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日記〻春と私のすき間をせまくしています。

3日坊主でも大丈夫、3日間で区切る日記をつづける。



3月14日(月) 雨のち晴れ
ベッドの中でだらだらしてしまって、雨との触れ合いを逃す朝。
最近考えているの写真のこと。街の一部と目が合った瞬間の記録としてiPhoneのボタンを押しまくる時、一番自意識から開放されている気がする。
それをカメラロールから出そうと編集で体裁を整えていると、どんどん自意識が付与されて写真の具合が悪くなってくるような感覚。
そんな事を考えていたら、前にBEAMSギャラリーで見た竹内万里子さんの書籍「沈黙とイメージ」の展示の写真を見つけた。
【写真とは、人間の視線とは異なる、もう一つの視線である。】
という一説が妙に腑に落ちて。そうなんだよな、機械を通して見るという行為によって、それはもう私の視点ではなくなっている事に落ち着くんだろう。そしてここが、写真による無意識の加害性にも繋がってくるのだと思う。ちょっと駄目だな。もう少しゆっくり、深く考えよう。今日はおわり。




3月15日(火) 晴れ
気がついたら冷蔵庫のヨーグルトが切れていたり、紅茶のティーバッグが切れていたり。絶妙に乱れてくる生活。そうだ、今日は飛び切り可愛い布の服を着たんだった。生地が素敵で袖がボフッとした服に弱い。春、春。




3月16日(水) 晴れ
昼間から夜までずっと窓を開けて自宅仕事。
快適なワーク。
ジェーン・スーさんのラジオ番組「相談は踊る」で話していた事がまだじんわりきた。「好かれようとする人は好かれないという恐ろしいロジックがある」…あらゆる立場を想像してもわかる。となってしまった。逆も然り。だし。「言語以外で伝わっている何か」についても胸が痛いな。必要以上に相手を気にする事は、私にとっては完全なる自己愛だし。結果自分を痛めつける結果になったりとややこしい。これも筋トレしつつ良いバランスがあれば良いなと思う。

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