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イノベーションのヒントは「律速」の発見と解消。社会を良くする鍵は、まだまだあちこちに眠っている

皆さん、こんにちは。本田技術研究所・先進技術研究所長の小川です。

突然ですが、皆さんは「律速」という言葉をご存じでしょうか。律速とは、ものごとの進み具合や性能を左右する原因を意味します。もともとは化学の用語で、一連の化学反応の中で、最も変化の速度が遅い箇所やその原因を表します。つまり、速度を律する要素なので「律速」なんですね。

これまで、このnoteでは私の目線からまとめたGAFAM時代の生き残り方や、本田技術研究所のフェローである森さんとの対談を通じた「Hondaらしさ」を発信してきたため、いきなり化学の用語が出てきたことに、疑問を持った方もいるかもしれません。

しかし、この律速は、私たち本田技術研究所、そしてHondaがこれから生き残っていくためには避けて通れないワードなのです。

律速とは、ブレイクスルーを起こすトリガー

私たちは普段、さまざまな技術を研究しています。自動車などのモノづくりにはいくつもの工程があり、各工程に必要な技術や部品の研究は、さらにもっと細かいいくつもの要素によって構成されています。

その中でも、製品そのものの価値や生産スピードを左右するような重要な工程が存在しますが、これは多くの場合、工程全体のボトルネックとなりがちです。そういったボトルネックとなっている工程を見つけ出し、そこで何が起こっているかを解明して知恵と工夫を入れることで、より高い性能をより速く達成できるわけです。

そう考えると、今回のテーマが律速である理由も、理解しやすいのではないでしょうか。それは、私たちのミッションが、社会における律速を発見して、解消するということだからです。

例えば、私たちが研究しているものの代表格である全固体電池を考えてみましょう。全固体電池をつくるには、まず材料を混ぜて電極の元となるものを作ります。さらに、それを薄いシート状にして、プレス工程により張り合わせていきます。

このとき、ある工程ではマイクロ単位での計算が必要である一方、また別の工程ではミリ単位の計算が求められます。それぞれの工程に解決すべき律速があり、それに加えて、こうしたいくつもの要素が複雑に絡み合っている複合要素にも律速があります。こういった場合は「これ」という明確な解析解が得られるものではありませんので、あくまで必要十分な近似解を導き出し、積み上げるという工夫を行うことで律速を発見、解消しています。

ただし忘れてはいけないのは、「全固体電池を作ること」がゴールというわけではないことです。一般的に、消費者は常に多機能、かつ小さいものを求めます。そういった消費者の要望に応えるために、「どれだけ機能性に優れ、コンパクトな全固体電池を作れるか」がここでの目指すゴールです。そのためには、全固体電池開発において積み上げていく工程に潜む、機能を高め、サイズを小さくするための律速を解消する必要があるのです。

律速は一度解消したら終わりではない

律速を解消することは技術者にとってやりがいのある挑戦ですが、律速を見つけることもとても大切なことです。高機能、小型化という指標が明確になっていればある程度見つけやすいのですが、私たちのように、社会のイノベーションにつながる未知の技術に挑む場合は、そもそも律速があるのか。つまり、挑戦する価値を持つ課題があるのか、から考える必要があるのです。

さらに、一度見つけた律速を解消できても、その先にまた別の律速が生まれる可能性もあります。例えば、自動車には現在さまざまな機能がありますが、実はまだ見ぬ律速が潜んでおり、それを解消することによりさらに飛躍的に性能や利便性を向上させられる可能性があるものは、まだまだたくさんあると考えています。

昨今はシミュレーションや仮想空間の技術も進化しており、ある程度の律速までは効率的に発見でき、解消できるようになりました。しかし、その先には、現時点の私たちが理解できる範疇を超えた律速が必ずあるのです。

私が本田技術研究所に入社したころ、トップの方が「必要なのは発明ではなく、発見だ」という言葉をよく口にされていたことをよく覚えています。この言葉には、理論を積み重ねて成し遂げる「発明」も重要だが、その前提には何か未知のものを「発見」することがある、だからこそがむしゃらに、泥臭く取り組みを続けよう――というHondaらしさがにじみ出ているように感じます。

「発見」こそ重要であり、Hondaならではの文化

私たちが目指す「発見」には、ゼロから何かを見つけるだけでなく、社会の当たり前とされているものを疑うことも含まれます。客観的事実として認知されているものは、それまでなかったものが主観によって発見され、さらに再現性を帯びることによって定着したものです。そうした発見をするためには、常識に囚われない「強い主観性」こそが非常に重要であると言えます。こうして発見した事象あるいは律速を解明、解消していく。それが性能や利便性より良くすることにつながっていくのです。

私が入社直後に開発へ携わったHondaJetのケースを紹介しましょう。HondaJet以前の航空機開発では、揚力をいかに得るかという観点から、気流を妨げないように主翼の上面にエンジンを配置せず、胴体の後部に配置するのが常識とされていました。それによりレイアウトが限定されるため、室内空間や静粛性、空力性能でのイノベーションは難しく、航空機の性能はそこから飛躍的な向上が見込めないということが定説化していました。

しかし、HondaJetプロジェクトの責任者だった藤野道格さんは、あえて主翼上面にエンジンを配置することを選択し、レイアウトの制約におけるブレイクスルーを行ったのですが、それを実現する上では揚力低下や、フラッターと呼ばれる空力構造連成振動が明らかな律速でした。

HondaJetのユニークな発想が実現したのは、社会の固定観念や、これ以上解消できない律速とされるものにも「なぜ」を繰り返した結果だと推測しますが、藤野さんはどういう思いで取り組み解消していったのか、これはまた回を改めてじっくりと聞いてみたいと思っていますので、楽しみにしていただければ。

さて、Honda Jetに限らず、研究に携わっているメンバーは専門家の集まりですから、ついつい「それは実現できないのではないか」「自分も試したけど、ダメだった」と口に出してしまいがちです。私自身の経験を振り返ってもそうでした。

一方で、「自分も試した」というのは、本当に充分だったのか。10回試してダメだったものの、実は1万回試せば何かを得られたのではないか――このように、技術に対して謙虚な姿勢を持っていれば、一見すると若い、異端に映る意見でも任せてみようという気になれます。Hondaにはそうしたメンバーが集まっているからこそ、CVCCやVTECといった時代を切り開く技術が育っていったのだと考えています。

そもそも私は、どんな技術者にも律速を発見する能力や、才能の種、強い主観があるはずだと考えています。それらを芽吹かせ、開花させてきた歴史と、そして何より文化があることこそ、Hondaの強みと言えるでしょう。

世の中に、まだまだ律速は数多く眠っている

もちろん、技術的な律速にだけフォーカスしていては、社会に評価されるものは生まれません。Hondaでは「世界初か」「世界一か」を常に問われると書いてきましたが、これらと合わせて「お客さまのどのような困りごとを、どう解決するのか」も私たちが常に求められているテーマです。

もちろんHondaの社内だけでなく、世の中には優秀な技術者が数多くいます。ふとした瞬間に「こんな技術、あれば良いのに」と思い付いても、世界には同じことを100人以上がすでに思い付いている、あるいは世に生まれているといった例はたくさんあるでしょう。

だからこそ、Hondaでは現地に足を運ぶことをとても重視しています。現地には机の前で考えているだけでは気づかない、見つからないことがたくさんあるからです。自動車関連の研究をしている人であれば、自動車だけでなく近しいモビリティがどのように世の中で使われているのかを実際に見て考えます。デザイン関連であれば、2カ月にわたってイタリアへ行った人もいました。

一見すると、研究せずに外を出歩くのは「無駄」に思えるかもしれません。しかし、そうした無駄に感じる、「生」の体験こそが、シミュレーションや仮想空間の発達した今、私たちがなすべきことではないでしょうか。

昨今は「ソフトウェアデファインドビークル(SDV)」という言葉を目にすることも増え、その文脈でソフトウェアがハードウェアを支配する、という考え方もありますが、私は絶対に違うと確信しています。どちらかが優位なわけではなく、あくまで一体開発であることにこそ、意味があるのです。

機械学習や生成AIも飛躍的に進化し、リアルとデジタルの境目はあいまいになりつつありますが、そうした主にソフトウェア面でのイノベーションは私たちにとって「手段」でしかありません。さらに、机上の空論だけではどうにもならないことがあります。考え方としては成立していても、「実時間」や「現実世界」においてみると出来なくなってしまうという事例はたくさんあります。そういったところに、律速を解消するために必要な研究・実験は数多く残されています。

そんな中で、新たなテクノロジーと、私たちならではの蓄積された形式知を組み合わせ、まだ隠れている未知の律速を、これからもどんどんと発見できるはずだと考えています。その先で私たちは、もしかしたら自動車ではなく、半導体や機械学習に関係するデバイスを販売するようになっているかもしれません。プロダクトや技術研究の律速だけでなく、私たちの組織がさらに進化するための律速とは何か、興味は尽きません。