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一ぱい

 ひとりの時間がふえてから脳内で会話しすぎて、もうひとりいる…みたいな感覚が強くなっている。相手(自分)の声がはっきりしてきて、これ大丈夫か?と思いながら、なぜ心配する必要があるのか?とも思う。やっぱり「ひとり」の定義が分からない、精神に「ひとり」の線を引くのは不可能かもしれない。体のない世界だったら、「1」って生まれなかったのかな。そりゃそうか、境界がないわけだから、生まれようがないか。いやだとしたら精神もなくなる? あれ、精神ってなんだ? 水蒸気みたいな?

 最近、意志で動こうという気持ちがめっきりなくなってしまった。いわゆる「流れに身を任せる」状態で、わいてきた感情すら私のものではないと考えてしまう。なんか悲しいが訪れましたので、眠るとしますか、みたいな。やる気が低下してますので、やりたくないんですね、いっかい休みましょうか、みたいな。となると主人はどこにいるんだ? 何が軸なんだ? 私のなかにたくさんの他人が住んでいて、その他人が入れ替わり立ち替わり「自分」になって主張してくる感覚。もう組織じゃん、私って組織だったんだな(?)しかも司令塔がいないタイプの。風通しのいい社風です! お前も私もみんな社長! ヨシッ!

 誰でも、長所と短所を足したら、同じ数になるのかもしれない。みんな100。100という能力のなかに、長所(80)と短所(20)が収まってるみたいな。だから「長い」「短い」って言うんかな。運よく自分の長所側を求める環境にいれたら、優秀と評価されるだろうし、逆に、長所側を求められない環境にいると、短所側が目立っちゃって、苦しくなるのかもしれない。できるもできないも、優劣の判断も、ぜんぶ等しく、偶然の産物でしかないんだなって思う。たまたま隣にぴったりの歯車があったから、うまく回って、そしたらその隣も回って、その隣も回って、遠くから全体像みたら、「1」になってる! みたいな。あ〜そう考えると「1」って「たくさん」って意味なんですね、ふ〜んおもしれえ数字……。

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