日記〻和らぎ水でひと息ついて
3日坊主でも大丈夫、3日間で区切る日記をつづける。
5月26日 (木) 晴れ
数年ぶりに兄から電話。
家族の体調についてすごく良くない話を聞く。
不安だけど今は解消する術がない。
悲しい。2022年は悲しい事が多すぎる。
兄は冷静でユーモアもあり、とても気遣ってくれているのを感じて少し救われる。
とにかく早く眠ろうと消灯するも、真っ暗闇が怖い気持ちになって上手く眠れず。
子供の頃にはこういう夜がたくさんあった気がする。
5月27日 (金) 雨のち晴れ
寝たか寝ていないかよくわからずふわふわ起床。
電車内で悪い想像と思い出ばかりが頭を巡って何度も泣きそうになる。
会社に着いたら切り替え冷静に淡々と仕事。
こういう時に仕事があって良かったと心の底から思う。
今、何が必要なのか全くわからず。
気を紛らわすために映画館へ行ったりするのも何だか違う気がして。好きなポッドキャストで笑うことも何だか違う気がして聞けていない。
音楽だけは聴ける。
欲しかった新刊を買いに本屋さんに行くも、パラっとめくってみると強めのワードが太文字で書かれていて。ああだめだ今じゃないと戻してしまった。
詩集・エッセイ・小説・新刊のコーナーをぶらぶらしていたら、余命・死・後悔しないために、云々のタイトルが頭の中で混ざって目がぐるぐるしてきたのでこれはまずいと思って何も買わずに帰宅。
夜に兄からLINE、昨日の話をメモで補足してくれた。
昨日すぐに送らなかったのは、休みの前の日まで待ってくれたのだろうと想像して本当にありがたい。この本読んだけど良かったよと教えてくれて兄妹を感じる。
5月28日(土) 晴れ
楽しいと思える事を避けて自分を追い込んでも何も意味ないよという所まで辿り着くことができてOVER THE SUNを聴きながら洗濯と掃除。いなくなってから大切だと気づいた人の話、人の死に対して持っている感覚の話。に入る前に落語みたいな件があって爆笑してしまった。まだ笑えるし笑ってもいい。感情や状況に対しての一貫性というか、悲しい時はひたすら悲しい仕草をするべきみたいな事を自分に課してしまうのは良くない癖だから良くない。
家をそこそこに片付けて、土曜日の楽しみfuzkue阿久津さんの日記を読む。
接客業のマニュアルに笑顔の強要はいらない、というか楽しかったら自然に笑うでしょう。という内容が心に残った。自分が接客業をしていた頃は「もっと笑いましょう」と言われてそういうもんかと思ってすんなりやっていたし、その時はすごく楽しかったんだと思う。でも、そうではない人もいるのだと教えてくれるのはありがたい事だ。
好きなものにちょっとづつ触れて気持ちが回復して来たので犬王を観に行く事にした。ずっと前から楽しみにしていたんだし。どんな気持ちになるか怖いけど映画館。
すごく感動した。
みんなが自分の名前を名乗れて、自分の歌を歌えるといいなと思いながら帰路。
成長するにつれて身体の形状が他者と同形になっていき、怒りを押し殺して清濁合わせ飲む犬王の状況に胸が痛んだ。こういう描写を、具体的な言葉にせずただ感じさせるアニメーションの力はすごい。
いつもの週末というのをやりこなして少し落ち着いた。
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