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記号と感覚

「化学反応と変形/未視感めがね」

前回のnoteの冒頭で”青と緑”について書く前から、Kanaさんの内側には色の話があって、結果的にそれを違った形で炙り出せた事、しめしめ…と思ってこれを書いています。

先にある色の話の件のように、私たちが言葉を交わす時、意図せず化学反応が起きる事があまりに多い。同じものを見て、考えている時にはもう感覚の成分が違い、それをぶつけ合った時、あらぬ方向に本質が飛んでいく。
この感覚は何らかの形に残すべき…と、【遠泳と潜水】に誘うべく、あの日いそいそと、説明不足なメッセージを送りつけた、という経緯なのです。  



今年の2月に行われた恵比寿映像祭のトークショーで、映画監督である三宅唱さんが「最近、―ジャメブ―って言葉が気になっていまして…」というお話をされていて、(じゃめ、、じゃめぶ…?)と上手く咀嚼しきれないうちに「―ジャメブ―は、デジャブの反対語、つまり未視感。という事らしく…」と話が進んでいったのですが、未知との遭遇が大好きな私は、(ジャメブ、ジャメブ、未視感、ジャメブ…)と、その言葉を忘れないように、その後のトークで消えてしまわないように、必死で脳内に書き留めておき、今ここに書くことになりました。  


「未視感」を初めて認知したその日から数ヶ月、これについて考えようと思っていた事を放り投げておいたのですが、今思い返すと笑ってしまうくらいに、私は「未視感」を手に入れようとしていたのです。


これはすごく個人的な事なのですが、夏にさっぱり髪を短くしてから、顔回りがすっかりさみしく、めがねをかける習慣が増えました。っと、言うよりもっと具体的に、週7日のうち3日はめがねをかけるぞ、というゆるやかなルールを自分に課して過ごしてみました。
最初は外見の変化が目的だったのですが、それはすぐに内面の変化になり、私の心は踊り出しました。


夜道に灯る街灯がレンズを通り、光が屈折・拡散する。
――致し方なし、という風貌に見えていたあの光が、のびのびしている。

降り始めた雨がレンズに落ちてとどまり、視界が雨粒で埋まっていく。
――アスファルトに溶け込んでしまうはずの雨が、雨の形のまま視界に残っている。


未視感めがねという飛び道具を使う事は、ちょっとしたズルに近い事なのかもしれないけれど、これがどうにも具合が良いので、ちょっと、そういうモードで数日過ごしてみて下さい。





ただ、それは決して、めがねをかけて過ごしてみてね、という意味には繋がりません。

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