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青い鳥に思いを馳せる

昨日、突如青い鳥が消えた。

悲しすぎて思わず呟いていた。
まさに呼吸。

私にとって青い鳥は青春である。
まだいいねがふぁぼ立った時代からわたしの世界の全てで、週末はツイートし過ぎてアカウントが焦げつき、サブ垢を二つくらい持って呟き続けていた。

(そう思うと今はなんて健全なのだろう)

現在はそんなにたくさんのアカウントは所持していないが(本名もバレてるし、仕事もTwitterから頂いてるし、そんなにいらない)
それでも明かしたくないアホみたいなアカウントがまだある。いつでもある。

私のように言葉が溢れ出て脳内処理が追いつかない人間にとって無料で用意されたこの青い空間は生活の多くを占めていた。いやほとんどを占めていると言っても過言ではない。

そんな青い鳥の雲行きが怪しくなったのは昨年だろうか。
インプレッション数が表示されたり、
有料プランができたり、よく不具合が出るようになったり。

上手く付き合えないじゃないか!と思いながらもわたしは青い鳥が好きだから。なんだかんだ課金をして使い続けてきた。

でも、気がつけば青い空間が心苦しくなってきたのも事実だった。
便利であるし、たくさんの場所でたくさんの方にフォローしてもらうたびに、自分がつぶやく言葉を失ってしまっていた。

最近会う方に、『ツイッターと雰囲気違いますね』と。
どっちが愉快かは置いておいて、本当の自分とはなんだ、何を気にして呟けないのだ、と自問自答を繰り返していた。
面倒臭いやつである。

そんな私に最近救世主が現れた。
『Threads』だ。

広告もなければ、タイムラインの表示も良くわからないこの無防備な空間は、出会った頃の青い鳥の中を彷彿させる(?)
取り繕う人の少ないこの場所は今自分の安全を保ってくれている。ありがたや。

ふざけてるのだがほぼ本音。
今はここに逃げている。

青い鳥の私と、noteの私、インスタの私、スレッズの私。
そして普段の私。

色んな私が色んな場所で私を作っているのだなぁと思うのが最近。

だから尚更思うのである。
SNSの吸いも甘いも全てを教えてくれた場所がTwitterだということを。

思い出したくない痛い思い出が学生時代からたくさんある。
そして、Twitterがあったからこそ出会えた縁もある。
いやTwitterがなければ出会えなかった縁ばかりである。

…どんだけTwitterに人生支えられとんねん。

本当に私にとって全てなのである。

だからこそ、やっぱりTwitterがXになってしまったことが悲しい。
青い鳥が飛ばないことが悲しい。

でも一番悲しいのは、きっとTwitterがXになったことも、少ししたら慣れてしまう自分が悲しい。

あと数日したらきっとこの悲しみも忘れて『Xがさぁ』と言ってるだろう。
でもその前に思いを馳せて書き留めておきたかったのだ。

Twitterありがとう、と。

読んでいただきありがとうございました!

noteを書くためのネタ体験代(記事諸経費)に充てさせていただきます。無駄遣いしないよう是非見ていてください…ありがとうございます!