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待つ

 たいがいの悩みを突き詰めると、「やさしさとは何か」という問いにいきつく。これ、うつくしく大仰な言葉にかえれば「愛とは何か」になるんだろうとは思うけど、なんかこそばゆいので親しみやすいワードに変換してる。いうて親しみやすいものほど、複雑・難解だが。

 太宰の小説に『待つ』という短編があって、何を待っているのか分からず、不安になり期待をし、やっぱり不安になり緊張し、ひたすら行き場のないもやもやを抱えながら、待つ。待つ。対象が分からないから動きようもないし、かといって一歩も動かないわけにもいかず、そわそわしながら、待つ。いってしまえばそれだけの話なのだけど、この「どうしようもない不安」ってただ抱えているだけでエネルギーを使うよな、と思った。積極性ばかりが謳われるけど、受動性にひつような忍耐力って、すさまじい。

 私が関わってきた(ている)人たちは、ほんとうに「やさしい」と思う。どこまでもありがたく。そう感じるひとつの理由は、「待ってくれる」から。行動も発語も何もかもスローでかんまんな自覚があって、そのことを責めず・焦らさずに、ペースを見守ってくれる人のおおいこと。びっくりする。「あなたのためにこうしてるんだよ」なんて、見かけはいいけどどこまでも利己的なセリフ、ほとんどかけられたことがない。めぐまれすぎでは? だからこそ私も「待つ」ことのできる、忍耐力をもった、やさしい人になりたいです。なんでこんな話になったかというと、斉藤和義の「やさしくなりたい」聴いてるからです。影響されすぎ。

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