見出し画像

踊り場のトンボ

 中学生のとき、理科の参考書に出てきたトンボの画像。顔のどアップだった。まあるくて大きくてぎょろぎょろとした、複眼。はじめは何が写されているのか分からず、しばらく見つめていたが、理解したとたん、体が震えて寒気がした。鳥肌がとまらなかった。あ、コレ本当にダメなやつ、と思って、上から大きな付箋をはり、見えないようにしたことを覚えている。なぜそれほどまでに「嫌」で、こんなにも「拒否」してしまうのか、自分でも理解できなかった。

 大人になった今でもトンボは苦手で、外で浮遊している姿を見るだけでもウッ……となるし、近くにいれば避けてしまう。最近、住んでいるマンションの階段、2階から1階のあいだの踊り場に、1匹のトンボが迷いこんでいた。会社の出勤時に見かけたときは、すみっこで翅をバタバタと忙しなく動かしていたから、いつものように、嫌だ、気持ち悪いと思って、走るように階段を降りた。なるべくあの姿を目に映したくなかった。

 けれど再びその姿を見たときは、外は夜になっていて、踊り場はうす暗くて、トンボはしんでいた。少しでも風がふけば、その身体は飛ばされてしまうだろうと、安易に想像できるほど、力がなく、重たさもなく、乾いていて、翅が透き通っていた。

 私はふと、彼の「これまで」を考えた。何も知らずに四角い枠の入り口を進んでいくと、陽光の遮られた狭い道が続いていて、戻りたくても戻り方が分からず、とりあえず壁を避けながら奥へ入っていくが、同じ景色の繰り返しで、四方八方に障害があり、気づけば進むことも戻ることもできなくなって、うろうろしているうちに、思うように身体も動かなくなり、すみっこでバタバタともがくが、誰も助けてくれず、気づかれず、気づかれても避けられ、もがく力さえつきて、何もかもを諦めるように、動くことをやめた彼。

 彼は今も、踊り場にいる。誰かに身体を踏まれてしまったのか、平らになっている。丸い目の形は、そのままで。ずっと変わらずそこにいる。会社に向かう朝、会社から帰ってくる夜、毎朝、毎晩、私は彼を見る。彼も私を見ている気がする。私が見ていない間も、彼は私を見ている気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?