THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道 Vol.5岩熊信彦その1
浜田省吾の魅力を、浜田省吾を取り巻くさまざまな人たちと浜田さんとのエピソードトークから紐解く特別企画。10月のインタビューゲストは、浜田省吾のライブツアーのプロデューサーとして、浜田さんの個人事務所設立当初から浜田省吾を支え続けている岩熊信彦さんです。
1回目の今日は、浜田さんとの出会いについて。
インタビュー:屋形英貴(広島FM)
ちょっと稀有な、すごく実直なロック青年だったような気がしますね。
ーそもそも、岩熊さんが、浜田省吾さんとは、出会ったのは、いつ頃の話なんですか。
岩熊
えー、1977年だと思います。私が、当時、九州のイベンタープロモーターとしてやってまして、「くすミュージック」っていう会社にいまして、その当時、彼が、76年にソロデビューしたんですね。で、その時は、もちろん、浜田の存在は知ってたんですけども、77年の「ラブトレイン」の時から、 プロモーション等を含めて、本人と会うって形になったと思います。
だから、おそらく78年には、彼とは、ライブハウスで、僕の方でブッキングをし、福岡もしくは久留米、あと、長崎とか、何会場か、ライブハウスで、コンサートをやりました。ま、コンサートって言っても、町支くんと2人だけですけども、ハイ、 そんな時代ですね。
ーその頃の浜田さんの印象、なんか覚えてますか。
岩熊
いや、その頃は若かったですね。 ある面、日本にロックミュージックっていうのが、その、確立されるっていう意味では、まだまだっていう、こう、途上の段階だったと思うんですよね。
ただ、浜田自身は、 「やっぱりロックをやりたい、自分は、ライブで生きていきたい」というエネルギーがすごくあったと思うんですよ。で、僕も、彼の音楽を、ずっと、最初から聞いているので、彼はすごくいいなと、ほんとに思っていました。
なので、彼を、僕はすごく応援したいと思ったし、サポートしたいと本当に思いましたね。
その当時、僕は、山下達郎くんだったり、サザンオールスターズだったり、ゴダイゴだったり、柳ジョージだったり、ショーケンだったり、いろんなアーティストを僕は担当して、九州で全部プロモーションやってたんですよね。
で、その中で浜田自身は、ちょっと稀有な、えーすごく実直なロック青年だったような気がしますよね。
―当時のエピソードで、覚えていることは何かありますか?
よく浜田も話をするんですけど、僕が久留米でライブハウスをやってる時に、えー、鳥栖駅まで迎えに行った時に、僕が無賃乗車をしてしまい、ええ、すごく恥ずかしい、思い出です。
ー無賃乗車は、あえて、したわけではなくて、やってしまった
岩熊
そうなんですよ。あの、久留米から、鳥栖駅に向かい、本人を迎えに行って、一旦(改札を)出たんですけど、本人を迎えて、そのまま僕、入ったんですよね、 改札の中に。まあもちろん、無賃乗車になってしまうわけですけど、 本人、アーティストと一緒ですから、やっぱり、またお金を払ってチケット買って、その当時、今みたいにピッピッピはないですから。だから、入場券を買ってっていう形をする時間もなく、そのまま入ってしまったっていう。で、駅員さんに、「ちょっと、君、君」って言われたっていう。えー、今でも逸話として残ってますけども。
ー
そんなお話をお伺いしたところなんですけど、その頃の浜田さんの曲で1曲選ぶとしたら、 何を選ばれます。
岩熊
その頃ですね。 えー、そうですね、やっぱり、「ラブトレイン」の中からですね。「行かないで」とか、その辺を聞いて欲しいなと思いますね。
THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道は、広島FM「#PUSH」で、毎週水曜日、15時10分頃から放送中。10月に登場するのは、浜田省吾のツアープロデューサー、岩熊信彦さんです。浜田省吾とともに日本のロックコンサートの地平を切り拓いてきた岩熊さんの話をタップリ伺っていますので、お楽しみに。