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マウント女VSコミュ障女①

わたしは幼い時に、「協調性がないね。」という言葉を母から投げかけられた。

本当の意味で理解するにはまだ幼かったため、言っているニュアンス、雰囲気的にはあまりいい言葉ではないのだと思っていた。

確かにわたしはみんなが鬼ごっこをしてる時に、みんなの楽しそうな様子を感じながら、ひとり座って外の空気を感じている時間が好きだった。

狭いながらしっくりとくる人間関係に満足しながらも、投げかけられた言葉は胸に引っかかり続け、意味を理解し始めてからは、それなりにはテリトリー外の人間ともうまく接せられる程度には成長していった。

田舎のコミュニティは独特のものがあり、成長するにつれ、早くここから抜け出して自由に生きたいなと考えるようになっていた。東京の大学に進学することは、自分の中では当たり前の選択であり、どんな世界が見えるのか楽しみでしょうがなかった。

大学生活は何かと失敗や挫折を味わったが、もちろん楽しい瞬間や得たものも沢山あって、振り返れば自分の選択で行動し、結果を得られたことが何より有意義であったことには変わりない。

行動範囲が広がり、それに伴って様々なタイプの人間を知っていく。純粋にこの頃は、好奇心を持って人付き合いを楽しんでいた。ああ、東京には色んな人がいるんだなと。自分の世界が広がっていくようでとても刺激的だった。

そんな中で女性のマウント問題にでくわす。本来私が仲良くなるタイプの友達は、サバサバした、小さいことは気にならないような、ざっくりした人間が好きであった。しかしながら、好きな人とばかり時間を過ごせるわけではない。

東京進出によって自由を感じ、新しい自分を作り上げていこうと意気込んでいた私は、この際、人付き合いのテンプレ探しをしようと思った。なんとなく実験するときのあの好奇心に近いのかもしれない。

“まず、マウント女の特徴を挙げてみよう。”

“彼女は自己顕示欲、承認欲求がとても高い。自分を特別な存在として成り立たせたいのである。よく話を聞いてあげ、称賛してあげる。これがいちばんのポイントだな。そして、注意事項として、自分のことはよく見せないようにしよう。彼女は自分が一番でありたいのだから。”

といった具合に他人の感情というものを自分なりに解釈していき、答えを出してみる。

そこでたどり着いた結果が、先に主導権を握り、自分が相手との距離感を設定してしまうことだ。ある意味マウントを取ることと同じである。目的は自分を必要以上に消耗させないためというものだったので、人の上に立ちたいとかそういった類のマウントとは異なる。むしろ、相手にへりくだった印象を与え、本来のマウント取りが始まるのを避ける役割があるため、非常に有効な手段であった。

一見、仲良くなっていると見せかけて、自分の手の内で気持ちよく喋っていてくれれば、こちらに敵意を向け、攻撃してくることはない。

私の中で、一つコミュニケーションのテンプレを手に入れることが出来たのだ。

この方法を使えば自分も傷つくこともなく、相手にも不快感を与えることなく、円滑なコミュニケーションを図ることができると思った。

そこから私は、あらゆるパターンのテンプレを駆使し、協調性のないコミュ障から、隠れコミュ障へとステップアップしていった。


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