帰国後に親戚が興味を持って感心している態度を目の当たりにしてから父も関心を持ってきました。

意見は人によってバラバラ。そしてその意見もときによって変化していく。そんなもんなのです。となると最終的には私の意思しかありません。


私は私、あなたはあなた。
死ぬ時はひとり。


対策

さて職場の怖い同僚とどうやって付き合っていくか?

思いつくのは私の頭にある「できる・できない」の壁を壊していくしかないのかもしれません。

怖い同僚に突き動かされて行動する前に一旦止まってみます。
そして自分はどう思うかを自問自答してみるのです。

自分の意思は自分に対して質問をしたときにぽこっと浮かんでくるはずです。
意思が見当たらない人もいると思いますが、これも練習だと思うので、「自分だったらどうする?」と自分に質問をする練習をすれば良いと思います。

意思が明確になっても、勇気を持って行動できない可能性もあります。
もし勇気が出せるようなら行動するなり発言をしてみる。

そこで物事が自分の行動で変わっていくなら成功体験が積めたということなので、
「できる」意識が広がっていくと思います。

この地道な積み重ねによって少しずつ自分の意思に自信を持っていければ、他人に過剰に合わせなくても済むようになるかもしれません。




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