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いろはすの目

 会社は静かだ。足音さえも気をつかってしまう。常に響いているのは、キーボードの音。かたかたかたかたぱしん(エンター)。だからちょっと重ためのゴミをゴミ箱へ入れるだけで、袋がカサァ……と、うるさく感じる。そんな環境で、私はいろはすをつぶすことができなかった。昨日、そのまま捨ててしまった。そしてふと、違和感をもった。

 悪いことをした気分。

 深いゴミ箱のなか、ほかのペットボトルたちの上に転がった彼を見て、心がほのぐらくなった。彼のことを、つぶす「べき」ではないのか? そう少し悩んでから、しかし……と思い直す。ここでは静かにす「べき」ではないか? 頭のなかで2種類の「べき」が戦っていた。その戦う理由が、どこまでも独りよがりなことを自覚しながら。

 もしいろはす自身に意思があった場合、というか私が彼だった場合、無責任だと思うかもしれない。声も力も持たない自分を手にした貴方は、私を最期まで使い果たす義務があるのでは? お前の体裁なんぞ知らんから義務を果たせよ、と。

 しかし、彼は本当につぶされることを望んでいるのだろうか?

 つぶす理由はそもそも、ゴミのスペースを減らすため。とすれば、あくまで人間からみた利点であり、彼自身が望んでいるのではない。もっとも、彼自身に感情移入するのなら「痛い!」と感じる方が理にかなっている気もする……とここまで考えてからまた思い直す。

 違う、向かっている方向が確実に違う。

 やっぱりこの場合はつぶす「べき」なのだ。いろはすのその性質は、彼を彼然とさせる特長でもある。それを尊重することが、彼を手にした私の義務なのではないか? というか何でもいいから早くつぶせよ。

 しかし結果的に、つぶせなかった。

 それは音を立てることで注目を浴び、かつ、「うるさいな」と一瞬でも思われることを恐れたためだった。横たわる彼をじっと見つめながら、ゴミ箱の蓋を閉める。ぱしん。背を向けて歩きだした。どんどんどんどん。はっとする。彼をつぶさなくても、私はすでにうるさかった。彼をつぶす音と大差ないくらい、とっくにうるさかったのだ。それに考えてもみろ、ペットボトルのつぶす音が響いたところで、きっとまわりは「ペットボトルつぶしてんだな」と思うくらいだ。つまり私は、自分勝手な動機で、彼の人権ならぬペットボトル権を無視してしまった。

 あれ以来、まわりの目より、つぶさずに捨てたいろはすの影がちらついている。

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