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保険適用外の学び

 土曜日、歯科医院へ行った。徒歩圏内かつネット予約ができるからという、何とも当たり障りのない理由で選んだ医院だが、「自分は今6才の容姿をしているのか?」と疑ってしまうくらい、毎回 やさしい しんさつ をしてくれる。何よりも歯科衛生士さんの安心感はすごい。はじめの「お待たせいたしました」という挨拶、その後の「あれからお具合はいかがですか」、診てもらっている最中の「よく磨けていますね」。ひとつひとつの言葉は何気なくも、語り口がびびるほどにやわらかい。どんな返答をしても、にこやかにうなずきながら受け入れてくれそうな予感がする。

 最近、ちらと立ち読みしたビジネス書のなかに「チームに馴染むには"自分は好かれる"と信じながら関わること」とあって、それができたらいんすけどね、と悪態をつきながら閉じたのだが、なるほど、たしかに「受け入れられる予感」をもちながらコミュニケーションを取ると、肩に力が入らなくていいんだなあと、タオルで視界を遮られながら私は思った。

 これがいわゆる包容力と呼ばれるものかと勝手に納得しつつ、歯科衛生士さんの声に耳を傾けていた。このあと歯石とりしますねえ。喋れないので軽く首を縦に振る。こくり。ちょっとチクチクするかもしれないです。こくり。そうかあチクチクするのかあ〜。こわ〜。でもがんばろ〜。すっかりガキ然とし、無抵抗に横たわったまま、アホみたいに口を開けていた。もしここが歯医者でなければ、あまりにも隙だらけで恐ろしい。身を預けすぎているし、これから少なからず痛みがおそってくるというのに、なんだこの有り様は。しかし、そんな不安や恐れをかき消すには十分すぎるほどの「母性」が、たしかに存在していた。

 ひと通りの確認が終わったのか、視界が開き、うがいを促された。最後に先生にみてもらいますね。そう言い残して母性衛生士さんが去っていく。すると現れたのは眼鏡をかけた歯科医さん。はい、じゃあ倒します。現れたと思った矢先、あっという間に椅子を倒され、すっと口のなかを診てから、うんうんと多くを語らず、ふたたび椅子が起こされた。なんともあっさり。拍子抜けする。では問題ないので、次は3ヶ月後にしましょう。お疲れ様でした。それだけ残し、颯爽と去っていった。テキトーというわけでは全くなく、その声と立ち居振る舞いには威厳があった。背筋をしゃんとせねば、そう思わせるほどに。はじめて診てもらったときも、あまりに淡々と「ここが虫歯ですね、こう治療していきますので」と告げられたことを思い出す。これは間違いなく「父性」だと感じた。ちなみにその歯科医さんは女性の方で、父なるもの・母なるものという役割は、性別で決められるものではないのだと学んだ。

 父性医さんと、母性衛生士さん。そのバランスに、私はしみじみと感じ入ってしまった。なかなか予約が取れないのも理解できる。居心地のいい環境として理想的だと思った。診察が終わり、受付で示された診察料:3700円の文字を見ながら、これは父母性を学んだ受講料だと言い聞かせた。きっと保険適用外だろう。それならば納得の料金だ。逆にいえば受講料が入ってなければ納得いかない料金だ。あえて内訳は見ずに、領収証をリュックへしまった。

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