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信号機のお告げ

 どかどか降ってくる雪にあらがいたくて、わざと上を向いたら、赤色をしていた。次の瞬間、ぱっと緑色に変わった。信号機の光を、きれいなもの・美しいものとして見てこなかったが、雪を彩る光として捉えた瞬間、こんなにも印象が変わるのかとびっくりした。ふだんは交通整備のための、頭で認識する存在だった。けどこのときは、素直に「わっきれい」って心で認識していて、琴線に触れた。雪のなか帰るのも楽しいなと思えた。

 机の上に、コジコジの日めくりカレンダーを置いている。昨日のページは次郎くんとコジコジの会話「…オレだって特に何かの役に立つ事ないなァ」「半魚鳥が役に立ったためしはないね」だった。役に立つ。役に立ってない。役立たず。さいきん頭のなかでぐるぐる巡ってるホットワード。でも役に立つってなんや、誰の何のためにや……こう考えてる時間は少なくとも役に立ってないと思う、需要がないので。つまり需要があるかないか、か。

 信号機自身は悩むだろうか、私が信号機だったら悩むけど、信号機が私だったら悩まないだろうな、と思う。「別にいいじゃん、役に立つか立たないかなんて周りが勝手に決めることだし。現にお前だって自分(信号機)を、交通整備のものって思ったり、イルミネーション同様に感じたり。そういうふうに需要ってのは人の気分で変わりつづけるじゃん。そんなもんに己の存在あずけていいんか?」……やばい、私の中の信号機が語りかけてくる。てかこれ経済の話では? えっと、つまり、経済の勉強をしろってコト……?!(急ハンドル)

 こうして手に取った一冊の本が、人生を大きく変えるのであった——みたいな展開をお待ちしておりますので、信号機様、ちょっとなんかいい感じにお導きください。草々。

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